赤い鍋 3 |  お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

娘がジェラートを食べながら思い出し、言い出したのはカボチャにまつわる母親である私の黒歴史だ。

 

私の両親が二人とも身罷ったあと、しばらくの間、月に最低1.2回ではあったが週末は実家に通い、窓を開け放ち空気を入れ替えたり、草むしりをしたりして過ごしていた。

子供たちはまだ小学生で、当然ながらいつも同行していた。

 

ある年の今時期の事。

父の7回忌と母の3回忌を併せて行い、上の子はもうすぐ中学に進学という頃で、今後は部活だなんだと私も込みで巻き込まれ忙しくなる。

仕事もあるしもうここに住むことはないのだと、法事の後に家を片付け畳むことにした。

その準備もあり早めに帰省すると、濡れ縁に大きなカボチャがゴロゴロと置かれていた。

 

 

お向かいのAさんは、ここらが住宅地になり家が建つ前から居を構え住んでいた。

酒癖の悪いオッサンとガーガー口やかましいオバハンであった。

酔っぱらってクダをまくオッサンを大声でどやしつけるのが有名で、その分周囲の人たちはヒッソリと暮らしていたそうである。

私の親や周りの人たちは、後から家を建て引っ越してきたのだが、物静かな人たちだったので、そのヒッソリ具合もいかばかりであっただろうか。

 

オッサンもオバハンも私の親よりずいぶんと年が離れていて、私の親が亡くなる頃は老夫婦となっていたが、相変わらず元気で大声でまくしたてながら大工仕事や畑仕事に余念がなかった。

私が直接関わったのは、親が死んだときに手伝いに来てくれたからであり、私にとってはありがいことであった。

 

 

カボチャはそのAさんのバアサンが置いて行ったものらしい。

お礼がてら確認に行ったが呼び鈴を押しても鍵がかかっているし出てこない。

大声で話している声はずっと聞こえているのだが、耳が遠くなっている二人である。

 

 

田舎はどこでも自家消費する程度の野菜を折々作っているので、時期になるとどこに行っても同じ物を物々交換したり、留守の間に置いてあったりする。

カボチャは放っておいてもいくらでもできるのに、わざわざいくつも植え、収穫時期になると重たいし場所をとるし、他所にあげようと持って行っても断られるか、後日倍になってお返しがあったりする。

で、畑をやっていないウチの濡れ縁に、大きなカボチャが12個置かれていた。

 

私は困惑した。

「・・・お、大きい・・・」

 

当時住んでいた盛岡の家に、3個のカボチャが既にある。それも

「お裾分け」

と数日前に元姑がくれたものであったが、当時の亭主はカボチャ嫌いで、天ぷらにしても煮物にしても、ポタージュなんかにしても怒るのである。

何で食べないのかといっても

「嫌いなもんは嫌い」

と言って決して手を付けないのだった。

 

子供たちに好き嫌いなく食べなさいと言っても、嫌いとは言わないまでも彼らが食べる分はたかが知れていて、食材が無駄になるのを嫌う私には、実に困惑するのがカボチャなのである。

切って冷凍したり料理をアレコレ考えるのだが、その大きさに閉口するのが常であった。

 

「アンタたちのばあちゃんたちが小さい頃は、戦争の後で食べ物が無くてねぇ・・・」

なんて話しても、そもそもカボチャを持って来たのは「ばあちゃん」で、カボチャを持て余し寄こしたに過ぎない。

その息子である父親が食べないものだから、子供に対しての説得力には甚だ欠けるのであった。

 

 

帰宅してお茶を飲みながら娘が言ってくる。

 

「そういえばカボチャに困って、帰り道でさぁ・・・。あれ、Aさんがくれたというか、置いてったんだよね」

 

ウッ・・・チクショー覚えていやがる・・・。言うな、皆まで言うな!!!

 

「そうそう、今時期だったねぇ・・・」

 

娘の目はもうとっくに笑っていて

 

「お供えとか言ってさぁ・・・」

 

夫も聞き耳をたてているではないか。

娘にばらされる前に懺悔しようではないか。

 

「あの時はねぇ、片付けた荷物やっと車に積んで、アンタたちがその隙間に座るような状態だったのよ。そこに大きいカボチャ12個なんて入る余裕など・・・」

 

「何個持ってったんだっけ?」

 

「頑張って7個・・・、残りは濡れ縁にそのまま・・・」

 

「それどうなったんだっけ?」

 

「あとからAさんから電話が来たのよ、大きい声で5個残ってたって・・・」

 

「えー、そうなの? どうしたの?」

 

「積み切れなくてまた後で取りに行きますとかなんとか・・・」

 

「よく言うよ!!! 積んでったのも結局道すがらさぁ」

 

「そうだよ、神社に奉納とか言いながら・・・」

 

「そうそう、お供えとか言いながら。当時は子供だから、なるほどと思ってたんだけど、実際は要らないものを神様に押し付けて逃げたんだもんね」

 

「え、そのまま純な気持ちでいてくれればよかったのに。悪気はなかったのよ・・・」

 

ハギレの悪い私に

「よく言うよ!!! アチコチ小さな神社とかお地蔵さん見つけるたびに一個ずつさ」

 

「・・・そうだよ、だからわざわざ普段通らない道を通って帰ったのよ・・・」

 

 

こういう話になると、常識ある方は眉を顰めると思うのだが、ウチの場合大爆笑になる。

 

「ま、わかるけどね、あのカボチャを恩着せがましく置いてく方もどうかと思うよ、自分の所で要らないからなのに」

 

「昔の人は食べ物に苦労したから、余るほどないと不安なんだよ多分・・・」

 

娘は

「それにしても一個でも重たくて大きかったよねぇ。神様は喜んだんだろうか。モノは言いようだよねぇ、お供えとかあたかも善行しているみたいなさ。子供の純な心を最初に裏切るのは、おとなでまず親なんだよねぇ・・・」

大爆笑しながら、

「ウケルー!!!」

なんて言うのだ。

 

 

話は違うが、従姉は北海道の大農園に嫁ぎ様々な野菜や果物を作っている。

夏はスイカやメロン、トウモロコシなど見目形、大きさ、味とも絶品である。

今時期は毎年ジャガイモを送ってくれる。

メロンなどは物凄く高価でもバンバン売れるそうなので、どれが一番収益に貢献しているのかと聞いたところ、意外にも

「カボチャがダントツ」

 

私が数個の始末にアタフタしたのと何たる違い!!!

天晴な話である。

 

 

そういえば赤い鍋というタイトルだった。

娘に息子夫婦から届いた鍋を見せると、自分も色違いの全く同じ物を使っているという。

 

「Yちゃんも使ってるってよ、アンタたち若いのに良いもの使ってるのね」

「青は限定品で、良い色だったので買ったよ」

 

「無水調理で野菜なんか美味しく仕上がるよ」

などど使い方などアレコレ教えてくれたが、私が立派な鍋で最初に作ったのは、大量の豚汁であった。

 

夫も娘もキイキイ喜び、から揚げとともに勢い込んで食べ、食事の後はケーキも食べると、娘は

「あー美味しかった、じゃあまたね」

と帰って行った。

 

私の誕生日祝いと言っていたが、変な事ばかり思い出しては笑われる。

私が身罷った後も、どうせこんな話ばかりで笑われるのだろうと・・・ブツブツブツブツ・・・。

 

 

追記

 

カボチャのAさんご夫妻であるが、ジイサマは4年前に亡くなったが、バアサマは娘さん宅に引き取られ、大事にしてもらっているようですこぶるお元気である。めでたしめでたし。