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「夫婦なら何でも分かり合える」は幻想である…医師・和田秀樹「お見合い結婚の離婚が少ない」納得の理由
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki
人間関係が上手くいく秘訣は何か。医師の和田秀樹さんは「『つかず離れず』のほどよい距離感でつき合うのが理想だ。
『近しい関係であれば何でもわかり合える』というのは幻想である。
かつて主流だったお見合い結婚は、何でもわかり合えるという期待を、互いにあまり持たない地点からスタートするので、結果として離婚が少ないとも言われる。
相手に過度な期待をしないことが『いい加減』なつき合いのポイントである」という――。
※本稿は、和田秀樹『65歳からのひとりを楽しむ「いい加減」おつき合い』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■理想は「つかず離れず」のつき合い
人間関係のトラブルはたいてい、互いの距離が近すぎることから起こるものです。
近くにいるほど、互いのいやなところが目につき、不満を抱きやすくなります。
人と人は、ほどよく離れているほうが、相手のいいところも悪いところも含めた全体像が見えて、いい関係を保ちやすいのです。
友達づき合いや近所づき合いはもちろん、親子や夫婦などの近しい間柄でも、「つかず離れず」のほどよい距離感でつき合うのが理想です。
ただ、現実にはほとんどの場合、「つかず離れず」とはいきません。
たとえば、老いた親との関係では、親が元気なうちは離れて暮らし、たまに様子伺いの電話をかける程度の、薄いつき合いを続けていることが多いと思います。
かつては「親孝行したいときには親はなし」と言ったものですが、長寿化が進んだいまは「親孝行したいときには親が要介護」です。
親の衰えが進み、いざ要介護になると、それまでほったらかしにしていた罪悪感も手伝って、親を自宅に呼び寄せ、熱心に在宅介護を始める。
■親の介護は施設を利用し、こまめに会いに行くといいが
その結果、介護を頑張りすぎて限界を迎え、親を介護施設に入所させると、今度は施設にいる親にほとんど会いに行かなくなる、というパターンがよくあります。
しんどい思いをして在宅介護を続ける必要はなく、むしろ施設を利用し、そのうえでこまめに本人に会いに行くほうがいい。
要介護の親を持つ人たちに、私は日頃からそう伝えていますが、その反対になりがちなのが実情です。
親の側が、体が弱ってくると子どもに甘えすぎてしまうとか、夫が定年退職した途端、何でも妻に頼りきりになる、というケースもよくあります。
ベタベタと近寄りすぎるか、突き放すか。
極端から極端へと振れてしまい、「いい加減」の関わり方ができていないことが多いと感じます。
距離が近すぎるとトラブルのもとになりますが、かといって突き放すと遠くなりすぎてしまいます。
適度な距離をとるのが大切なのですが、それがなかなか難しいのです。
■白か黒かで、その中間のグレーが認められない
近づきすぎたり、離れすぎたりと、人間関係でほどよい距離がとれない人は、「二分割思考」にとらわれている人が多いと思います。
「正義か悪か」など、ものごとを2つにはっきり分けてしまう、この思考パターンの人は、他人のことも「敵か味方か」に分けてしまいます。
そのため、味方だと思っていた人が、少しでも自分を批判すると、敵になったと考えます。
味方であっても批判することがあるとか、他人と完全に意見が一致しないのは当たり前といったことが認められません。
白か黒かで、その中間のグレーが認められない。そうした人は、すなわち「いい加減」ができない人です。
世の中はグレーだらけで、真っ白や真っ黒と言えることはほとんどありません。
にもかかわらず、それがあるかのような幻想にとらわれている人が少なくありません。
■真面目だから罪を犯さないわけではない
人気のあった芸能人が不祥事を起こすと総叩きに遭ったり、景気がよかった頃はもてはやされていた経営システムが、景気が悪くなるや全否定されたりと、日本人は極端から極端に振れやすく、「中道」とか「ほどよい」「適当」というものがあまりない国民性だと感じます。
それは、テレビの悪影響もあると思います。
テレビは基本的に、ものごとをいいか悪いかに単純化して見せることを志向するメディアで中間を認めません。
たとえば、事件を起こした人が「普段は真面目だった」などと、さも意外であるかのように報じます。
真面目な人が追い詰められて罪を犯すことなど、当然あり得ることなのに、単純に罪を犯したのだから「悪いやつ」だと決めつけているのです。
私が精神科医として、テレビ番組で犯人の人物像についてコメントを求められたとしたら、いろいろな可能性があることを前提に話をすると思いますが、それでは放送時間内に収まらないからと、遮られてしまうでしょう。
しかし実際、ものごとにはいろいろな可能性があります。
人間関係においても、「ほどよい加減」の距離をとるためには、白か黒かの極端な思考から脱却することが必要なのです。
■お見合い結婚で離婚が少ない理由
親子や夫婦、親友など、「近しい関係であれば何でもわかり合える」というのは幻想です。
「夫婦なんだからわかってくれるはず」などと、つい思ってしまいがちですが、「夫婦は他人の始まり」です。
夫婦だからといって、考えが何もかも一致するわけではありません。
どれほど熱烈な恋愛の末に結婚した相手でも、一緒に子どもを育てたり、親の介護に直面したりするうちに、「この人とは一心同体と思っていたけど、そうじゃないんだ」と気づかされることが、いくらでも出てきます。
かつて主流だったお見合い結婚は、何でもわかり合えるという期待を、互いにあまり持たない地点からスタートするので、結果として離婚が少ないとも言われます。
相手に過度な期待をしない。それが「いい加減」なつき合いのポイントです。
一方で、距離をとりすぎて、相手に「水くさい」と思われてしまうこともあります。
本当に困っているとき、問題が深刻であるほど、親しい人にも頼るのを躊躇してしまうものです。
そこで思い切って頼ってみたときに、断られたり、冷たい対応をされたりする可能性もありますが、「なんでもっと早く言ってくれなかったの、水くさいじゃない」と言われることもあります。
そして実際には、どちらかというと後者のケースのほうが多いと私は思います。
もっと素直に相手に頼ればいいのに、頼っていないということです。
近い関係性であるほど、相手に過度な期待をすることがある一方で、頼ればいいのに頼らない、「助けて」と言えばいいのに助けを求めないことがあるように思います。
近すぎると同時に遠すぎる。
「いい加減」ではないのです。
また、人目を気にしがちな人も、相手に何も言われていないうちから、先回りして自分の行動を抑制しているという意味では、人と距離をとりすぎていると言えます。
そこはもう少し他人を信用してもいいのではと思います。
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和田 秀樹(わだ・ひでき) 精神科医 1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
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精神科医 和田 秀樹
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