オトナのための国語キソ10 同じ言葉で話しているはずなのに伝わっていない 伝えるとは? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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我々はコミュニケーションでの理解について誤解があります。

話せば分かる、ていねいに説明すれば分かるはずという思い込みです。

 

同じ言葉で話しているのに話していることが伝わっていない。

同じ日本語なのに自分と相手の話がかみ合わないという経験があると思います。

とくに話し言葉ではよく起きていることです。

 

家族、仲間同士、仕事の上でも。

もし、そんな経験がない人であればそれは大変幸福な事です。

 

まず

話の大前提です。

言葉は互いに通じ合っていません。

同じ日本語で話しているから通じているという思い込みは誤解なのです。

 

そこにあるのは「理解」ではなく「了解」なのです。

「違うけど受け取っているよ」「わからないところもあるが受け取っているよ」ということなのです。

それを「理解」と勘違いしがちだということです。

 

日常生活で言葉が通じている理由は皮肉なことに言葉がいいかげんだからです。

普段の生活ではなんとなく、なあなあでもお互いが納得すれば何の問題もないわけです。

共通の経験がお互いの意思を読み取ります。

コトバのキャッチボールは理解ではなく了解なのです。

不都合が起きてはじめて問題になるのです。

 

たいてはいいいかげんは受け取り方でも

それで済んでしまいます。

何故かと言えば

普段のコミュニケーションのうちのほとんどが生死にかかわるような重大なことではなく

どうでもいい事柄だからです。

 

つまり

もし誤解があっても正確でなくても

実際に不都合が起きなければ

たいした問題にはならないからです。

 

法律や契約文書は誤解があれば大変なことが起きることがありますから

そのための書式や習慣という支えがあります。

事が重大になるとごめんではすまなくなります。

自分の思い込みを越えて伝える方法が必要になります。

 

ですから正確さが必要な時には

正確に伝えるための訓練が必要です。

普段から違った文化・習慣の者同士が一緒に暮らす国(地域)では

正確に伝える工夫をしないとどんなことが起きるか想像も出来ません。

(財産や命の危険もあるということです)

 

残念ながら

日本の普通教育(義務教育)では真剣に正確に「事実」を伝えるための訓練はありません。

「事実」を伝えるよりも「心情」を伝えることが優先されているからです。

真剣に「事実」を伝えるための訓練をしているのは科学・工学の研究者(専門家)に対してだけなのです。

それは世界(違った文化・習慣をもつ人)に対する発表が必要だからです。

しかも

それはカリキュラムとしてではなく

徒弟修行のような方法で行われています。

 

日本で暮らしていても

これまでのように「心情」や「なあなあ」で仕事をしていくことができる時代はもう終わろうとしています。

(生産性や国際競争といった点でもう限界がきています)

わたしは特に普通教育では「事実を正確に伝える」訓練を優先させる時が来ていると考えます。

 

「事実」を正確に伝えるためには二つの技術(+知識)が必要です。

①まず「観念」として存在している言葉を、伝えるための道具として精密な「概念」に高める訓練

②正確に表現するための「形式」を身につける訓練

 

この二つがあってはじめて伝えるための基本が出来ます。

わたしはそのための訓練方法を普通教育の範囲で開発してきました。

普通の人が達意の文を書くためのメソッドです。

大人の受験訓練という切羽詰まった状況の中でこそ「伝える」能力は役に立ちます。