教育で大切なのは「効率」か「効果」か 分かるためにはいろんな子がいたほうがいい | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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普通、学校で学ぶときには同じレベルの子たちを集めた方が効率がいいのは常識とされています。

確かに一斉に授業するときは一人一人の子の差が小さいほど手間がかかりません。

 

当然

能力が違った子が一緒に学ぶというのはなおさら効率がわるくなるわけです。

子どもの数が少ない地域ではどうしてもそうなってしまいます。

わたしは岩手県境の宮城県出身ですが

昔は田舎の高校でも旧帝国大学を引き継ぐ大学に合格する子がいました。

東京大学や国立大医学部に入った同級生もいます。

 

ところが

仙台市内以外の地域では子どもがほとんどいない状態です。

小中学校は1学年1クラスのところが珍しくありません。

仙台市内でなければどこの高校でも生徒募集に苦労しています。

当然、同じレベルの子たちをそろえることはできません。

宮城県では仙台市の学区の高校でなければまともに進学できない有様です。

 

職場が仙台市内から遠い親でも

子どもの教育のために家を仙台市内に建てます。

 

確かに同じレベル子たちを集める方が効果的であることは事実です。

特に高校では教師は「能力別クラス」を支持する人が多い。

今の覚えさせることが中心の学習ではレベルが同じ子を集めた方がやりやすい。

 

しかし

分かったかどうかはレベルが違う子同士がいるほうがはっきり分かるのです。

自分が分かっているかどうか確かめるためには

分からない子に教えてみるのが一番効果的なやり方です。

相手の子が説明を受け付けてくれれば自分が分かっていることが間違いなく確認できます。

 

かつて(確か1970~80年代です)

外国の教育関係者が日本の学校の授業を見たときに

子どもたちを(それをさせた教員も)絶賛したという話を聞きました。

 

教員が説明した後で

子ども同士が互いに教え始めたという話です。

たいていの国では学ぶことは個人的な営みです。

わかった子がわからないに子に教えるなどということはありません。

 

いかに「アクティブ・ラーンニング」と言ったところで

それらの国では

教えるのは教師の仕事

教わるのは子どもの仕事なのです。

 

このあり方は欧米にはない日本独特の真理観から生まれています。

再論 公文式・水道方式 教師の力量を求めるものはどちらか?

 

欧米でも生徒間の協業を中心にする教育法はあります。

フランスのフレネ教育などは最たるものでしょう。

フレネ教育はフランスの大勢である行き過ぎたエリート主義教育に対する反動として生まれものです。

 

それでも

日本で言うところの学習とはズレがあります。

「生活技術」に近いものを感じます。

フレネ教育では「学年」という「能力別クラス」の発想がありません。

年齢が違った子どもたちでもいっしょに学びます。

 

まあ、生活技術ということでは

年の違った子どもたちが一緒に学ぶのは

年下の子にとっても

年下の子にとっても

自分の力を伸ばすためには大変いい方法です。

 

それと

教師(大人)と子ども(児童・生徒)の関係であっても

教師は互いに「対等」があることを知らなければ

年が違った子やレベルが違った子同士が

共に学ぶ場をつくることは難しいでしょう。