昨年、話題になった「ポテサラ論争」にずうっと気持ち悪さを感じていましたが
何が不快かその理由がよく分かりませんでした。
やっと、その理由に気がつきました。
もともとの話は
『男性が、スーパーで、小さな子ども連れの女性が総菜コーナーのポテトサラダを手にしているのを見て、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言ったのを目撃したという女性がそのエピソードをTwitter上に投稿した』というものです。
この話が事実かどうかは分かりませんが
正当な批判としては
「母親ならポテトサラダくらい作るべき」という発想への批判が挙げられます。
でも、この真っ当な批判ではわりきれないものを感じていました。
なぜ、わたしが批判よりも気持ち悪さを感じるかということです。
この間、ふと気持ち悪さの理由が頭をよぎりました。
結局、これって母親に対する批判ではなくて
批判をよそおった私生活の「のぞき見」なんです。
若い母親に対して言ったのは
相手が言い返せないと思ったからでしょう。
ハラスメント以前の行為です。
ここで感じるのは
全くかかわりのない事情も知らない相手に
突然、私生活をのぞき見される気持ち悪さです。
発言の本人はどう考えていたかは知りませんが
この人は自分の職場では普通に同僚(特に女子の)にこのような感覚で接しているのではないでしょうか?
日本では職場での必要を理由にして
「のぞき見」に近いことが平気で行われます。
特に、女子に対しては「結婚」「子作り」・・・ とかを
業務上の質問として回答を求めることが普通におこなわれています。
採用試験面接の席で「恋人」「結婚の予定」までを平気で聞くことが
一向になくならないことがよく話題になります。
これも本人は職務上の必要性だと思っているようですが
「のぞき見」を満足させるためのものと言われても反論できるのでしょうか?
特にたちが悪い例では「精神的痴漢行為」ととられても仕方がないものもあります。
このような習慣は簡単に行動でのハードルも越えさせてしまいます。
それが近鉄でのハラスメント事件でしょう。
※近鉄社員の就活セクハラは氷山の一角 就活生の4人に1人はセクハラ被害
わたしの勘ぐりすぎかもしれませんが
「ポテサラ論争」の根にはこのような日本社会の現状があると思います。