気になるマスコミの「状況証拠」の捉え方 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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先日、ニュースを見ていると

被疑者が黙秘して「状況証拠」の積み上げでしか立証できないため捜査が難航しているというコメントをしていました。

 

でも、そこには証拠についての誤解があります。

その捉え方をするなら、西欧・米国でのたいていの捜査手法は状況証拠に基づくものになってしまいます。

つまり、正当な証拠でもそれが状況証拠であると思い込んでいる報道関係者いるということです。

 

それはどういうことでしょうか?

説明していきましょう。

 

犯罪の場合事実を判断するための条件として

「証拠能力」… その証拠が正しく手に入れられたものか

「証明力」… その証拠が事実を証明できるか

の二つが必要です。

 

残念ながら

報道関係者でもこのことがよく分かっていない人が多いようです。

(犯罪報道をするならやはり刑法、刑事訴訟法の理解が必要です)

 

特に

「自白」についての報道は「自白」をよく分かっていないのはないかと思わせることがあります。

「自白」の強制は「冤罪(えんざい)=濡れ衣」の原因といわれています。

自白を非難することはヒロイズムを満足させます。

(実際には自白が問題なのではなく

日本の犯罪捜査では捜査官の思い込みで犯罪シナリオを考えて

それを裏付けるように自白に追い込むのが当たり前であることが問題なのですが)

 

かつて(戦前の旧刑法・刑事訴訟法の時代)は

「自白」は証拠の王様と呼ばれ

どんな証拠があっても自白がなければ不十分であると考えられていました。

確かに犯人しか知らないことを知っているのは犯人だけです。

自白をさせることで事実が確実になるわけです。

 

だから

証拠能力も証明力もあると考えました。

現在でも被疑者が自分に不利になる他人に知られていない事実を自分から認めた場合の証言は証拠能力も証明力もあるとされています。

(たとえば、自白から凶器が発見されるといったことです)

 

でも、今の「自白」のとらえかたでは

「刑事裁判では自己に不利益な事実を承認すること指す」とされています。

自白が意味することが変化しているのです。

 

つまり被疑者の側からの見方に変わっているのです。

そこには戦前と戦後で特に刑事裁判制度が大きく変わってしまったことがあります。

戦前の大陸法(独仏法)による刑事裁判制度へ

戦後に全く性質が違った英米法が接ぎ木されました。

 

それでも

実務では旧制度が根強く生き残っていて

70年以上たってもずうっと混乱がおさまっていない状態です。

 

特に証拠能力については大陸法と英米法はほぼ正反対と言ってもいいくらい違うところがあるのです。

米国では捜査手順を間違えば証拠能力は全くなくなります。

大陸法では裁判官が証拠能力を判断します。

 

たとえば

「伝聞」・・・ 人づてに聞いた話の場合です。

英米法では「伝聞」にはまったく証拠能力はありませんが

大陸法では「伝聞」の度合いで証拠能力を判断します。

日本では英米法の原則のはずなのに

実際には伝聞に証拠能力を認めています。

 

そこで報道の混乱が起っているのです。

よく刑事裁判で

被疑者の自白がなく

目に見えるようなはっきりした犯行の証拠がないときに

検察側の立件を状況証拠だけによるものだと批判することがあります。

 

でも

単純な犯行でないかぎり

間違いなく犯罪を行ったという十分な証拠がないことが普通です。

警察も監視カメラに映ってなければお手上げということが多いのが今時の犯罪捜査です。

目に見えるような証拠がなくても強い犯罪推定があるときにはそれでも裁判をするしかありません。

 

それを報道は

普段は自白を非難するくせに

決定的な証拠がなくて証拠の積み上げで推定する場合に

本人が犯罪事実を認めていない(自白していない)という理由で

状況証拠での捜査は冤罪に結びつくと決めつける言い方をよくします。

 

元々、状況証拠とは「これが事実認定の結論に結びつくか否かが推論に依存するような証拠ないしは事実」をいう。

 

たとえば、犯行現場に被疑者の指紋があったようなことを指す。

推理小説とは違って指紋があっただけでは犯罪の証拠にはなりません。

(もともと裁判で証拠能力・証明力が認定されるまではすべての証拠は状況証拠なのです)

 

自白を否定しながらも自白がないと状況証拠での捜査だと非難するのです。

被疑者が完全黙秘すれば

現行犯か、決定的な証拠がなければ

証明は状況証拠でやるしかありません。

 

自分の正義感で報道をすれば知らず知らずのうちに自分の立ち位置がぶれてしまいます。

ここでは自白か状況証拠かではなく

証拠が被疑者の犯罪を証明できるか(証明力)が問題のはずです。

 

また

正しい方法でなく手に入れられた証拠は

本当にそれが正しい結論を示しているかどうか疑いがあります。

(検察・警察の証拠捏造の例など数え切れないほどあります)

 

さすがに

今は昔ほどひどいやり方の取材は少なくなったと思いたいのですが

(警察発表に頼り自分で調べる記者が減りましたから)

以前は報道記者が目に余るような取材を平気でやっていました。

今でも、特ダネだからと言って未確認のまま見切で報道することがあります。

 

要は

報道する側も受ける側もきちんと捜査方法・裁判のしくみを知らないで

自分の正義感を表に出すことや

警察・検察が言うままを受け売りする事が多いということです。

 

結局、正義感から警察・検察の「自白主義」の捜査を批判するものの

証拠に対する捉え方がズレているため

自白主義の亡霊から逃れることができずに

「状況証拠」という言葉で批判してしまうのです。

そこにあるのは捜査批判で自分たちの正義感を満足させているだけのようにしか思えません。