娘の婿殿のお父さんが亡くなった。
長いこと患っていると聞いていたが、コロナ禍や、双方の体調も鑑み直にお目にかかることがないままのお別れとなり、残念でならない。
テレビ電話でお話しした時の、お元気そうな様子と、満面の笑みが忘れられない。
婿殿の話によると、
「とにかく厳格な父親」
とのことだったが、娘のことを気に入って下さり、婿殿のお母さんも
「Mちゃんが来るのが本当に楽しみで、元気が出るんですよ」
と言ってらした。
娘とて、会う機会は決して多くなく、私からしたら
「ボロが出る前の段階」
に過ぎなかった気もするが。
義理の縁は短かったとはいえ、父君である。
葬儀次第や日程がどうであれ、
「必ず行きます」
と娘に連絡した。ここ数ヶ月は入退院を繰り返していたそうで、いつ何があっても…という状況だったというが、息子によると
「正月にリモートで会話した。普通に話していた」
ということだった。
婿殿には兄がいて、現在は仕事で大阪在住。婿殿もお父さんが亡くなった日は「金沢で仕事」で間に合わず、娘も仕事。すぐ駆け付けられる距離ではないので、ご遺体が葬祭会館に移される際は、お父さんの会社の従業員が手伝ってくれたそうだ。
今回は無宗教での家族葬だった。日程が決まり娘からの連絡が来た。
日曜が葬儀と思っていたが月曜日だという。
息子は月曜休みだが、月の第二週は火曜日も休みとなり生憎予定があって月曜は無理と言う。
娘は
「生前、直にお会いしてないのだから、ぜひとも火葬前に来て欲しい」
と言う。地域によって火葬が後先でそれぞれ違う。それもそうだなと思い、納棺が土曜日だというので
「じゃ金曜のうちに移動してホテルに泊まろうかな」
と言うと
「トコジラミが心配だからダメ!!!」
と心配される。
「インバウンドで先月なんか物凄い数の・・・」
なんでも海外の旅行客が押し寄せたのだそうだ。
娘はパパパッと何か調べ
「会場は駅の傍だから、そっち〇時の新幹線に乗れば・・・」
と余裕で間に合うと言う。
うーん・・・・と息子にどうするか聞くと
「朝早く、車だな」
ということで乗せていってくれると言うからありがたい。
その旨娘に連絡すると
「オヤジも来るって言うけど、日程調整する?」
娘に気を使わせてしまっている。
私は元亭が今どこに住んでいて、どこで仕事しているかは全く知らない。
長いこと海外赴任していたが、息子の結婚前の両家顔合わせの時、
「帰国して北陸の工場と横浜の本社と半々」
だと、嫁さんのお父さんとの会話で聞き知っただけである。
「それには及びません」
とだけ言い、ふと思い出して過去を紐解いてみた。
こんなこともあるのね・・・。
偶然にしてはその符合にギョッとした。
婿殿のお父さんが亡くなった日は、息子がまさかの国公立前期試験に合格した日で、今般葬儀のため出かける日は、大学を見に、と、4月から住む部屋を決めるために、息子と出かけた日と同じだった。
一周回って家族だった私たちはそれぞれの場所にいる。それぞれ元気で、いる。
子供たちは大人になり、それぞれ家を持ち大切な人と、いる。
土曜日。息子が早々に迎えに寄ってくれた。私はとっくにご飯は済ませたが、息子はぎりぎりまで寝ていたはずなので、おにぎりを作って持った。夫に見送られ、車が動き出す。
「ちゃんと寝た?」
「寝た寝た」
「朝ごはん食べてないでしょ、おにぎり作ってきたからさ」
息子が頬張るのを見てホッとする。
「ここからだと片道3時間見ないとね」
「途中雪が無ければいいな」
ボソボソ話しては、会話が止む。
娘や嫁さんだと、話が途切れるということがないので戸惑うが、もともとこんなだったな、とも思う。
「昨日ちょっと思い出してさかのぼったらさ、あちらのお父さんが亡くなった日はアンタが合格した日で、今日はアンタと二人で大学とアパート探しに行った日なのよ」
「そうなの」
「偶然とはいえ、なんだかね」
あの頃は粉骨砕身、吹きすさぶ風に逆らいながらグイグイ進んでいたが、今は息子の運転で楽チンな身分となっている。
途中のサービスエリアでコーヒーを買い、また北を目指す。高速は空いていて懸念した雪も降っていない。県境あたりで霙になったが、大したことは無く、津軽富士が見えた時は声が出た。