「発達障害」=「神経発達症」という言葉のつかい方は正しいのか? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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最近、「発達障害」を「神経発達症」の言い換えとしてつかっているのをよく聞きます。

でも

もともとは「発達障害」は「定型発達」と対比する呼び方として生まれたもので

単純に言い換えにつかうことには疑問を感じています。

(「定型発達」も「発達障害」ではないというのが定義で

堂々巡りと言えないこともありません)

「普通」と「標準」の違い 発達障害(神経発達症)から考える

 

「発達障害」という概念は米国で生まれたものですが

現在の米国の診断基準では「発達症害」という項目はありません。

「発達障害」と「神経発達症」は別の概念だからです。

 

それをそのままつかっていることで混乱が起っています。

多くの臨床家から

子どもの「自閉症」と「愛着障害」が行動の特徴からは区別がむずかしいことが報告されています。

「愛着障害」とは「主たる養育者との適切な愛着関係が形成できなかったことによる障害」を指します。

 

「発達障害者支援法」の規定では

『「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの(第二条)』としています。

(以下、用語として「発達障害」という言葉にしたがう)

 

このように

日本の福祉行政(医療)では

「発達障害」は「脳機能による障害」で生まれつきのものであるとされています。

「愛着障害」は育て方の問題であり「後天的」なものであるとされているので

「自閉症」と現われ方がよく似ていても「発達障害」には含まれません。

 

親の育て方が間違っていたから性格や行動に歪みが生まれた

生まれ育った環境がよくなかったので心身の健康に問題が起きた

学校教育への不適応によって学習能力が低下した子どもなど

は発達障害の診断には含めないということになっています。

 

ただし

発達障害をもって生まれた子が育つ中で愛着障害も合わせもつこともよくあるとされています。

 

「発達障害先天性説(脳神経機能障害説)」はこれまでの研究の積み重ねから生まれたものです。

自閉症がコミュニケーションの病ととらえられるかぎり

言語とのかかわりが重要であることに間違いはありません。

実際、多くの研究はありますが

まだ、言葉の獲得前の、発語する前の子どもがどのように言葉とどうかかわっているかは十分に分かってはいません。

 

ここまでが一般的な理解です。

それに対して

自閉症の原因は「生得的な言語認知障害」ではなく

後天的な言語獲得障害」であるという主張があります。

※詳しくは

『高機能アスペルガーは「話ことば獲得障害」で発症する:自閉症スペクトラムの謎と後天的成因(別府真琴)』

 

この本の中で小児科臨床医である片岡直樹さんの講演から引いた言葉に

子どもの発達のためには

「生後、母児間で抱かれる、乳を飲む、あやされる、眠る、泣くなどを通して

お互いに一緒にいることで心地よくなり、愛着を覚えます。

そして、五感の体験により、笑う、怒る、いがり泣くなどの愛着が育つ。

まねをすることでコミュニケーション力が芽ばえます。

すべて、応答環境が成立することが必須条件」としています。

 

乳幼児の間にこのような「無意識の応答環境」が破壊され、「言葉の獲得」がうまくいかず

「愛着障害」をきたしたのが「発達障害(自閉症)」だという主張です。

片岡さんは要因として「音・光環境(テレビ・スマホ)や早期教育(デジタル育児)」などを挙げています。

 

確かに、自閉症は「誕生後愛着が育つ時期、人間との選択的愛着が成立しないこと、またはそれから起きる症状」を指しているという点に限れば

障害の原因が「先天的」「後天的」という立場の違いにかかわらず

「自閉症」の主症状は「後天的」に起きるものであることになります。

 

長年小児臨床医としての経験を積んできた片岡さんの

「臨床医学の領域にあっては

そもそも実際の症例を丁寧に客観的に観察しなければならないが

自閉症スペクトラムの範疇に入る人たちの様態(生活史、生活記録、個人史)は

そういった意味で正しく緻密に観察されてはこなかったと思われる。」

という指摘には簡単に否定できない重みがあります。

 

でも

たとえ「後天的な言語獲得障害説」を認めたにしても

言語獲得以前の乳幼児期の「言語獲得障害」は「不可逆性」である。

つまり

やり直しがきかないという点では変りがないということです。

(ただし、環境要因は取り除けるという主張です)

これが「言語獲得」後の愛着障害とは決定的に違うところです。

(この場合機能が回復することもありえるということです)

 

このように「自閉症状(自閉症ではなく)」の診断は大変むずかしいものなのです。

臨床医の中には最近の「自閉症」診断数の増加は

愛着障害との取り違えが含まれていると主張している人がいます。

 

ここには日本の医師の診断時の仕組み上の問題があります。

 

アメリカ精神医学界、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)にもとづくとしながらも

DSMの基本である診断の手続き主義」を踏まずに

未だに医師の「職権主義」に頼っているということです。

 

「手続き主義」と「職権主義」はわたしのつくった言葉ですが

「手続き主義」とは決まった手順で資格をもった者が診断するということです。

診断手続きの方が優先されるということです。

 

それに対して

「職権主義」とは医師が医師であるという資格によって診断が認められるということです。

客観性よりも医師の判断が重視されるということです。

 

別の機会に取り上げますが

日米間の診断の過程を知るとそれがよく分かります。

一般に米国では障害児と認定されると手厚い保護を受けることができます。

そのため、親は複数の専門家に同時に診断を求めます。

その診断過程を見ると日本と比べものがないくらい厳密で大金がかかるものなのです。

 

困っている親を助けるという点では医師が手心を加えることができる日本の診断は実際的ということができます。

しかし

そのために混乱を招いているのも事実です。