第2章

雑穀はおいしい(2)

 

 

 

*本記事は、2002年発行『雑穀つぶつぶ食で体を変えるーおいしいから健康ー』(講談社+α新書)よりお届けします。

 

 

 

雑穀は、

 

米、小麦以外の穀物の総称です。

 

 

ヒエ、アワ、キビは、

だれでも一度は耳にしたことがあるでしょう。

 

 

そのほかにも、

 

タカキビ(モロコシ、コーリャン、ソルガムとも呼ばれる)、

 

ハト麦、ライ麦、大麦、ゴマ、エゴマ(ジュウネン)、

 

アマランサス(仙人穀、赤アワ、ヒモゲイトウ)、

 

トンブリ、ソバ、シコクビエなど。

 

 

 

その種類は、

 

世界的にみたら

何種類になるかわからないほど

多種多様です。

 

 

もともと、

何を雑穀と呼ぶかは

地域によって違っていました。

 

 

「雑」という言葉は、

よくないイメージに

とられやすいのですが、

 

 

本来は、

 

「いろいろな」

「その他の」

「小さい」

 

というような意味です。

 

 

ところによっては、

小豆や大豆まで含めて

雑穀と呼んでいました。

 

 

 

水田稲作の起源は

縄文時代末期以降といわれ、

 

 

白米食の歴史は

江戸の元禄時代に

はじまっています。

 

 

一方、

 

雑穀は

遅くとも石器時代から、

 

五穀として

大切に食べ継がれてきたことが

 

遺跡の調査などからも

検証されています。

 

 

日本では、

 

明治初年まで

 

米より多くの雑穀が

主食として

栽培されていました。

 

 

第二次世界大戦中の

食糧難を支えたのも

雑穀でした。

 

 

昭和30年代、

 

岩手県では

米よりも多くの雑穀が

栽培されていたとの統計が残っています。

 

 

大分県の50歳代の農家の方の話では、

子供のころは

家代々の教えで

 

ヒエ、アワの俵を絶やさず

天井裏に保存してあったとのこと。

 

 

米どころの庄内(山形県)に住むおじいさんも、

 

米倉にはいざというときのために

雑穀の穂が吊るしてあった

と話していました。

 

 

昭和40年代後半でも、

 

多くの山間の集落では

多様な雑穀をつくっていました。

 

 

そこで暮らす人々は、

雑穀が主食の自給生活をして、

医者いらずの健康な生活を営んでいました。

 

 

雑穀は、数千年間、

自然と共に生きてきた日本の暮らしの柱として、

庶民のいのちを養ってきたのです。

 

 

私が20歳のころまで

日本各地で雑穀が主食の生活が

続いていたことをはじめて知って、

 

戦後私たちが教育されてきた内容や

知らされた情報が、

 

どんなに偏ったものだったかを

思い知らされました。

 

 

 

つづく

 

 

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