石鹸つれづれ |  お転婆山姥今日もゆく

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 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

石鹸をシャボンと言っていたのは、大正生まれの伯父であった。

(シャボンはセッケンを意味するポルトガル語のサボンsabãoが語源)

今更調べてみたが、石鹸は古代より使われてきたものであり、実に身近で必要不可欠なもののひとつである。

 

いつ頃からか忘れたが、我が家では入浴時、液体のボディーソープを、手洗いには薬用ミューズ、これも液体のもの、最近だとプッシュすれば泡になって出てくるものが出回り便利だと思って使っているが、この前ドラッグストアでふと目についたのが、「牛乳石鹸」であった。

特段避けていたわけではないが、なぜ液体に替えたのか自分でも不思議であった。

 

子供の頃は、確かにコレが風呂場にあった。

 

   

 

へぇ、まだあるんだ、と何となく手に取った。

そうそう、この重さ。懐かしいな。

石鹸の香りも懐かしい。今のように、アロマだなんだなんて数多くの種類ではない、きっぱりとした石鹸の香りに惹かれ、赤箱を購入して早速使った。

 

最近のを貶すつもりはないが、今はいろいろ添加されていて、しっとり感があるのが良いらしいのだが、いまひとつ触れて残るそのしっとり感が故に、どうもスッキリした気にならなかったのは夏場の事だったからかもしれない。

久しぶりの牛乳石鹸を泡立てて洗ったら、実にさっぱりした。

泡切れもよく、普段はシャワーをジャージャー流しても手に残るしっとりしたヌメリが無い。かといってツッパリカサカサ感も無い。

 

そういえば昔はシャワーでは風呂に入った気になれず、きちんと湯に浸かり、体を洗うときは固形の石鹸をタオルやスポンジでよく泡立て、ゴシゴシとやった。

そして風呂桶の湯を手桶で汲んで、大事に使ったものである。

泡切れが良いから、大した回数を汲んで流すこともなかったが、次に入る人のために水を足して追い焚きをしたり、幼い私にもそういうことを教えられ、気を使ったものであった。

追い焚きといってもボタン一つではなく、ごく幼い頃は木の桶の鉄砲風呂だったので、脇に積んである割った木を「テッポウ」の中に追加して燃やすのである。火種が足りない時は、吊るしてある新聞紙や広告紙を捩じって丸めて焚きつけにもした。それを幼稚園児の私でもやっていたものである。

 

固形石鹸は学校でも手洗い場にあった。

 

よそは知らぬが、ネットに入ったレモン石鹸というものだった。

懐かしいな。

沢山の子供が次々使うので、石鹸はすぐ小さく細くなった。それだと心許ない気がして、たくさん残っている方を選んで洗ったり、新品が補充されると、一番乗りするのが誇らしいような、悪いようなそんな気持ちだった。手洗い場はいつも賑やかだった。

 

 

 

テレビCMで「クリームみたいな石鹸」という歌が流れ、その泡のきめ細かさに惹かれた人も多かったようだ。

ウチにそれが登場したのはいつだったか知らない。

出始めの頃は牛乳石鹸より割高で買う気もなかったようだが、今となってはいつの事だったか、親や伯父伯母に聞くすべもない。クリームみたいな泡というのはどんなものだろうと密かに憧れていたものである。

 

ある日それは登場し、開けたばかりの新品に前日までの薄く小さくなった石鹸が乗っていたのは覚えている。

小さくなった石鹸は次のと合体させ最後まで使い切るものであった。

憧れの石鹸は、牛乳石鹸より若干小振りな気がした。

今は、液体ソープの

「専用ボトル」

だの

「エコな詰め替え用」

だの喧伝しているが、昔は紙箱に入っていて、分別なども必要なかった。

エコなど声高に叫んだり心掛けなくても、シンプルで面倒も少なかったことに今更気付くのである。

 

時は流れてウチの風呂場には、オーガニック素材の液体ボディーソープが入ったボトル、脱衣所にはそれの詰め替え用があるが、買い足すのは牛乳石鹸となった。

先日また買い置きにと物色すると、クリームみたいな石鹸もあり、とっかえひっかえしようと

「リフレッシュシトラスの香り」

というのの3個パックを購入した。

理由は、石鹸の香り以外に、柑橘系の香りが好きだからである。

 

 

 

そういえば洗濯用も固形石鹸だったな。

 

母はなんでも洗濯機に放り込む人だったが、伯母は、洗濯機を回すほどの事でもない小物、タオルやハンカチ程度はその都度固形石鹸で洗っていたものだ。

もっと大きいものでも、天気のいい日などは洗い桶に洗濯板という布陣でゴシゴシやって、物干竿にズラリと干し終わると、実にこざっぱり清々した顔をしていた。

 

ああいった作業は、心を鎮める作用があったのかもしれないと、伯母の心を慮るのだが何があったのかも知らないし、聞く術もないし聞いても何だったべねぇ・・・と意に介さなかったであろうと詮無いことを思う。

 

まめに立ち働く伯母の手は当然ながら働き者の手であり、指先は、冬になれば皹が切れて痛そうだったが、その「献身」が温かい思い出となり、いつまでも心に残っている。

自分が大人になり親になると、自身のことなど後回しになってしまうものだと、つくづく思い知った。

最近では、一日の事が全て終わり、さて、寝る前に・・・とハンドクリームを塗ると、猫たちがなぜか排泄をするのが常である。

始末をして手を洗うので、ハンドクリームはなかったことになる。

そして、もうそんなことなどどうでもよくなり、欲も得もなくベッドに横になる事が多くなった。

 

シャボンの香りは、遠い日々を鮮やかに思い出すもののひとつではある。