次の日、バツが悪そうに安藤君は私に言った。
「昨夜は申し訳ありませんでした!」と
私は別に気にもしてないように彼に言った。
「そろそろ帰りましょうか?」と
二人で東京に向かい羽田に着いたのはお昼ごろで空港で昼ごはんを済ませお決まりの
東京土産を彼に数点持たせ私は彼を見送った。
自宅に帰ったのは午後の6時を少しだけ過ぎた頃であった。
今年で4歳になる娘が笑顔で私を迎えてくれた。
「パパ!お帰り!」
そんな娘の笑顔を私は愛しく思い。私の生きるかてだと感じている。
妻の今日子は無愛想に私を迎え興味無さそうに母親と雑談をしていた。
妻がパートに行き始めた事を知ったのはその日の夜であった。
私への報告は何時も事後報告で私の事をよく妻と妻の親は大黒柱などと都合の良い時だけ
言うが実際は私は娘の父親と言う名のお飾りでしかない事は自分自身が一番、解っている事であった。
毎月、私の口座から30万円づつ妻の口座に自動的に振り込んでいる。
一度に渡してしまうと使ってしまうから!なんて私は妻に冗談話のように言ったが実はそんな簡単な話ではなく実は別れた時の私なりの自衛手段であった。
正直、この女に1億以上の金を渡すのは勿体無いと思っていたのだ。
人間の生きる原動力は何かと聞かれたら、私はきっと、こう答えるだろう。
「恋をする事だ!」と
人間の生きるエネルギーは愛だと思う。相手を思う気持ちが人間が生きる原動力になり
人間は生きて行けるのだと思う。
しかし、何時までもダラダラと違う人間を愛していても仕方が無いので人間はある時期になると一生涯、愛せる相手を探し始める。そしてその相手が見つかると結婚と言う名の儀式をして神の前で誓うのだ!
「もう、この相手以外は愛しません!」と
神はそんな二人を祝福し永遠の幸せを送ってくれる。
本来、結婚とはそんな物だと私は思っている。しかし、人間とは実に愚かな生き物で勘違いをするのだ!この相手を一生愛するなんて勘違いを・・
一番、不幸なのはそんな勘違いに気がつくことなく結婚と言う儀式を行ってしまった人間である。そんな二人は一生涯、愛してもいない相手を「愛してる」と錯覚しながら自分の人生の原動力に変えて行かなければいけない。
後戻りは出来ない。一度、神に誓ってしまったからには・・
戻る事はきっと、大いなる苦しみを意味する事なのだから・・
ふと、妻の顔を見つめ考える。私はこの女を本当に愛してるのか?と