「世の中はそんなに甘くないんだぜ!」
その言葉はきっと、自分自身に言い聞かせた言葉だったのかもしれない。
玄関を出ると彼が夜空を見つめボォ~っと立っていた。
「すまないね!遅くなって!行こうか?」
そんな私の言葉に彼は怯えながら頷き、そして私の手に握られているボストンバックを見つめ、少しだけ安堵の表情を浮かべた。
全て話がついたのだと安心でもしたのだろうか?私はそんな彼の安堵の表情を見つめ叫びたい気持ちを必死に堪えた。
「安心してる場合では無いんだぜ!これからお前の地獄が始まるのだから・・」と
自宅の近くの小さな小料理屋に私達は向った。
もう少し歩けば駅の近くに大手の居酒屋チェーンの居酒屋が沢山あったが何となく何時も殆ど客もなく年老いた女主人が細々と経営するこの店が私のお気に入りだったのだ。
店の玄関を開けると女将の「いらっしゃいませ!」と言う声がする。
店内は予想通りに客は誰も居なかった。
「奥の座敷で良いかな?」
そう私が彼女に聞くとなんとなく空気を読んだのか彼女は笑顔で頷いた。
「ビールと今日のお勧めを!あとつまみは何時もの奴を適当に・・」
そう私は女将に告げると座敷に座った。
目の前に一人の若者が真っ青な顔をして疲れ果てたように座っている。
瓶ビールが二本とグラスが2個、運ばれビールの栓が抜かれた。
彼が私のグラスにビールを注ごうとビールに手を伸ばす。
私は手でそれを阻止しながら言った。
「君にお酌をしてもらう筋合いは生憎、無い」と
彼は差し出したビールを引っ込めると自分のグラスに震える手で必死にビールを注いだ。
「君は本当に馬鹿だよな!」
ビールを一気に飲み干し私は彼にそう言った。
「えっ・・いや!でも、私は今日子さんを愛しているし、それに・・」
そんな彼の言葉を遮るように私は言った。
「その事じゃないよ!君、僕に名刺を差し出しただろ?あれは頂けないよ!
だって君は僕の事を何も知らないじゃないか?そんな相手に自分の身分を教えるのは頭の良い人間がする事では無い」
「えっ!でも!あなたの事は今日子さんから色々と聞かせてもらってますよ!」
私はそんな彼の言葉を聞き彼をあざ笑うかのように唇を緩め呟く。
「あいつが知ってる事なんか本当の私の生活の10%にも満たないよ!
夫婦なんてそんなものだ!そんなものだよ!」
そんな私の言葉を聞いて少しだけ彼は怯えたような表情を浮かべた。
「現に私は君の会社の専務と友達だ!大久保って名前ぐらいは聞いた事があるだろ?
月に2度は仲間と一緒に飲んでいる。私が離婚した事は直ぐに噂になるだろう!
そうしたら相手は誰だ!って話になるよ!私は笑顔で大久保に言うよ!
お前の会社の馬鹿な若造だよ!ってね!」
少し意地悪が過ぎたようだ!彼の真っ青な顔は真っ赤に何時の間にか変化していた。
全身の震えが目の前に座っている私にも伝わって来そうなくらい震えていた。
私はさらに話を続ける。
「皆の前で恥をかかされた彼は憤激して言うだろう!その馬鹿は誰なんだと!
君はきっと、左遷になるよ!北海道の山奥か?遠い外国の田舎の子会社か?
どちらにしても君の未来は閉ざされてしまった。今日子は一緒になんか来てくれないよ!
あいつは強烈なマザコンなんだ!母親と離れるくらいならきっと、君を単身赴任させる!
それが悲しいかな現実だよ!」
そう言いながら私はもう一度、彼の顔を見つめる。
答えは?君はこんな私の攻撃になんと答える?
彼は意を決したように呟いた。
「それでも僕は今日子さんと結婚します!彼女を愛してるいるから!」
愛?愛とは実に素晴らしい!いや・・若さなのか?きっと、今の私には彼と同じ言葉は絶対に言えないと思った。
私はビール瓶を持つと彼のグラスにビールを注ぎなら笑顔で言った。
「今日子と娘を頼みます!」と
そんな私の言葉に彼は以外だと言う表情を浮かべ少しだけ安心したように微笑み言った。
「解りました!」と
そんな私達の空気を見計らったように女将がご自慢の手料理を運び始める。
家族を奪われた男と家族を奪った二人の男の夜宴はその夜、深夜まで続いた。
帰り際、私は彼に呟いた。
「裁判所でまた会いましょう!」と
そんな私の言葉に急に現実に戻されたように彼の酒でほんのり赤く染まった顔は真っ青にまた変化した。
それで良い!君はそれだけの罪を犯したのだ!一生、その事を忘れてはいけない。
誰かの幸せの裏側で必ず誰かが不幸になっている。それが社会と言う物なのだから・・
その日から2ヵ月後、私達の離婚が正式に決まった。
私は浮気相手の金田に200万円の慰謝料を請求した。妻の今日子には養育費の支払い義務の放棄と財産分与の拒否を要求した。結果的には小額の金と金田への慰謝料を諦める事で決着が着く事になったのだが、親権だけはどうしても手に入れる事は出来なかった。
それだけが心残りであった。その代わり月に一度の面会の権利を手に居いれた。自分の子供の会うのに権利も何も無いような気がする。でもそれがきっとルールなのかもしれない。