「普通」と「標準」の違い 発達障害(神経発達症)から考える | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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発達障害(神経発達症)を考える時に一番厄介なのは「普通」という言葉です。

「普通」という言葉には「同じ・違わない」という「価値観」が含まれています

神経発達症の子にとっては「普通」という言葉は時には差別の意味が含まれていることもあります。

 

それに対してわたしは「価値観」を含めない「標準」という言葉をつかいたいと思います。

「標準」という言葉は「判断のよりどころ」「規格」という意味をもっています。

 

最近よく神経発達症は「定型発達」に対して

発達の「凸凹」であるという説明をするようになっています。

現在では「定型発達」は厳密には明らかに神経学的違いがない人たちを指します。

神経学的違いは各種の検査で確認されるものです。

 

「定型発達」であっても「発達のばらつき」はあります。

定型と言ってもみな同じわけではありません

これは子育てした親にとっては当然の知識です。

 

では

「凸凹」と「ばらつき」の違いとはどんなところにあるのでしょうか?

 

米国の精神医学会の診断基準であるDSM-5では

すでに医師の主観ではなく統計を元にした診断へと動いていると聞いています。

(さまざまな発達障害用の検査の数値と

発達歴,生活歴,現病歴,家族歴から診断するということです)

 

わたしは医師でも専門家でもありませんので

どう診断するかではなく

「統計」で判断するとはどういうことかを説明します。

「普通」と「標準」の違いが意味することです。

 

統計上の「標準」とは

「ばらつき」を否定するのではなく「ばらつき」が「標準」の中に入っていることを指します。

その場合の「標準」の定義には「正規分布」がつかわれていることが多いのです。

(何故かについてはここでは説明しません)

実用的なのでつかわれることが多いのです。

正規分布を例に「ばらつき」と「凸凹」の違いを説明していきます。

 

次のグラフを見てください。

このグラフは何らかの基準数値で集団が分類されたときに

どのような散らばりかたをするかを示したものです。

ここでは検査による症状・定義からの分類と考えればいいでしょう。

 

0を中心として左右に「±1σ」ごとの目盛が振ってあります。

山の面積はそこに含まれている数を示しますから

「±1σ」の間にはほぼ全体の70%が含まれることになります。

 

この0をはさんだ左右「±1σ」の間は違いがあっても同じものと考えます。

(本人の努力や環境の違いを考えると条件的には同じに扱ってよい)

「標準」というときにはこの集団を考えることになります。

 

それに対して「±1σ」より左右の外側であれば間は「標準」とは違いがある集団と考えます。

「±1σ」よりも外になればなるほど生活や医療の場では手助けがないと自力では解決できない不都合が多くなります

 

実際の診断では複雑な要素からの評価になると思いますが

各判定要素ごとに「ばらつき」に基準を当てはめてその中に「標準」を越えるものがあれば「凸凹」ととらえるのだと思います。

 

でも

障害の基本原因は「神経発達症」でもたいていは「愛着障害」がからんで社会適応を悪化させるので

実際には「愛着障害」との合併症とみるべきなのかもしれません。

 

専門家といわれる人たちの発言からすると診断に直感や経験を優先させる人が多いようですね。

「神経学的違い」がない(あるいは非常に軽い)人の表面上は「神経発達症」とよく似た振る舞いをする「愛着障害」とを区別しきれているのかどうかはよく分かりません。

 

「愛着障害」というのはわたしが大学生だったころ(1980年頃)は「不安神経症」と呼ばれていたもののようです。

これはかつて「ノイローゼ(神経衰弱)」という呼び方がされていたもので

「精神が不安定になる事で様々な症状が現れること」を指します。

「神経症」という診断名は1980年のDSM-III(第3版)で廃止されています。

これを日本の医学界が取り入れたのは医学の中心がドイツから米国に変わった象徴的な話ですね。

わたしにとってはこっちの概念のほうが分かりやすく呼び名もしっくりきていたんですが。