5年前、俺は大事な決意をした | オタントニオのブログ

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趣味は車、レース観戦、ラノベ、アニメ、小説、ゲームなど。発達障害当事者で、当初ADHDだと思われていたが後になって「特定不能の広汎性発達障害」と判明。

久々の更新となった。その間に結婚式を挙げたり新婚旅行に行ったりF1観戦をしたりソシャゲを始めたりと色々あったが、なかなか書く気力が沸かなかった。そして今日はそれらと全然違うことを書く。

 

以前の記事「10年前、俺は大事な決意をした」に続く、過去のターニングポイントを振り返るシリーズ第2弾!

 

「5年前、俺は大事な決意をした」である!

 

と言っても、正確な時代は5年前ではなく、4年10ヶ月半ほど前の2014年1月7日である。

 

もう書いた記憶は無いが、当時残したと思われる以下のメモ書きが、最近になって発掘されたのである。

 

 

GT-R売却声明

 

2014年1月7日 ビタントニオ

 

車を手放すことにした。

突発的に思いついたわけじゃなくて、じっくり考えて、今この状況では手放すのが一番いいという結論に至った。

車を嫌いになったわけではない。

今でも車は大好きだし、一番好きな趣味の1つだし、愛車のR33スカイラインGT-Rだって世界で一番好きな車。それに代わりはない。

ただそれが、諸事情でこの先乗り続けるのが難しいという状況に置かれている。それが一番の理由かな。

あと、自分の気持ちの面でも、車を維持してアクティブに活動するってことを意識するあまり、無理をして重荷になってたんだろうなと。

だからこうやって体調を崩す一因になった。

車だけに熱中して生きていくというのも人生の1つのあり方だけど、この状況に追い込まれて自分を見つめなおしたら、他にもやりたいことがいくらでもあったしね。

ネット広告やネットビジネスのプロになって仕事にしたいっていうキャリアプランだってあるし、同人活動、オタクの活動にもっと熱くなりたいってのもあるし、そういった中で車を続けていくってのは、健康体で必死に努力して働き、時間もこと細かく切り詰めれば可能だと思うんだけど、果たしてそこまで無理して意味があるのかっていう。

少なくとも、数年間無理した結果、詳しくは言えないけどこういう状況になってしまった。

車を続けたいのは本当に山々なんだけど、オーナーとしては一旦区切りをつけたほうがいい。そういう時を迎えている。

ま、いろんな可能性にチャレンジして、その後でもう一度車やればいいと思うし、これっきり車を終えるわけじゃない。

まずは、もう一回体制を整えなおして、身体も強くして戻ってきたいと。そうしながら今までできてなかったことを、小さなことからやっていきたいと思う。

世の中には、スポーツが大好きでずっとやってきたけど、ある日突然怪我して続けられなくなったって人も少なからずいると思う。それと同じかというと違うんだけど、自分の場合はまだ戻れる可能性が十分あるんだから、幸せな状況だと思う。

最初は20年乗り続けるつもりだった。いや、最近までそのつもりだったかな。その最初に決めたことを必死に守り続けようとしてたけど、気づいたら他にも大切なものがたくさんあった。

その結果、好きだった車がもはや重荷になってて、それがストレスになってこういう状況に陥ったと。

金銭的に今ピンチなのもあるし、この決断には本当にいろんな事情がある。逆に今これを耐えてでも車を続けるメリットは、もはやプライドを守ることくらいしかない。

じゃあ、みっともなくたっていいから、取り返しがつかなくなる前に手を引こう、ってなったわけさ。

ただ、やめるわけじゃなくて、いつかもう一度車をやろうと思う。もう一度R33に乗れるかというとたぶん無理だろうけど。このR33を必死で探し回ったときが、状態のいいR33に乗れる最後のチャンスだった。

もしかすると30年後、40年後に大金持ちになっててプレミアム旧車として買えるかもしれないし、あるいは新しい車を好きになるかもしれない。

そもそも一番好きな車に4年も乗ることができた。それだけでもすばらしいし、恵まれていると思う。僕はやったんだ。それに満足して、今の車とは別れようと思う。何事も始まりがあれば終わりがある。

この車で成し遂げたものとか考えると、レースにも出れなかったしろくな改造もできなくて悲しくなる。でも、いろんな思い出が残っている。

僕にとって、車を持ってたっていうのは結婚してるに等しかった。ただもちろん、僕が調子を崩したときに、人と違って車は助けてくれるわけではない。

だから違いは理解しているし、今回手放すのが離婚だとは思っていない。これからの人生も車に後押しされてる、そう考えることにする。

さて、17年経って11万キロ走った車だけど、大切に乗ってきたつもり、でもこれから維持していくことが難しいわけだから、だから次の相応しいオーナーに巡り合うのがこの車にとってもいいと思う。

若き日を共に駆けた車としてずっと家に置いておきたいとも考えた。でも、そんなお金はないし、車は走ってこそ価値があるものだから、この決断で納得した。

最後に、痛車もやりたかった。いや、今後やりたい。でも、今はとりあえず体制を立て直して他のことに集中しようと思う。

以上。(原文ママ)

 

 

2014年1月といえば、うつを発症したけど、まだ発達障害の診断は下りていなかったという時期だ。

 

原因はわからないが、2013年12月に突然出勤停止を言い渡され、続くと思っていた収入が突然途絶えた。

 

それでGT-Rを持っており、かつ「まだ若いから大丈夫」とか「お金は20代のうちは借りるもの。30代で返して、貯金は40からだ!」とか色々思い込んでいてほとんど貯金してなかったから、致命的なピンチに陥ったというところだろう。

 

この状況から立ち直るために、まずは一旦車を諦めよう(+しばらく実家で休養しよう)と、いち早く決意したのである。

 

しかし周囲の人には、僕は精力的に働いて車に打ち込んでいる人という風に見えていただろうから、誤解を起こしたり心配をかけたりしないように出そうと思い、書いた声明だったと思う。実際には誰にも出していないが。

 

声明の中で大事なのは、「最初に決めたことを必死に守り続けようとしてたけど、気づいたら他にも大切なものがたくさんあった」ことに気づいたことである。

 

今後も人生で何か予期せぬことが起きた時、今後のためにどうするのがベストかを、こだわりを捨てて考えたいと思う。