第1章
グルメOLからナチュラリストへ(18)

 

 

 

*本記事は、2002年発行『雑穀つぶつぶ食で体を変えるーおいしいから健康ー』(講談社+α新書)よりお届けします。

 

 

日本には

古くは中国から漢字が、

 

そして現代では

英語がどんどんはいってきて、

 

私たちの言葉と事実、言葉と感受性が

どんどん乖離してしまいました。

 

自然界の仕組みの物理や

生きる哲学を

五七五七七で語り合うような

 

本当に感受性豊かな透明な心が

響き合っていた時代、

 

 

そして、

 

イネを

いのちの根源と呼んで育て、

 

その生命力を

身につけて生きていた時代から、

 

すべてが符号になってしまって、

 

本来は命をつなぐ食べ物も、

そうでないものも、

まったく気がつかない時代になってしまいました。

 

 

そこで、

 

「そうだ!長年のデザイン力を結集して、

いのちを活かす食べ物の魅力を引き出し、

多くの人に広めることが私の転職じゃないか」

 

と思いついたのです。

 

 

人間は何かひとつ、

お金を稼ぐためではなく、

 

自分の得意なことで、

みんなに必要で喜んでくれることを受け持つ、

 

それが本当の仕事。

 

 

私は、

食べ物の一部や建物を手作りしていますが、

糸も紡がないし、機も織らないし、

針もつくりません。

 

材木も切り出さないし、

釘も金づちもつくっていません。

 

 

一人の人間の日常生活に必要なものは

少なくとも800以上といわれています。

 

一人の毎日の暮らしは

少なくとも800人の仕事によって

支えられているのです。

 

一人一人が得意のところで

 

みんなにとって必要な、

役に立つ仕事をして

 

お互いに助け合って生きなければ、

だれも暮らしていくことができないのです。

 

 

私は、

 

いのちと食べ物の本当の関係や、

生命力を高めるおいしい料理術を伝えることで、

 

みんなの役に立って

胸を張って生きていこうと思いました。

 

 

いのちの源である食べ物が

輝いて見える感性と味覚を取り戻すと、

 

自分の中にある生命のプログラムが発揮されて、

一人一人のいのちが輝き出します。

 

畑を耕す仕事も大切だけれど、

暮らしや心を耕す仕事も

必要なんだということを確信できたのです。

 

 

そして、

 

玄米との出合いから7年後の1989年、

東京にいる必然性をまったく感じなくなり、

山形への移住を決心しました。

 

郷田は家業の印刷業をたたみ、

私は企画デザインの仕事のほとんどを整理し、

 

東京に残る仲間たちに、いっしょにはじめていた

雑穀料理のレストランの運営を託して

東京をあとにしたのです。


 

 

つづく

 

 

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