呼び名が人の判断に及ぼす影響と見たくないものを見ること | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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『物質の名称の不明瞭さが人の判断に及ぼす影響―DHMO は,規制すべき物質か?―』

(小松佐穂子・良元裕太)

と言う論文があります。

 

これはインターネット上で有名な科学ジョークです。

水を「DHMO」という別称に言い換え

ネガティブな情報のみを提示すると

人々はそれが危険物質のように思い込むという話です。

 

人々はDHMOが「水」であることに気が付かず

「規制すべき」物質と判断してしまう。

 

「DHMO」とは「dihydrogen monoxide」の略称。

一酸化二水素、H2Oすなわち「水」のことです。

水が1つの酸素分子と2つの水素分子からできているという元素の構成に基づいた表現です。

 

この論文が取り上げたのはありふれたものでも

耳なじみのない「DHMO」という難解な表現で示されると

人々はそれが危険物質であるかのように信じてしまうことことです。

 

実際

化学・製薬の分野では毎日のように新しい化合物がつくられています。

特に製薬の分野では開発費の過半が安全審査のための臨床費用です。

 

現実に無害な物質でも

それが工業由来、人工物であれば信じられないくらいの過大な検証を求められます。

極端に言えば

無条件で人体に全く害がないという物質はありえません。

水だって条件によっては(取りすぎれば)人を死亡させます。

 

これまで人が摂取してきた物質でも

アルコールは危険度からすれば急性・慢性ともに最強クラスの危険物です。

もし、これが伝統的なものではなく

新物質であれば間違いなく禁止物件になるだろうことは想像する必要さえありません。

 

伝統的ではない新商品といえば

現在、蒟蒻ゼリーは世界的には販売禁止になっているそうです。

日本でも2008年国会で野党からこんにゃくゼリーの製造・輸入・販売の即時禁止と企業への責任追及と自主回収要求する「申し入れ」がなされました。

 

国の統計によれば13年間で22件という死亡件数は「餅」「ご飯」「パン」などを喉に詰まらせ窒息死する事故の件数と比較すると極めて少ないものです。

ほぼ毎年4,000件(65歳以上だと3500人程度)以上にもなる食品による窒息死亡事故のうち平均1.7人程度(0.04%)を占めているに過ぎないとのことです。

 

消費者庁はこんにゃくゼリーを喉に詰まらせた場合の重症率は2位のしらたき・糸こんにゃくを上回り、カステラやヨーグルトと同程度の重症率でしかない餅よりもはるかに危険な食べ物であるという見解を発表している。

 

しかし

実際の事故件数

65歳以上の「餅」又は「もち」を含む窒息事故による死亡者数は、平成30 年で363 人、令和元年で298 人である事実からすれば

年平均1.7人しか実績(?)がない蒟蒻ゼリーに対する「言いがかり」としか感じないわたしは非常識なのでしょうか?

 

道理からすれば「もち」は販売禁止・所持禁止にするのが当然です。

蒟蒻ゼリーは世界ではすでに禁止物件ですから。

その割には世界で最危険物の飲用アルコールが放置されているのは不思議ですね(笑)

 

ここで

言いたいのは誰かが「危険かどうかの判定をしろ」といったことではなく

賛成派・反対派のどちらもが

人は「見たくないものは見ない」ということです。

 

危険と言われれば鵜吞みにする

文化・多様性と言えば何でも正当とする

正しさだけを求めるのは

どちらも判断を放棄した姿でしかない。

 

なまじ中途半端な知識は

価値観の強制か

危険の放置といった

現在か将来を危険にさらすことでしかありません。

 

「見たくないものを見る勇気」に裏付けられない知識は

かえって

人の目を曇らせます。

「呼び名」や「うわさ」に左右されず

そこで起こっていることをしっかりと見る勇気をもつ

そこから自分が必要なことを求める

それが本来の「学ぶ」ことなのです。