世の中で一番大事なことは、人のためになることだ—イベルメクチン開発者・大村智氏の核をつくったもの | 致知出版社公式アメーバブログ

 

 

 

 

 

寄生虫病などに罹った数億人の命を救ってきた特効薬イベルメクチンを開発し、

2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さん。87歳を迎えるいま

なお様々な役職を兼務し、世のため人のために尽くされています。2023年6月

には、日本エッセイスト・クラブの会長にも就任され、話題を呼びました。そんな

大村さんの偉業はいかに実現されたのか、その人生の原点、核となるエピソード

をご紹介します。対談のお相手は、歌手として童謡の普及に尽くしている大庭照子

さんです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

■眺望が人を養う

〈大庭〉
きょうは改めて先生の原点、歩みについてもお聞かせいただけますか。

 

 

〈大村〉
私の(山梨県)韮崎の実家は農家ですから、とにかく子供たちは勉強より農作業を

手伝わされました。両親も、勉強はしなくてもいいんだという感じでしたね。ただ、こ

の農作業の手伝いが私の強い体をつくってくれたと思っています。

 

その中で子供の頃に大きな影響を受けたのは、忙しい両親に代わって10歳まで面

倒を見てくれた祖母でした。私はこの祖母から、「智、世の中で一番大事なことは、

人のためになることだ」と、繰り返し言い聞かされて育ったんです。

 

 

〈大庭〉
立派なお祖母様ですね。

 

 

〈大村〉
それから、村の顔役でもあった父のことでいまも思い出すのは、私が人のことを羨

ましいと思った時に、「おまえが努力をすれば人を羨ましいという気持ちはなくなるよ」

と言われたことです。

 

終戦まで小学校の教員をしていた母には、「立派な人間になるには情緒が大事だ

よ」とよく言われました。絵を描くと情緒をよくするからと、お習字や絵を描くことには

大賛成で、絵に関するいろんな道具を買ってきてくれました。

 

 

〈大庭〉
先生が芸術に関心を持たれたのは、お母様の影響ですね。

 

 

〈大村〉
ええ。私が美術に関心を持ったのは、まさに母の影響だと思います。あと、ある時、

母の日記を見てみると、そこに「教師の資格は、自分自身が進歩していることだ」と

書かれてあり、これも後に人を教える立場になる私を支え導く大事な言葉となりま

した。

 

 

〈大庭〉
家庭教育の大切さが伝わってくるお話です。自然溢れる韮崎で生まれ育ったのも、

先生にとって大きかったのではないですか。

 

 

〈大村〉
それもその通りで、先ほどのノートにも、詩人の大岡信先生の「眺望は人を養う」と

いう言葉を書き留めています。風光明媚な自然、また、神を敬いご先祖を崇める敬

神崇祖の精神が根づく韮崎の地が、私の感性を養ってくれたのは間違いないです

し、実際、東京で悩んだ時に故郷に帰ってくると、すーっと気持ちがひらけてきます。

こんな素晴らしい土地は他にはそうないと思っています。

 

ですから、都会の子供たちも自然豊かな土地にできるだけ連れてきて、遊ばせ

てあげることが大事だとよく言っているんですね。

 

韮崎大村美術館も、建物を設計する時にここの立地を生かしたものにしようと考え

たんです。それで設計業者さんに足場を組んでもらい、自らそれに上って建物の2階

から一番いい眺めが見えるよう床の高さを決めたんですよ。業者の方には、危ない

からやめてくださいって言われましたが(笑)。

 

■卒業してから5年が勝負

〈大庭〉
その後、研究の道に進んだのには何か転機があったのですか。

 

 

〈大村〉
勉強しなさいとは言わなかった両親ですが、高校3年生の春に盲腸の手術をし、療養

中に本を読んでいる私の姿を見て、父が「勉強したいなら、大学に行かせてやるよ」と

言ってくれましてね。

 

自分は農家を継ぐものだと思っていましたから、ああ、そんな道もあったのかと、夜は

数時間しか寝ずに猛勉強をし、山梨大学に受かりました。そして山梨大学で私を大変

可愛がってくださったのが地質学の田中元之進先生です。

 

