ミシンと手縫いどっちが得意?
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だそうです。
ブログネタなど、いつもはスルーするのですが、ふと思い出してみました。
ごくごく幼少期、黒々とした重たい足踏み式のミシンは、使われることなく家の一角にデン!!!と置いてあった。
母も伯母も所有していたから、昔はみな欲しがって無理にでも購入したのだろう。
手縫いとは全く違うスピード感に驚きながら、いろいろ作ったと想像する。
既製品よりずっと安上がりに、衣服など作ったのだろう。
足踏みミシンの使い方は教わったが、椅子に座ると幼い子供の足では届かず、ほとんど立った状態で片足でやった記憶がある。それで、学校に提出する雑巾を縫ったのが最初で最後だ。
伯母は、一日の仕事と家事が終わると、小さな引き出しを引き抜いて座卓に置いた。
引き出しの一つが針箱として使われていたのだ。
それで、チクチクチクチク、いつも針仕事をしていた。
何か大きいものを縫っていたわけではなく、裾のほつれや、靴下の穴をかがっていたようだ。冬が近くなると、綿入れ半纏などを私や伯父、私の母の分まで縫ってくれた。伯母が自分の物を縫うことは無く、なぜ縫わないのかと聞くと
「ママのはいいの」
という返事が常だった。
誰かのために何かをすることが張り合いというより、そうしないとたちいかない歳月ゆえのことだったのだと、今になってしみじみとわかる。
母は菓子箱を針箱にしていたが、体調が悪いのでそれで何かをするのはほとんど見たことがない。
伯母に言わせると、
「あんたのお母ちゃんは、裁縫も編み物も達人で、ママなんか負けてしまう」
母がその信じがたい話を、私に証明してくれたのは、小4の頃。
そろばん入れを縫ってくれた時だった。手縫いで、きちんとした縫い目と端切れを使ったあずき色の袋は、子供の私の目にも驚くものだった。
この頃には家に電子ミシンもあったのだが、母がなぜ手縫いをしたのか。
ミシンを出すまでもないささっと済む程度のことだったのだろう。
私は、日常の大体のことは伯父伯母に教わり、手仕事は小さいころから好きではあったが、教えを乞うて基礎から学んだわけでもなく、せっかちゆえにすぐ覚えた気になり、躓くと変な負けん気が強いから改めて聞き直すということがなく、遠回りをしながら何となく出来るようになったというレベルだ。
ミシンも手縫いもどちらも好きである。
前に書いたが、コロナでマスクが払底した時は、あの人この人も手に入らず苦労しているだろうと勝手に心配し、朝から晩までマスクを縫い続けた。最初は手縫いで、これ以上はないほど丁寧に。
それでは間に合わなくなり、ミシンを出してきて沢山縫ったことも過去の話になってしまった。
当時はとてもありがたがられたが、今はもう布製のそれをわざわざつける人はいない。
夫も私も、である。
何枚もあるマスクは劣化することもなく、袋にまとめて入れてある。
いつかまたや役に立つかも・・・と取っておいても結局誰も使うことなくゴミとなるのだろうが。
マスクブームが去り、マスクを作ろうと買っておいた布で縫ったトートバックは、友人知己に押っ付け、それでも喜んで使ってもらっているのが嬉しい。
この冬は、厚手の靴下の繕いと補強ばかりして過ごした。
夫は冬場靴下を二枚重ねで履くのだが、上に履く大き目の厚手の踵やつま先がよく薄くなったり穴が開く。買いに行くほどのこともないので、刺繍糸を使ってダーニングという補修方法である。
補修だらけ。でも、楽しい(笑)。洗濯のあと、劣化部分を探して、少しでも危険そうなところを見つけると、針箱をニタニタと出してくる私は一体・・・( ̄▽ ̄;)。
3月になり、外猫たちの命日が続く。
明日は赤鼻(2020年)、明後日は、ろみお(2019年)。彼らを思い出しながら、春の残酷さを思いつつ、今日は防寒ゴム手袋の中を繕おう。