(飽きることはない)

 

おはようございます。

今は朝の、0時25分。

ヤモリです。

 

 

人生初?の夜中ブログ。

 

昨日は結局薬局すら

行くのを忘れていて

Amazon primeで

ハンター×ハンターを

見ているだけで終わった。

 

いつの頃からか

動画を見ても勉強しなくなった。

 

それをする事が動画を見る

目的だったのに。

 

「いい作品に触れよう」

「本物に触れれば本物がわかる」

なんて言うが本物に触れても

自身がその本物に

近づけるわけではない。

 

小説を1万冊読んだ所で

小説家になれるわけではない。

 

「本を読む」

という行為はただの娯楽に過ぎない。

 

「本を読みながら勉強感覚で」

は少し勉強にはなるがかといって

その本レベルに書けるように

なるわけではない。

 

「本を読みながら真似してみる」

これは勉強になる。

 

これを100回繰り返せば

かなりスキルUPするだろう。

 

「本を覚える」

やったことがないのでわからないが

勉強になると思う。

 

少なくとも1万冊読むよりは

よほど勉強になる。

 

話は逸れるが

やっとコーヒーの味が

わかるようになってきた。

 

やっぱり薬で肝臓が

弱っていたんだろう。

 

皮膚が荒れていたのも

そのせいだったように思える。

 

ここ最近だったからね。

皮膚が荒れていたのは。

 

「自主的に物語を書く」

これをやり続けたら

創作力はつくだろう。

 

ネットで調べたら

 

文章読解・作成能力検定
校正技能検定

日本語検定

 

というのが文章のスキルを

上げるにはいいらしい。

 

文章のスキルは重要だ。

テクニックで文章を

「読ませる、読んでしまう」

文章を書き上げる事で

人は初めて引き込まれる。

 

上記の資格勉強で

それらが身に付くわけではない。

 

なので物語を真似して作る、

という方がよほど役に立つ。

 

しかしこういった勉強は

感性ではなく体系的に学べて

それを当たり前にする事で

「読みたくなくなる」

という致命的な失敗を防げる気がする。

 

WEB小説で好きな物語があった。

 

めちゃくちゃ引き込まれたのだが

途中で飽きてしまった。

 

それは

「誤字脱字が多く、文章間違いや構成が甘い」

事が原因だった。

 

話が面白かっただけに

非常に残念だった。

 

その作者は物語を書くのに

慣れていなかったのだろうか?

 

いや、そうではない。

長編の物語を書く中でも

別の物語も作成していたから

作者は何年も(7年以上)は

作家として活動していたはずだ。

 

創作の文章ばかり

書いているのだから

作家としては超売れっ子レベルだろう。

 

私もこのブログを書いて

5年以上が経過した。

 

じゃあ文章が上手くなったのか、

というと全くそんな事はなく

ただ書き慣れたので

思いを出せる方法がわかってきた、

というだけの話だ。

 

自分で見返して

「なんて自分勝手な文章で読みやすさなんて全く考えていないな」

と思う事は多い。

 

なぜなら思いのまま書いているから

自分の中で完結している事は書かないので

あとで見返すと

「これ、どうゆう意味?分かりずらい」

とか

「表現力がイマイチだから、わからない」

とか

「見返していないまま投稿しているから、適切な表現がされていない」

というものが圧倒的に多いのだ。

 

だから見返した時に

「これわかりずらいな、書き直したい」

とおもうものばかりなのだ。

 

決して何年書いたとしても

文章が上手くなるわけではない。

 

表現を公式に出すなら

何度も何度も見返す必要が出てくる。

 

そういったものには

「頑張り」「慣れ」

が必要なのである。

 

自分が書いたものを見返して直すのは

なかなかの労力であり

なかなかの苦痛な労働だ。

 

しかも書いている時に

気づいていなのだから

書いた直後も気づきにくい。

 

書いた内容を忘れた頃に見返して

初めて

「なんじゃこりゃ」

と思えるようになるのだ。

 

俺は朝型だと思っていたが

やっぱり創作は夜に限る。

 

