残暑お見舞い申し上げます。。

 

残暑コロナ禍の折

皆様いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で私OTO工房は感染も倒産もせず

何とかギリギリ生き延びております。

炎暑酷暑憎コロナのみぎり

皆様のご健勝とご自愛をお祈り申し上げますm(__)m

 

 

 

・・・

 

 

さて先日、地元荒川区のお客様ご所有イースタインの定期調律へ伺いました。

やはりこのピアノはとてもいい音だなぁと、帰宅後ため息をついていると一本のお問い合わせメールが手紙

 

『調律もがたがたですし、音も変に響くところがあります。なるべくきちんと修理・交換して、再び弾ける状態にしていただきたいと思っております。EASTEIN アップライトピアノ Bタイプ 88鍵 2本ペダル 黒』

 

とあった。こんな奇跡あるのだろうかとしばしボーゼン。。

 

この下向き音叉の刻印は古き良き時代のイースタインの証。

 

イースタインピアノは気骨稜稜な古き良き職人たちの手によって作られた正真正銘Made in Japanのハンドメイドピアノですが今となっては調律師であってもそう頻繁に出会えるピアノではありません。特にこれが「B」型となるとさらにハードルは上がります。

 

イースタインの調律に伺ったその数時間後に、出会う率の極めて低いイースタインBのメンテナンスご依頼を頂戴するなど誰が予想できただろう。これは一体どういう神の思し召しなのか。正直ちょっとビビりましたアセアセ がしかし次の瞬間僕はむしろ運命的なものを感じました。頂戴したメールからは相当痛んでいることが予想できましたが、微力ながらこれは何としてでもご要望通り「再び弾ける状態」にせなあかんと思った次第です。

 

 

この少しレトロな「B」の刻印も古き良き時代の"B"の証。

 

 

EASTEINは1949年に設立された東京ピアノ工業(株)という会社が製造していたピアノです。ピアノの製造工房は栃木県の宇都宮市でしたが本社を東京の銀座に置いていたためこの社名になりました。何種類かのアップライトと、当時小さな工房としては珍しくグランドピアノも製造していました。中でもこのB型はEASTEINが作ったアップライトピアノの中でも非常に特徴的な機種として有名なものです。実はこの"B" という型番は、ドイツピアノの名器として名高い

 

Blüthner 

ブリュートナー

 

の頭文字から取ったものなのです。

 

弊社所有の我が国ピアノメーカー年表に記された東京ピアノ工業(株)

 JISを取得した1962年以降のカタログ。響板は貴重な北海道産のエゾ松が使われている..

 

 

イースタインを作ったこの会社はとてもこだわりを持ったピアノ職人たちの集団として我々調律師の間では語り草となっています。以前も書きましたが、これまたちょっと前に調律師の間で話題となった漫画「ピアノのムシ」第1巻の中でもこのイースタインBが実名で大きく取り上げられていたほどです。漫画に取り上げられたことは確かに驚くべきことですが、イースタインを題材に選んだ著者はもっとすごいなと思います。相当ピアノの歴史について勉強されたのだと思います。

 

昭和のいぶし銀、イースタインだ!! ©荒川三喜夫

 

このイースタインピアノはよく「幻のピアノ」などと言われたりしますが、それはなぜなのか。一体このピアノの何がそんなにすごくて幻なのかと言ったら、それはきっとこの会社に関わった技術陣やアドバイザーの面々の凄さだと思います。松本ピアノというあの銀座山野楽器店の前身であった楽器製作会社の職人たちをはじめ、大隈幡岩杵淵直都・直知親子中谷孝男(ミュージシャン細野晴臣氏の祖父)、斎藤義孝・孝親子沢山清次郎、福島琢郎... と泣く子も黙るレジェンド級の名調律師&名技術者の草分け的存在諸氏が技術顧問として迎え入れられたのです。木工の加工から始まり部品の製造、組み立てまで可能な限り自社で行うことを目指していたようです。彼らの手やアイデア、志によって生み出された楽器なのですから、中途半端な楽器のわけがありませんし恥ずかしいものは作っていないはずです。ヤマハやカワイの後、この方々がどれだけ我が国のピアノ楽器製作において大きな功績や影響を与え残したかをここで説明すると、おそらく今回の修理が大幅に遅れると思います。のでご興味を持たれた方は各自ググってみてください※情報は少ないかもしれません。

