「何でまた?あんなに愛し合っていたじゃないか?」
「旦那に女が出来たの!夫婦はやはり一緒に居る時間が無くなるとダメね!
私、最近、殆ど家に帰れなかったの!ホテルで缶詰状態で!あと1作書いたらその原稿料で家が買えるはずだった!だから私、死に物狂いで仕事をしていた。彼、その間に好きな女が出来たんだって!不器用な男なのよ!多分、騙されたんだと思う。相手の女に子供が出来たらしいの・・お金を沢山持って行かれたわ!財産分与だってさ!私が必死に貯めたお金なのにね!2人で住む大きな家の為に貯めたお金だったのに・・」
俺のせいなのか?俺の・・
俺がこの女の小さな平凡な幸せを壊してしまったのか・・
俺があんな事を言ったから、俺が恋愛小説を書けなんて言ったからこいつの小さな幸せを壊してしまったのだ。
「大丈夫かお前?」
そう私が桜に尋ねると彼女は瞳に溢れんばかりの涙を溜めて笑顔で言った。
「大丈夫よ!私には小説があるから・・」と
その後、桜は何かにとり付かれた様に新作を出し続けた。桜の独特の世界は多くの読者を魅了して今の地位まで彼女を押し上げる。
それと平行するように私と彼女の間には大きな溝が生まれ私は桜と少しずつ距離を置くようになったのだ。
昔からの小説仲間達は私を情けない男だと器の小さな男だと陰口を言った。
一緒に下積みの苦労時代を歩んで来た友の成功を妬み嫉妬している哀れな男だと噂をした。
しかし、私はそんな事は一度も思った事は無い。心から桜の成功を喜びそして、彼女の才能を一番、認めているのは自分だと思っている。
だけど、あいつの作品やあいつの顔を見る度に私は何とも言えない罪の意識に苛まれる。
それが辛かったのかもしれない。多分・・きっと・・
「先生!本当に大丈夫なんですか?」
本間が不安げに桜に聞いた。
「何がよ?何が大丈夫?なのよ!」
「い・・いや!上手く旦那さんに納得してもらるかと思って・・」
「あのね!本間!あんた私が幼少の頃、劇団いろはで子役をしていた事、知らないの?」
そんな桜の言葉に本間は驚いたように言った。
「えっ!本当なんですか?」と桜は含み笑いをしながら「嘘よ!」と答える。
「あのね~冗談を言ってる場合じゃ無いんですよ!本当に・・」
少し困り顔の本間を見つめ桜は笑顔で言った。
「本間!私が何で天才って呼ばれるか知ってる?」と
本間は少し考え首を左右に数回振った。
「あのね!天才は何でも出来るから天才なのよ!さぁ~物語のスタートよ!設定は天才女流作家と担当者が嫉妬深い旦那に言い訳に行く場面!スタート!」
そう呟くと桜の表情が変わった。
ピンポ~~ン!隣の部屋のチャイムを押す音が聞こえる。
私は不安げに玄関のドアを少しだけ開き外の様子をうかがった。
しばらくすると静かにドアが開き中から不機嫌そうな一人の男が顔を出す。
ほっそりした顔にふちの無いめがね、神経質そうな男である。
「どうも!本間です!友美、居ますか?」
彼は何気に本間を気に入っているらしい。本間の顔を見ると嬉しそうに言った。
「やぁ~久しぶりだね!元気にしていたかい?今日は何か?」と
「ええ・・ご無沙汰しております!実は今日、担当の先生と取材のために伊豆に来たんですけど先生がどうしても先日のお礼を友美にしたいと言われたものですから・・」
そう本間が彼に言うと彼はそっと視線を本間の横に立っている女性に向けた。
「本間さん!失礼ですがこちらの方は?」
そう彼が本間に聞くと本間は笑顔で言った。
「小説家の霧島桜先生です!ご存知ですか?」と
彼は一瞬、考えたような表情をして思い出したように言った。
「あ~~恋愛小説かの作家さんだね!うちの課にも数人、この方の熱烈なファンの子が居るよ!でも、そんな大先生とうちの友美がどんな関わりで?」
「ほら、先日、山梨に私の代わりに行ってもらったでしょ!その時の先生が桜先生だったんです!」
そう本間が彼に言うと彼は疑い深そうに桜の顔を見つめた。
桜は鞄から名刺を取り出し丁重に挨拶をした。
「どうも、小説家の霧島と申します。先日の山梨では奥様に大変お世話になりまして!
本来なら担当者の本間の仕事なのに、どうしてももう一度、お礼が言いたいと思いまして本日は失礼かと思いましたが寄らせて頂きました。」
桜にはまったく疑わしい所は無かった。100人の人間に見せたら全員が本当だと思うほどの迫真の演技である。
その証拠に友美の旦那はすっかり信用して上機嫌で妻を奥から呼んだ!
「どうぞ!立ち話もなんですからお入りください!」
本間と桜は家の中に招き入れられ消えて行く。
家に入り際に私に向かい桜が小さくピースサインをした。どうやら成功のようである。
私は静かにドアを閉め、椅子に座ると安心したようにタバコに火をつけた。
私の携帯電話が鳴ったのはそれから2時間後の事であった。
「桜様だけど!今、サンバレーホテルに居るから来てよ!」
そんな呼び出しに私は一抹の不安を感じながら家を出た。
「貸しだから!」確かにこれは大きな貸しだ。それでなくても忙しい売れっ子作家を仕事を放りださせこんな田舎までどうでも良い事に借り出したのだから・・
私は覚悟を決め車のキーを差し込んだ。
友美の部屋から友美のなんとも楽しそうな笑い声が聞こえた。
私は安心したように車のエンジンをかけ地獄の閻魔様の元に走り出した。