田中先生は「大村君、今度の日曜日は空いているか?」という具合に地質調査に誘っ

てくれて、お手伝いや昼食におにぎりを食べながら、いろんな話をしてくださいました。

その中で一つ心に残っているのが、「どこの大学を出たとか、何を学んだかということ

は、世の中に出てあまり役に立たないものだよ。一番大事なのは、卒業してから5年

しっかり頑張ることだ。そうすると、何かをものにすることができる」というお話です。

 

 

〈大庭〉
素晴らしい教えですね。

 

 

〈大村〉
この田中先生の教えが、後に私が研究者の道に進んでいく一番のきっかけになるん

ですよ。

 

というのは、大学卒業後、地元で教職に就こうと考えていたものの、その年は山梨で

採用がなかったため、倍率30倍以上の東京都の高校教員採用試験を受けて合格し、

東京都立墨田工業高校夜間部の教員として働き始めました。

 

学校では化学を教え、卓球部の顧問を務めるなど、充実した教員生活を送っていた

のですが、ある時、仕事と両立しながら一所懸命に勉強する生徒を見て、この生徒た

ちと同じ年頃に自分は一体何をやっていたのだろうと大変ショックを受けたんです。

そこで脳裏に浮かんだのが、「5年が勝負だ」という田中先生のお話でした。

 

よし、自分も夜間の先生をやりながらもっと力をつけよう、学び直そうと決意し、まず

東京教育大学(現・筑波大学)理学部の聴講生として一年間勉強し、次に東京理科

大学の修士課程に進みました。その頃は、昼間は大学で勉強、夕方からは墨田工

業高校で教え、授業が終わると、大学の研究室で実験に打ち込むという生活でした。

 

そうしているうちに、自分は人に教えるより研究者のほうがいいんじゃないかと次第

に思うようになって、山梨大学卒業から5年後の1963年、東京理科大の修士課程

を修了した私は、教師を辞めて研究者の道に進んだのです。

 

 

 


(本記事は月刊『致知』2023年6月号 特集「わが人生の詩」より一部抜粋・

編集したものです)

 

 

◇大村智(おおむら・さとし)
昭和10年山梨県生まれ。33年山梨大学学芸学部卒業。38年東京理科大学大学院

理学研究科修士課程修了。40年北里研究所入所。米国ウェスレーヤン大学客員

教授を経て、50年北里大学薬学部教授。北里研究所監事、同副所長等を経て、平

成2年北里研究所理事・所長。19年北里大学名誉教授。20年北里研究所と北里学

園との統合により北里研究所名誉理事長(現在は北里大学特別栄誉教授)。27年

ノーベル生理学・医学賞受賞。著書に『人をつくる言葉』(毎日新聞出版)『ストック

ホルムへの廻り道 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)など。

 

◇大庭照子(おおば・てるこ)
昭和13年熊本県生まれ。35年フェリス女学院短期大学音楽科声楽科専攻科卒業。

46年NHK「みんなのうた」で『小さな木の実』を歌い童謡運動家の道へ進み、「大庭

照子のスクールコンサート」を全国で開催。3000校以上の学校を回る。現在は

NPO法人日本国際童謡館館長として童謡を広める活動に力を尽くしている。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

7月1日発刊

~『致知』最新刊2023年8月号「悲愁を越えて」

 

 

 

●「悲しみはいつか恵みに変わる」

西舘好子(日本子守唄協会理事長)×古巣馨(カトリック長崎大司教区司祭)

●「悲愁を越えて歩み来た百年」

吉村光子

●「奇跡を起こす心の法則

井上裕之(いのうえ歯科医院理事長)

●「小林一茶の人生と名句に学ぶ」

齋藤孝(明治大学文学部教授)

●「偉大な父の志を継いで」

髙江智和理(北海道光生舎理事長)×森田隼人(シャボン玉石けん社長)


………………
好評連載
………………

「忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉」
 五木寛之(作家)

「人生を照らす言葉」
 鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)

「禅語に学ぶ」
 横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)

「人生百年時代を生きる心得」
 田中真澄(社会教育家)

「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」



    ……etc

 

 

 

お申し込みはこちらからどうぞ

 

 

 

★★『致知』ってこんな雑誌です★★

 

本あなたの人生、仕事の糧になる言葉、

教えが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

 

 

 

お申し込みはこちらからどうぞ

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

話題の書籍のご案内

 

ベストセラー書籍、待望の第2弾!!