 

あ、あとそれを知る近道として一つトリビア的なお話をご紹介しておくと、インディペンデントなこのピアノ製造会社が「郷愁のピアノ 〜イースタインに魅せられて〜」という一冊のノンフィクション作品となって90年代に出版されていたのです!このこと自体ピアノ同様非常に珍しいことだと思います。ここではその詳細は割愛しますが一つだけ一番驚くのは、このピアノ製造会社を立ち上げた社長含めた数人の男たちは、ピアノという楽器について最初全くの素人だったという点です。それはズブの素人と言ってもいいほどのレベルだったのです。それがどういう訳かいつの間にかイースタインピアノを作るための工房には上記レジェンド級のピアノ調律師や職人たちの磁場となり、名器と呼ばれるまでの西洋由来楽器であるピアノを創り上げてしまったのです。通常こんなことありえないわけで、多分今後もありえないわけで、だからきっとそういった事も含めて"幻"と呼ばれる所以なんだと思います。

 

この本はもちろん絶版で現在非常に手に入りにくい状況ですが、イースタインユーザーの方でこの本を見かけた方は絶対手に取っていただきたい一冊です。きっとイースタインというピアノがもっと好きになると、いや愛しくなると思います。

 

「郷愁のピアノ 〜イースタインに魅せられて〜」著 早川茂樹 随想舎

 

他にもイースタインメンバーの著書は我々調律師のバイブルとなっているのです。

 

楽器的に興味深いのは、このB型はブリュートナーのピアノを楽器デザインや音響など細部に至るまで忠実に再現する、というコンセプトの下に製作されている点です。ただ単にドイツの名器を表面的に模倣したのではない点が評価されているのです。まず下の写真のようにまるでグランドピアノを思わせる丸くくり抜いた鉄骨です。しかも響板の右側がカーブをとったデザインになってます。これは現代のアップライトピアノでは非常に独特で珍しいと思います。通常響板はなるべく面積を広く取りたいためボディー背面全体を響板とするものですが、モデルになった本家ブリュートナーがこのデザインのためこうなったのだと思われます。ただこの形状の響板はおそらく他のアップライトピアノには採用されていないのではないかと思います。少なくとも僕は見たことがないです。他にも中音部後半の駒が二つに分かれている点や鉄骨をくり抜いてピン板を組み込み、その上に美しい真鍮プレートを配している点などもこの楽器の特徴的なところです。とにかくとても手間がかかっていて採算が合うわけないと思わせる作りとこだわりが垣間見える楽器です。

 

このB以外にも斎藤義孝・孝親子が提案して製造されたとされる、オーストリアのベーゼンドルファーを再現したといわれる"T型"というのも存在します。こちらのピアノはEASTEINというブランド名ではなくY・SAITO&SONSというブランド名で製造されましたが僕はまだ出会ったことはありません。

 

 

二本ペダルの"B"もまた古き良き時代の"B"の証

 

ピアノという楽器は面白いもので、同じ型番であっても全く同じ楽器は存在しません。使われていた木材やその他細かい部分に到るまで製造年によって変わることもあります。極端なことを言えば、同じライン上で作っていて製造番号が一個隣の個体であっても、異なる音を発するという不思議な楽器なのです。またそれが大きな魅力でもあります。

 

