( * ̄▽ ̄)v- さあ気合いを入れてクレイジージャーニーだ。↓見るとしばらくテーマ曲が頭から離れません。これとM-1のテーマ曲はよくそれを選んだなといつも思います。これは土俗的かつ新しいのが好きっすね。


 この日の私のメインは埋蔵金発掘だったけど、前半の「ヴィンテージTシャツを探す旅」も興味深かったです。岩谷幸舗氏という大阪のヴィンテージTシャツのバイヤーさんがバンコクなどで買い付けする様子が紹介されましたが、高いものは100万円超えとかザラなのですね。今はタイ等の東南アジアが買い付けのメッカだそうで、なぜ?と思ったら中東やアフリカへの救援物資の余りの中にレアな古着があり、それが東南アジアに流れてきて売買されてるんだそう。なので世界各地からバイヤーが集まるんですって。


( * ̄▽ ̄)v- 岩谷氏が探してたのは世界に7枚しか無いニルヴァーナのライブ仕様のTシャツで、もう2枚持ってるけどお店の目玉にするためにあと1枚欲しかったそう。膨大な枚数が集まる催しから高速で探し回り、着て歩いてるお兄さんを見つけたけど「200万円くらいで買ったし思い入れがあるから売れない」と言われ、同業者が持ってたのを見つけて心願成就。大阪商人だなぁって交渉術に感嘆しました。


 探す最中に頻繁に流れてた曲をフルで視聴したらあらこれ好き。ニルヴァーナ(涅槃)って活動期間は7年しかなかったのですね。ボーカルのカート・コバーンが亡くなった時、商業主義に乗りすぎてると名指しで批判されてたガンズ・アンド・ローゼスのアクセル・ローズが「売れたくなかったなんて甘ったれた事言ってんじゃねえよ」とコメントしたと何かで読みました。


(* ̄ー ̄)v- 売れるという事は必ずしもアーティストの望み通りの内容や経過ではないんすね。そこを納得できないと苦しいし、譲歩ばかりでは個人の良いところが損なわれる。ガンズもボン・ジョヴィをあんなんアイドルだと嫌ってた気がする。聴く側にはただ「ああいい曲だなぁ」なんだけど、難しいものですね。



( * ̄▽ ̄)v- さて本題。日本にはまだまだ隠された埋蔵金があるそうで、TBSと言えば赤城山徳川埋蔵金発掘プロジェクトで重機で掘って掘って掘りまくったけど見つからず、それを支えるバブルも弾けて幾歳月。トレジャーハンティングのメインは水中考古学の沈没船捜索に移ってきてますが、文字通り土くさい「陸の埋蔵金」はわたくし大好物でございます。



 齢76にしてモチベーションが衰えぬ埋蔵金研究家の八重野充弘氏、再登場をお待ちしてました。前回は福井県の旧日本軍の隠匿財宝の探索がto be continuedになってたのでその続きかと思ったけど違いました。名言は「土を掘るより資料を掘れ」と「埋蔵金伝説の99%は嘘」で、とくに前者にはたぎるものがある。埋蔵金伝説は全国各地にありますが、私はその言い伝えを読むだけで血沸き肉躍るものがありありです。


 歴史書とか古文書には一次資料とか二次資料とかいう格付けがあるし、そもそも偽書か否かで論争になる事もある。その時代の噂話を記した古文書も伝聞が元なので、まことしやかだけど事実かどうか分からない。おお本棚に専門書に紛れて学研の「〇〇のひみつシリーズ」みたいなのがある。こういうのは入り口で、そこから広く深く辿っていくのが楽しそうですね。このお年でこういう本も書架にあるって素晴らしい。


 八重野氏が信憑性が高いと厳選されてるのは6ヶ所で、氏は徳川埋蔵金は赤城山でなく片品村派。ええー武田信玄のはおいらん淵じゃないの? 金山の廃坑に埋蔵金を隠し、鉱夫をお客にしてた遊女を始末したって言い伝えがあり心霊スポットにもなってますが、近代に金の延べ棒と判読不能なメモを持った探索者が遺体で見つかった事があるとかで気になってます。青木ヶ原樹海って掘っていいのかすら。あと奥州藤原氏もかなり埋蔵金伝説がありますが、東北ないのかー。関東は徳川吉宗が財政難を打開するために埋蔵金探しをさせてたと何かで読んだ事がある。関東以北は関ヶ原の戦いの後や戊辰戦争の頃に大名や藩主が没収されるのを防ぐために隠したとされる埋蔵金が多いかな?  大きな政変には埋蔵金伝説がつきまとうみたい。