時間に対しての感覚が違うようだ。

 

昼間は時間を気にして

「書くのが勿体無い」

みたいな感覚におちいる。

 

しかし今は

「まだ、1時半。仕事があるけど

まだたっぷり書く時間あるよな」

と思ってしまう。

 

もしこれが昼の1時半なら

「まだたっぷり書く時間あるよな」

とは思わないのだ。

 

この違いは一体なんだろう。

 

つまり創作は

夜の方が書きやすいのかもしれない。

 

作品を書く喜びと習慣の方が重要だ。

 

もちろん作品を書くのにスキルUPは必須だ。

しかし俺の性格上、

楽しくない事はやらない、

というわがままな性格だ。

 

夢のためにつまらない事も頑張る、

などといった根性は持ち合わせていない。

 

それをするためには

「書き慣れていて、しかも楽しい」

というスキルがないと成長できないのだ。

 

だから変な癖がついたとしても

それによって致命的に

作家になれない習慣がついたとしても

楽しさ優先で書き続けるしかないのだ。

 

このブログはもう書き慣れている。

しかし考えを整理したり

自分に覚え込ますためにあえて書いたり

そのまま今の思考を

そのまま書き連ねる事は

非常な喜びであり、楽しい作業なのだ。

 

こんな楽しい作業でも

家にいると

「面倒くさくて書けない」

といった状態になる。

 

家の中では書けない性分なのだ。

 

ぐーたらが優先して

現実の用事すら忘れてしまって

ただひたすらに動画を見てしまうのだ。

 

もうこれは何十年も繰り返して

染み付いてしまった癖だ。

 

これを直すには同じように

何十年も動画を見ない、

といった生き方をしなきゃいけないと思うが

それはほぼ不可能だ。

 

しかしそれでも一階に降りたら

その癖は出てこない。

 

一階に降りたら書く、が

今の俺の習慣になりつつあるからだ。

 

これは俺にとってかけがえのない習慣だ。

 

老後は使えない家であり

自営業も多分しないから

宝の持ち腐れの家だ。

 

しかしそれでもこの家を購入して

引っ越ししてきてよかったと思う。

 

世間レベルで言うと

無駄金だし、

騙されている家かもしれない。

 

次に売る価値は非常に低い家で

売れる可能性は限りなく低い。

 

しかも年齢を考えると

へたすると25年しか住めない可能性が高い。

 

それ以降は体が弱っていくので

この家での生活は厳しいものになるだろう。

 

それでもここに住む必要があった。

そして俺の勘はとりあえず当たったのだ。

 

しかし今後はどういった生活を

していけばいいだろう?

 

朝が得意、という事は

夜は寝るものだ。

 

しかし俺は何か書くのは

夜の方が書きやすい。

 

そして朝は行動しづらい。

 

じゃあ友人のいうように

一階で寝泊まりする方がいいのか?

といえば確かにそうかもしれない。

 

仕事から帰宅。

飯を作って食事をする。

眠くなるが一階に移動する。

 

ソファがベッドがわりだ。

もちろん土足ではなく、一階用サンダルを使う。

 

ソファで寝転がるが

眠くない場合早速書き始める。

 

そして眠くなったら2階に行き寝る。

起きたら一階で作業。

 

ーーーうん。一階で半分暮らそうとしても

なんだかあまりイメージがわかない。

 

なんだか書く事が苦痛になって

パソコンにすら

向かわなくなる未来が想像できる。

 

いや、でも逆に思いついたらすぐ書く、

といった生活になるから

逆にいいのかもしれない。

 

そうする場合は一階にも冷蔵庫が必要だ。

できればキッチンも欲しいが

そうなると店舗ではなくなってしまう。

 

一階に布団は置きたくない。

そこはなんか違う。

だからやっぱり基本の生活は2階で

一階は生活から

切り離された空間であって欲しい。

 

もし長い間一階で過ごす事になったとしても。

 

 

 

 

 

本日も最後まで読んで頂いて、

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

ほなまたね〜😆