ところでこのB型が完成したのは1954年(昭和29年)、今から66年前のことです。こちらのオールドイースタインは奥様のご祖父様のご友人が、東京ピアノ工業の方とお知り合いだったというご縁からかなり早い時期に手に入れることができたようだとお聞きしました。記憶を辿るとおそらく64〜65年くらい前には既に現オーナー様のお母様の手元に在ったそうですから相当古い初期のイースタインBであることは間違いないのです。東京ピアノ工業がJIS(日本工業規格)を取得してピアノに製造番号を刻印するようになったのは1962年からですのでそれ以前に製造されたピアノには製造番号が打たれていないと思われます。ただ今回のBの年代から考えて、もしかしたら試作品として製作したものをお祖父様が特別に譲っていただいた可能性もあるのです。ヨーロッパではよくこういうことが行われると聞いたことがあります。そういう意味でも今回のイースタインはかなり希少価値のある"B"なのではないか、というのが我々の推理なのです。ちなみに当時ピアノ本体(グランド、アップライト)と内部アクション共にJISを取得したのは河合(KAWAI)とイースタインの東京ピアノ工業の2社だけでした。しかし当時自分の娘(現オーナーのお母様)にイースタインを与えるというニクい選択が、白洲次郎的な目利きを思わせますサングラス

 

ついでにイースタイントリビアをもう一つ。女優の吉永小百合さんのお母様がイースタインユーザーで、娘である吉永さんも実際によくそのイースタインをお弾きになっていたそうです。吉永小百合さんが同社のグランドピアノを弾いているパネルも当時あったそうで、そのパネルは創業者である松尾新一社長の自宅応接室兼ショールームに飾られていたそうです。

 

このBの弦は総一本張り!グランドでなくアップライトです。

 

というわけでこの楽器の歴史を少し知りモチベーションも上がりきったところでいくつかの鍵盤を鳴らしてみて絶句..普通は長期間放って置いてもこれだけ音がバラバラに大きく下がりきってることは少ない。とにかくものすごい下がりかた。イヤな予感イヤな予感.. 試しにチューニングピンを何本かひねってみて不幸なことにその予感が見事に大当たり。一つ残らず全てのピンが激しくユルユル。いわゆる一つのピンズル状態。モチベーションとは逆に音は下がる所まで下がりきっていたというわけでした。。

 

お客様のお話ですと、15年ほど前に対応した調律師さんから「これはもう調律できない」と言われてしまい、どうしたものかと仕方なくずっとそのままにしておいたとのこと。思うにその頃からピンズルの状態であったと思われます。お祖父様が手に入れてくれたピアノで、母から自分が受け継ぎ弾き続けてきた歴史のある思い出のピアノを、調律できませんと言われたからといってハイそうですかと簡単に諦められるでしょうか。ピアノのメカニカルな部分については何もわからない(当然のこと)ユーザーの方に一体どうしろと言うのでしょうか。同業者としては、せめて一言ピアノの状態を説明してあげていただきたかったです。僕がピアノを診断している間、ご夫婦のなんとか直したい..という熱い眼差しが印象的でした。

 

全てのチューニングピンが見事にズルズル状態。。

 

そして僕は一縷の望みをかけて改善策をいくつか試してみました。

 

改善策1ではダメ。

改善策2で..まぁまぁ。

改善策3では、、ん?何とかいけるかも!

 

ということでピン板壊滅状態まではいってないようだと判断して、全てのピンに自分の命を懸けることと相成りました(大袈裟w)。とはいっても痛みまくったアクションの修理メンテナンスもあり、ピンの数は200本以上である。ピンの修理にはものすごい音(騒音)が出るのでお客様やご近所にも申し訳ない。いやはや。。だがしかしやるなら今しかねぇ、という長渕剛の歌にもあったような気がするし、今俺がやらずにいつ誰がやるのだ!と頂戴したメールの奇跡を今一度思い出し頑張らせていただくことに決めたのだった筋肉

 

虫に喰われたフェルト。お花みたいで一見キレイだが全て交換。

 

何層にも細かく重ねられた鍵盤。今ではあまり見かけなくなった..

 

ピアノカバーのロゴ、これなんと本物の刺繍です..

 

鍵盤は言わずもがな象牙です。

 

 

今日も暑くなりそうです。

これから有意義で長いメンテナンスの旅がまた始まります。

熱中症にならないよう、コロナにやられないよう、

コツコツこのピアノの歴史を噛み締めながら

頑張って行こうと思います。。

 

 

 

今日も僕のブログを読んでいただきありがとうございましたm(__)m

 

OTO

工房

 

 

 

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