 しかし八重野氏が今回選んだのは出身地の熊本県の「天草四郎の埋蔵金」で、氏が初めて埋蔵金探しに目覚めた場所だそう。当時の埋蔵金研究の第一人者に畠山清行氏という方がおられ、その方との交流もあったそう。1974年から何度も探索されてました。

(* ̄ー ̄)v- 埋蔵金伝説の始まりは1637年(寛永14年)から翌年にかけて起こった島原の乱で、徳川幕府三代将軍の家光の治世下。キリシタンの乱と見られる向きが大きいですが、島原と天草の領民が生きていけないほどの重税に反発して起こった一揆でした。けれども農民の土一揆ではなく、国替えされた後に刑死した有馬晴信・関ヶ原の戦いの後に処刑された小西行長(共にキリシタン大名)の遺臣に組織されていて、合流した島原と天草の一揆勢は原城跡に籠城して半年間持ちこたえました。

(* ̄ー ̄)v- 幕府軍はのべ12万4000人の軍勢をもって乱を鎮圧。原城跡に籠城していた3万7000人は落城前に1万人投降したとも言われますが、残りは女子供も含めてすべて殺害。乱の御旗だったとされる天草四郎も殺されましたが、一揆勢は落城前に再起の為に財宝を池に沈めたと言われます。何でも小西行長の遺臣が一揆の評定衆のひとりで、その人が財宝の隠し場所を記した古文書が江戸日本橋の薬問屋の蔵から出てきたとか。


 さらには近代に小さな金メッキの十字架が天草で見つかり、それには「さんしある二  こんたろす五 でうすのたから しづめしづむる」と刻まれていた。これはポルトガル語で「聖遺物二つ  十字架五つ」となるため、それに加えて「でうすのたから」が池に沈められてるのではないかと言われるようになったんすね。↓何だか財宝の詳細が細かくなってるけどこんな感じ。


 ↓前回のスペシャルではその探索の記録が流れましたが、池の水を抜くポンプが目詰まりして中断になってました(涙)  その後に福井県の旧日本軍の隠匿財宝を再探索してたから今回はそちらだと思ったけど、ロマン度はこちらの方が上(当社比)。まずは財宝が沈められた池というのは何処だろう?

 八重野氏はさまざまな資料や現地でのリサーチから天草市河浦町にある柱岳(432m)のふもとに着目しました。


(* ̄ー ̄)v- ただ八重野氏は十字架に刻まれていた暗号の「さんしある」 から?「三角池」という池を想定しており、現地にその名前の池はないみたいですがそれらしき池(と言うか湿地)を発掘場所に定めてました。


 そこは街道に近いそうで、ご当地の天草テレビも取材して書籍を出したりしてますが、今の天草下島広域農道という道に近いところ。一揆勢や離脱した人々が通ったという言い伝えのある場所みたいです。


 そこでは排水しきれず完全な発掘作業か出来なかったけど、泥の中から木の板が複数出てきました。ひょっとしたら財宝を納めた箱かもしれないと言う事で、いちばん思い入れのあるここにまた今回も挑まれました。


 前回取り上げられた福井県の隠匿財宝は標高800mくらいにある坑道?が発掘場所だったけど、ここはそこまで高い場所ではないみたい。けれども山中で傾斜のある場所で、過去のジャーニー(その道のコアな方)で重機模型職人のケンさんに「重機を持ち込めるか?」と尋ねたところ、そこまで行ける重機は無いとか。うーん、赤城山徳川埋蔵金プロジェクトってその辺どうだったんだろう? めっちゃ大きい重機が複数入ってたけどなぁ。

 さらに「飢餓を無くすために地質を調べまくっている」藤井先生にも協力を仰いでました。八重野氏は地下1.5mまで有効な金属探知機を用意されていて、えっ深さ足りなくない?と思ったら、三角池の土は400年で20cmしか深くなっていないとか。土砂崩れがありそうな場所ではないからみたいですが、そんなものなのかと新鮮でした。なら赤城山徳川埋蔵金も、あんなに掘らなくても良かったんじゃ?・・・・


 ならばこの金属探知機で十分・・・なのかな。これでも1台100万円するそうで、八重野氏の私物。TBSに往年の資金力はもう無いのか。バブルって凄かったんだなぁ。恩恵に預かった記憶がありませんキリッ!!


 おおこれが天草四郎像か。どうしても「魔界転生」の沢田研二のイメージだから違和感がある昭和の乙女(涙)  妖しくお美しかったなや。


 発掘初日にイイお言葉を口にする八重野氏。トレジャーハンターには↓こういう金言かあるんですって。


(*  ̄▽ ̄)v- 別にトレジャーハントに関わらず、ここ一番って時に使えますね。「今日がその日だ」って、ちょっと中2病ぽいけど、だがそこがいい。こういう風に老いたいものだと思います。