「感覚統合の境界領域」とは? 自分の生い立ちから考える | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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前回、「感覚統合の境界領域」という新しい言葉をつくってしまいましたので

もっと具体的に説明しましょう。

 

わたしは自分の身上を公然とさらすことは嫌いなのですが

それでも人の役に立つかもしれないと思うので。

 

「境界領域」とは境目にあるということです。

生活できないことはないが「生きづらさ」を感じる状態です。

 

わたしは物心ついたころ(小学生時代)

体の動作の同調がうまくいかず

縄跳びをしても縄を振る動作と足の動作がかみ合わず

体育の授業では女の子たちにも笑われました。

危険を感じると反射的に体がすくむようになっていました。

意識的にではなく反射的に出てくるのでたちが悪いのです。

 

恐怖が先行するので体がすくみ

体が思うように動かないので

水に入ると危険を感じるので泳ぐことはできないし

自転車の練習もうまくいきません。

(成人してから日本人10人当たり1人いると言われる

水に浮かない体質であることがわかりました)

 

むしろ

うまく動けなくても動かそうとしていたわけですから

何の気なしにうまくできる他の子よりも努力をしていたわけです。

ところが

そんなことは誰もが(教員でも)認めてくれません。

その時、子どもながらに「努力を評価する」ということは口先だけだと不信をもちました。

それは今でも変わりありません。

 

中高生時代を通して

意識的に自分の動作を変えるために

意志で恐怖を抑えることで

だんだんと動作が同調するようになっていきましたが

 

同時に無理強いや恐怖を与えないコーチングがあることも知り

良いコーチングは人生を変えるということも体で実感しました。

 

それでも

小学生のころに身につかなかったことのための限界は感じました。

 

それで成人前までは生きづらさを感じることも多かった。

でも

実際に高校生になって自分を試していくことができるようになると

反射神経は標準よりもすぐれていることにも気づきました。

 

理由は分かりませんが

「感覚統合」という概念を知り

結果としてわたしに起ったことは

生育歴の上で「感覚統合」がうまくできなかったという理解をしています。

 

生育歴上気になることには

①学齢前の予防接種の副反応で左太股の筋肉に軽い萎縮があります。

母親の話で気付いたくらいで

運動してもほとんど支障はありません。

 

今なら十分薬害です。

当時はこの程度のことは誰も気にも留めなかったようです。

これが全く心理的な影響はなかったとも言い切れませんが

直接の影響は感じていません。

 

②わたしには小学校入学前後からの記憶で欠けている部分があります。

当然、本人には分からないので

母親、姉の話から分かったことです。

どうも記憶に留めたくないことがあったのではないかと思います。

 

子どもは健気なもので生きていくためには

家庭(親)に適応していかなくてはなりません。

 

良くないことは自分のせいではなくても

自分の責任だからと

自分から記憶を消してしまうことがあります。

 

心理学上では「乖離(かいり)」と呼ばれる現象です。

自分が我慢すれば回りがうまくいくと思えば

意識しないで記憶を奥底にしまってしまいます。

子どもは精神が完成していないから起きやすいのでしょうか?

このことも自分の発達に影響がなかったとはいえませんが

どれだけ影響があっかたのかもわかりません。

 

はっきり影響があったと思うことには

③子どもの頃には感覚鋭敏があったことです。

特に他の子たちと比べて異様に味覚が鋭く

そのために食べられないものがありました。

生臭いもの、酸っぱいもの、青臭いものが食べられずに困りました。

 

わたしが「感覚統合の境界領域」だったのではないかと考える根拠の一つは

この異様だった感覚にあります。

はっきり目に見えるぐらいではないが

感覚統合に問題が起きるような素質をもっていたのではないかと考えます。

 

「感覚統合」は新しい概念なので

実際に子どもをどう相手するのかという課題としてのとらえ方が先行していて

まだ、十分に分からないことが多いようです。

この分野は、保育士や幼稚園教諭といった資格・免許を取るためのカリキュラムにはない体系なので

自分で学び取っていくしかありません。

まだ、学ぶことが大変難しいのです。