言葉にできずキレる児童 そのまま大人になる人が増えています | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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以前、読売新聞の特集記事『国語力が危ない』で連載された『「語彙力」の今(中)』で

「(自分の思いを)言葉にできずキレる児童」のことが取り上げられていました。

 

記事では、感情のコントロールができないところに原因を求め

解決法として

「子供が感情をコントロールできるようになるカギは、自在に使える言葉を増やすこと」が挙げられていました。

 

子どもはもともと言葉が不自由なのです。

自分の意志を十分に伝える言葉をもっていません。

伝えられないから実行で示すわけです。

(実は、日本では高学歴な大人でもけっこうそんな人が多いのですが)

 

言葉の不自由なことから

勘違いか思い込みのために子どもたちが対立することが起きる。

こじれない内に互いに言葉で説明できればその前に解決したかもしれない。

これがいわゆる「いじめ」の最初のきっかけになることも考えられます。

 

そして、今起こっていることは小学生だけではなく

この小学生で起こっていることが解決されずに

自分の意志を相手に伝えることができない

それとも、めんどうだから伝える気がなくなる

大人が増えていることです。

 

本来は学校や家庭で

自分の気持ちをより上手に伝えられるように言葉を増やしていくことは大切なことで

自分の考えの微妙なところも表現できれば

言葉で意志を伝え合いトラブルを防ぐことができます。

 

これまでは、そのため

相手の気持ちを読み取れるように

国語教育では以心伝心のような作品読みをやってきました。

当然、そうなると文学作品を読むことが多くなります。

 

でも、わたしはすでに

相手の考えていることを受け身でとらえ思いやるのではなく

自分からできる限り正確に相手に自分の意志を伝える時代と考えています。

(世界ではこれが標準です)

 

しかも

話し言葉は発声され消えてゆく不安定なもの

文字で書き表されることで洗練されてきた言語には必ず

文語(書き言葉)と口語(話し言葉)の対立があります。

文語と口語が一緒になることは絶対にないのです。

 

ですから

微妙な内容の主張のためには「書き言葉」の訓練が基本になります。

ところが

国語教育では文語と口語の対立が意識されて教えられることがなく。

(作文では話し言葉で書くなという言い方はありますが)

そもそも、教員さえも文語と口語の対立の意識がありません。

むしろ

小学校では話すように書きなさいと指示する教員もいます。

 

ある調査では

意外にも以前の読書離れが話題になった時期と比べると

現在の読書量が増えているという説もあります。

 

どうも最近の若い子たちの中でヒットする作品の中には

口語のような表現のものが多いようです。

今の子たちの読書は大人が考えている昔の読書が教養と結びつくようなイメージとは違っているのです。

 

そこには読書の「量」の問題ではなく「質」の問題があるように思えます。

新井紀子さんが(「AI vs 教科書が読めない子どもたち」で)

「読書量と読解能力のかかわりは低い」と言い切っている背景にはこのような読書の変化があるような気がします。

 

その意味では「国語」も

言語である数を取り扱う「数学(算数)」も

書く(説明する)方向へのシフトが必要な時代がきているのです。