成人式といえば、1月15日と決まっていたのに、固定化が解けて、毎年日にちが変わる。
こうならこう!! この日ならこの日!!
で良いと思うのだが。
無茶なことを言うと、確固たるものがなくなったから、阿呆が暴れてみたり、まったく似合わないカッコウでイキガッて登場し、本人だけはノリノリでも、大概の人は
「バカ」
「迷惑」
「失せろ」
だろう。
そもそもいちいち市長なんかが出てきて
「注意」
しなければならないことになってしまったり、幼児じゃあるまいし、アホらしくて見ていられない。
行儀作法以前の話である。
みっともない姿にわが身を堕としてどうする気なのか。
無礼講であっても責任は伴うのだ。
親の顔も見たいものだ。
今日は乾いた雪が舞っている。
隣街の成人式の模様がワイドショーで流れていた。
毎年恒例の、親から子への手紙の朗読。
今年のハイライトは、成人式間近に病気で亡くなってしまった母から、息子への思いを手紙にし、父親が代読したものだった。
参加者が、静かに、みんな泣いていた。
色々な親がいて、色々な親子関係があるが、色々な気持ちがわかる大人になることは、辛くもあり強くもなれるチャンスなのかもしれない。
今日見たニューストピックで
「ママ振り」
という文言を見た。
想像通り
「母親が成人式で着た振袖を、娘が着る」
という事であった。
私はフィギュアスケートの宮原知子選手が好きで応援しているが、彼女の振袖は本当に素晴らしかった。
お借りした画像を貼ってみる。
これは宮原選手のお母さんが着た振袖だそうだ。
古典柄が随所にあるが、まとまりがよく、実に上品である。
大和撫子とはこういう姿かと、とても素敵だなと思う。
何より、自分の着物が、娘にここまで素敵に似合うなんて嬉しいことではないか。
私も振袖は作ってもらったのだが、娘に着せるには甘い色だった。
母親と伯母たちが勝手に
「作るものだ」
と徒党を組み、父と私はなんでこういうことになるのかさっぱりわからぬまま、呉服屋に連れて行かれた。
当時の成人式は、夏で、振袖は必要ないのにだ。
まだ17歳の高校生の時であった。
だからどうしても若々しい、可愛らしい色になってしまうのだ。
着付けをしてみて、伯母まで嬉しがって和服を着た時の図。
下の写真、私が左、右は伯母。
娘にピンクはまったく似合わないので、私の野望は(母心を満足させるのと、別誂えでの経済的負担を軽くするという)あっさり萎んだ。
娘はこう。
この振袖は、3.11が起きる数日前に呉服屋に行って誂えたものである。
この手の色を着る新成人はほとんどいなかった。
「素敵」
「いい色」
と着物はたいそう褒められた。
つまみかんざしも、着物の色に合わせて吟味したものである。
通帳を見てムムム・・・となりながらも、楽しい時間でもあった。
男性にはわからないでしょうな。
他のお嬢さんがたの着物で圧倒的に多いのは、やはり赤系統であった。
私は、従姉従兄の結婚式や、友人の結婚式などで何度も袖を通したのだが、娘は成人式に一度着たきりで、結婚式の御呼ばれはスーツと決めている人である。
果たしてこれがこの先どうなるのか。
娘にもし女の子が産まれたら、やはり成人式には支度してやるのだろうか。
私はそういう事には一切口を出す気はないが、もし求められたら、私の振袖を快く差し出そうとは思っている、求めないとも思うけど(笑)。