オトナのための国語キソ5 欧米では理解できない 漢字は「語」であり 熟語は「文」である | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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あまり名前は知られてはいませんがすぐれた言語学者の河野六郎という人がいます。

代表的な論文に『文字論』(三省堂,1994年)があります。

短い論文ではありませんが

内容の重大さから言えば決して長くはありません。

文字とは何かを正面から考察した唯一の書です。

(わたしはまだ単行本になっていなかったときに著作集で読みました)

 

実は欧米の学者で文字そのものを研究した人はほとんどいないのです。

漢字のような複雑な文字をもったことがない人たちにとって

漢字は文字(letter)ではなく絵(characters)なのです。

彼らは絵でコミュニケーションするのは原始的な言語だと考えています。

だから

研究することなど考えません。

欧米のマネをする人が多い日本の学会でも同じような傾向になるのは当然のことでしょうね。

 

『文字論』の「目次」を挙げます。

第1章 文字の本質

第2章 六書について

第3章 諧声文字論

第4章 転注考

第5章 仮借論

第6章 漢字論雑考

第7章 隣接諸民族語における漢字の適応とその発展

第8章 アルファベットの発生

第9章 ハングルとその起源

 

わたしの理解ではこのうちの「第1章」と「第5章」が画期的な内容です。

「第5章」の内容は

『説文解字』という漢の時代に書かれた本に「六書」という漢字の起源の説明があります。

その中で「仮借」の意味するところが2000年以上も忘れられてしまって

数え切れない学者たちが解き明かそうとして明らかにできませんでした。

その真相を解き明かした論文です。

 

わたしが注目するのは「第1章」です。

それは「語」の発見です。

(「語」は単語と理解してもらってかまいません)

一言で言えば

なぜ、言葉(語)は発音通りに綴られないのかとういことです。

たいていの文字をもつ言語では綴りと発音は一致しません。

 

これはアルファベット(表音文字)を使っている言語では

永遠の不思議でした。

文字が音を表すなら綴りと発音が同じになるのが論理的だからです。

 

日本語でも「かな」は音を表すということでは(一種の)アルファベットです。

(アルファベットと見なしたくない学者もいますが)

日本語でも表記と発音が一致しないことが多く

日本語改革を目指すときにはいつも話題の中心になります。

「わ」を「は」と書く、「え」を「へ」と書くようなことです。

河野さんはこの謎を解いたのです。

「文字」の研究が「語」の発見につながったのです。

 

これも一言で言えば

文字が表しているのは「発音」ではなく「語」だという事です。

 

現在の言語学では言葉は書かれたものではなく

発声されたものを指すのが常識です。

だから

文字を考える時に落とし穴になったのです。

 

一番このことが分かりやすいのは

「ヘブライ語」「アラビア語」といった綴りで母音を使わない言葉です。

当然、母音が全く使われない言葉などありません。

言葉が子音だけで綴られているので母音部分はわかりません。

ですから

全く知識がない者は単語の発音が全くできません。

(当のユダヤ人でさえ困っているのですから)

きっと、子どもが言葉(単語)の発音を覚えるときも大変だと思います。

EnglishのNative speakerでさえもPhonicsで学ばなければ発音が分からないくらいですから。

 

でも

実際には文字を使っている人たちは特に困っていません。

なぜかと言うと

文字が発音を表すという考え方が誤解だからです。

河野さんははっきり言い切っています。

文字とは「語」を表すものである。

つまり

その言葉を表していることが分かれば書き方はどうでもいいということです。

文字とは「語」の区別のためにあるものだからです。

 

このことは言葉とは習慣であること

そして

習慣は合理的ではあるが論理的ではないことをはっきりと示しているのです。

現在は筋道は通っていないようにみえても

実はその綴りになっている経緯があるという事です。

言葉に問うことは「何故」ではなく「如何に」であることが分かります。

 

題名の漢字は「語」であり、熟語は「文」の説明に戻りましょう。

漢字は意味をもつとされていますが

意味をもつ以前に一字で「語」なのです。

今までのとらえ方は逆立ちしていて

実際には「語」だから意味をもつことができます。

 

さらに

熟語は「語+語」なので文になることができます。

英文法家たちは日本語に関係代名詞がないといっていますが

(人によってはそれを日本語は不完全な言葉だという理由に挙げる人がいますが)

日本語は熟語によって文の中に文を取り込んでいるのです。

文の中に無限に文を取り込めるなら関係代名詞や特別な構文がなくても不自由はないはずです。

 

日本語の性質をよく知ること無しでは

日本語での表現をよりよくすることはできません。

河野さんの研究を生かすことでこれまで以上に日本語の表現を広げるのが日本語を扱う者の仕事です。