 

『1日1話、読めば心が熱くなる
 365人の生き方の教科書』

 

藤尾秀昭・監修
 

 

本書では、『致知』創刊20周年以前
(1978~1998年)の記事にも思いを馳せ、
名経営者や名指導者など、
各界の“レジェンド"と呼ばれる人物の逸話
多数収録されている
のもポイントのひとつ。~

◆ 収録記事の一部 ◆

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

      ※肩書は『致知』掲載当時


「人生の闇を照らしてくれる光」
 五木寛之(作家)

「人生で一番大事なもの」
 稲盛和夫(京セラ名誉会長)

「十年間辛抱できますか」
 浅利慶太(劇団四季芸術総監督)

「一期一会」
 瀬戸内寂聴(作家)

「独立自尊の商売人になれ」
 柳井 正(ファーストリテイリング社長)

「人間の力は出し切らないと増えない」
 平尾誠二(神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネージャー)

「会社がおかしくなる6つの要因」
 永守重信(日本電産社長)

「自分の限界を超える条件
 長渕 剛(シンガーソングライター)

「逆算式目標設定術」
 岸田周三(レストラン カンテサンスシェフ)

「忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず」
 加藤一二三(将棋棋士)

「“なぜ?”を5回繰り返せ」
 張 富士夫(トヨタ自動車相談役)

「仲間を信じ、童心を忘れず、科学に徹する」
津田雄一(「はやぶさ2」プロジェクトマネージャ)

「金メダル獲得の原動力」
 古賀稔彦(柔道家)

「決勝戦直前の姉のひと言」
 伊調 馨(ALSOL所属レスリング選手)

「一流プレーヤーに共通したもの」
 岡本綾子(プロゴルファー)

「ジャニー喜多川さんの褒め方・叱り方」
 村上信五(関ジャニ∞)

「人は負けるとわかっていても」
 佐藤愛子(作家)

「世界に挑戦する上で影響を受けた人」
 宇津木麗華(女子ソフトボール日本代表監督)

「人の痛みを知る人間になれ」
 村田諒太(WBA世界ミドル級スーパー王者)

「会社経営は常に全力疾走である」
 山中伸弥(京都大学iPS細胞研究財団理事長)


            ……全365篇

オリンピック史にその名を残す伝説の水泳選手、
「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャ、
庵野秀明氏が尊敬する映画監督……など、
時代や職業のジャンルを超越した方々の話から、
自らの仕事や人生に生かせる教訓が
得られるのも、本書ならではの魅力です。

 

☆お求めはこちらからどうぞ★

 

 

***

 

 

 

 

      『稲盛和夫 一日一言』

 

 

※詳細はこちらからどうぞ!

 

 

 

 


★『1日1話、読めば心が熱くなる
 365人の仕事の教科書』


 藤尾秀昭・監修

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆ 収録記事の一部 ◆

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「知恵の蔵をひらく」
 京セラ名誉会長・稲盛和夫

「現場には仕事と無駄の二つしかないと思え」
 トヨタ自動車相談役・張富士夫

「プロは絶対ミスをしてはいけない」
 福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治

「一度は物事に死に物狂いで打ち込んでみる
 建築家・安藤忠雄

「人を育てる十の心得――加賀屋の流儀」
 加賀屋女将・小田真弓

「ヒット商品を生み出す秘訣」
 デザイナー・佐藤可士和

「嫌いな上司を好きになる方法」
 救命医療のエキスパート・林成之

「準備、実行、後始末」
 20年間無敗の雀鬼・桜井章一

「公私混同が組織を強くする」
 神戸製鋼ゼネラルマネージャー・平尾誠二

「一番よい会社の条件」
 ファーストリテイリング会長兼社長・柳井正

「仕事にも人生にも締切がある」
 料理の鉄人・道場六三郎

「脳みそがちぎれるほど考えろ」
 日本ソフトバンク社長・孫正義

「奇跡を起こす方程式」
 指揮者・佐渡裕

「10、10、10(テン・テン・テン)の法則」
 帝国ホテル顧問・藤居寛

「自分を測るリトマス試験紙」
 将棋棋士・羽生善治

「負けて泣いているだけでは強くならない」
 囲碁棋士・井山裕太

……全365篇
 

 

…………………………………………………………

☆お求めはこちら。

 

 

 

 

★人間学を学ぶ月刊誌『致知(ちち)』ってどんな雑誌?

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

一冊の本が人生を変えることがある
  その本に巡り合えた人は幸せである

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・