吐露 |  お転婆山姥今日もゆく

 お転婆山姥今日もゆく

 人間未満の山姥です。
 早く人間になりたい。

伯父伯母の屋敷の片づけが、昨日終了した。
白状するが、最後は心折れた。
片付けようと思えば、残っているものはまだたくさんある。
が、タンスなどの家具は、
「木」
だからそのままでいいという。
こまごまとしたものはもうないだろうと思っていたら、まさかの階段下に、炎暑でかいている汗が冷や汗に変わるほどまだあった。

「勘弁してくれぇぇぇぇ」
と、この時ばかりは言った私だが、息子夫婦と娘は、この片付けの間中、ただの一言も、愚痴もボヤキも嘆息も発したことはなかった。

私は彼らに引っ張られ、特に息子は段取りやこまごまとした打ち合わせ、交渉など全部動いていたのだからどれだけ大変だったろうか。
始めたときは、いつ終わるのかなんて考えなかった。でも、動いていれば終わるものだ。漫然と時間だけが過ぎるのではなく、動いたからこそ、なんとか終了したのだ。

解体屋さんも酷暑の中毎日来て動いている。
商売であっても、この酷暑は北国のものとは思えない、そんな中での作業だ。
高齢の方が多くて、頭が下がる。

また、お金を貰っても嫌な作業はある。
そんなことを考えると

 

金で済まして自分だけ綺麗なままでいる、涼しい顔して澄ます

なんて、出来ない。

そもそも金もないが、大変だろうなと、相手に対しての想像力が育たないのは経験していないからだ。

すっかり風通しがよくなった屋敷は、随分と涼しい。
作業員の人たちに
「どうぞ、中で休んでください」
と声をかけた。
丁度お昼時にかかったので、それぞれお弁当を広げて、がらんとした屋敷を珍しそうに見ながら、やがてひと時の休憩、ごろんと横になった人もいた。

息子が
「よし、これで終わりにしよう」
と言った。
「いったん帰って、まず汗流して、それから遅くなったけどどこかで飯にしよう」

じゃ、後程・・・。
息子夫婦を見送り、娘と私も帰り支度をした。

庭木の一部は切られ、目隠しになっていた小さな竹の一角もなくなり、飛び石も全て除けられていた。

車に乗り込み、
「サヨナラ」
と言ったとたん、私は泣いてしまった。

今更なことがいっぱいある。
娘に吐露した。

私がやってしまってよかったのだろうか。
伯母の亡きあとを、もう考え、彼らが守ってきたものを片付けてしまった。
後ろめたいような気持ちが厳然とある。

泣かない私が泣いたので、いつも厳しい娘が優しかった。

 

誰かがやらなきゃないこと

心無い人たちや関係ない人たちではなく
お金で済ますようなことをしないで
私たちみんなで汗かいてやって良かった思ってる

誰だって今より若くなることはないんだから
今だから出来たんだよ


形あるのはいつかなくなるけど
ここはちゃんと残るんだよ

 

背中撫でてくれて

汗びっしょりだから 気持ちよくなくてwww。

 

一段落してのお昼はちょっといい方のお寿司屋に行った。
皆、何も言うことがなく、お寿司をたらふく食べた。
言葉が無くても通じる確かな時間が持てた私は、幸せな母親である。