笹の葉さらさら |  お転婆山姥今日もゆく

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 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

伯父伯母からは四季折々、ささやかながらもけじめのある行い、祝いごと、そういうものを見せられ、教えてもらった。

庭の一角に笹竹が一叢あった。門を入るとすぐ飛び石があり、その左に家屋をそっと守るように生えていた。

地下茎が伸び、侵食甚だしいはずの笹竹であったが、伯父伯母の手入れが行き届いていて、過不足なくつつましく佇んでいた。

新芽の頃は葉が細く突き出てくる。そっと抜くとその葉はくるくると巻かれてあり、そっと開くのが楽しみだった。おみくじを開くような感覚である。

いくつか抜いて、開くことを繰り返す。もちろん「当たり」など出るはずもない。

がっかりした途端飽きてしまい、幼い私は不満顔で飛び石を跳ねながら、母屋に戻るのが常だった。

 

七夕近くなると、伯父が笹竹を2本伐りだして、軒下と井戸の柱に括りつけた。

伯母は心得て、折り紙や半紙、クレヨンや色鉛筆を出してくる。

縁台で短冊や飾りを作るのだ。

 

色紙は沢山あったが、金銀に光るものは子供心にどうしてももったいなく思え、いつもそれらは我慢していた。幼い私が何を願うだろうか。今はもう思い出せない。字を書くよりも何か絵を描いていたと思う。伯父と競うようにいくつも描いては、ヒゴを通して飾る。

伯父は器用に網飾りやちょうちんを次々とこしらえる。

私にも教えてくれ、最初こそ不格好でもすぐに伯父と同じように出来上がるのが嬉しかった。

 

細く切りそろえた色紙は次々と輪っかにして繋げ、クリスマスツリーのモールのように飾り付けると華やぎが増した。

 

雨になりそうなときは玄関内に避難させ、梅雨の晴れ間の時は、重苦しい湿気を含んだ風でも、軽やかに揺らぐのだった。

 

伯母はその頃、梅干しの漬けこみに余念がなく土用干しまで忙しい。

彼女は黙々と、しかし楽しむように作業をするのが常で、夜遅くなっても離れで一つ一つ丁寧に扱いながら整えていくのだった。

 

あれから何年が過ぎただろう。

私の子供たちは私ほどは、折々の行事が染みついていないかもしれない。ささやかな楽しみは子供心に季節の侘び寂びを知らず植え付けたような気がする。懐かしい光景が今も鮮やかに蘇る。

 

街中での七夕祭りは8月だったが、その頃にはもう秋の虫が鳴き出した。四季折々、きっぱりとしていた。

 

 

古いアルバムをひっ張り出して見ていたら、幼稚園の頃のが出てきた。

年長組だけで、こんなに子供がいたのね。みんな浴衣を着せられ、殊勝な顔していておかしい。

不意に歩き出す、とか、言うことを聞かない子はいなかったな。最低でもこういうシーンでは(笑)。

 

さて、私はどこにいるでしょう(笑)。