(いい絵だね、と言われたら、その絵をやめて新しく絵を描く子供だった)

 

おはようございます。

今は朝の、8時44分。

ヤモリです。

 

 

昨日の続きでいくと

「ゴールを決める」

だ。

 

そこで少し進展。

休日のゴールって一体なんだろう?

 

私は朝以外は

何かしようと思わない性格だ。

 

なので私の性格からすると

「朝の内に終わるものは自主的にできる可能性がある」

という事だ。

 

まあ割合で言えば

10%くらいかもしれない。

 

そもそも朝の料理自体が

最近しないのだから

こんな提案でも動かない可能性が高い。

 

でも可能性はあるので

書いておく。

 

朝の9〜10時までは

私にとっての

ゴールデンタイム。

 

この時間は比較的動きやすい。

10時11時は俺にとって

すでに一日の半分が

終わっている感覚だ。

 

そんな事はないのだが

実際そう感じているのだから

仕方ない。

 

だからその時間までに

やる事を詰め込めばいい。

 

そしてその次のポイントとしては

「10時以降のスケジュールを決めない」

という事だ。

 

10時までにやらないといけない事、

やりたい事をぶち込んで

その先はやらないと決める。

 

概ね朝の行動でいくと

7時までにいつもの作業は終了していて、

料理などをすると

8時半〜9時までかかる。

 

なのでできる事は大体1時間だけだ。

 

そして10時以降は

「やらなきゃいけない用事」

のみをターゲットにして

「やっておきたいけどやる気が必要な出来事」

はやらないと決める。

 

もしやればラッキー。

そこをゴールに設定する。

 

うーーーん、

それでは日常の作業以外は

ほとんどできない事になるな。

 

このアイデアは無理かな?

 

話を変える。

朝、イーロンマスクさんの漫画と

渡部健さんの本を読んでいたら

気になる言葉があったので

書き考えてみる。

 

人に興味を持つ。

マツコデラックスさんのように

「内容には興味がなくても、相手に興味を持つ」

ようにすると

会話が弾むし、記憶にも残る、

という内容だった。

 

人は興味がないものには

食いつかないし、覚えていない。

 

人を覚えていないというのは

相手に興味がない、という事であり

大変失礼な事である。

 

興味が出るのは

相手をリスペクト(尊敬)

しているからである。

 

相手をナメていたり

自分より下に見ていると

「得られるものはない」

「自分とは結局関わりがない」

と感じてしまうので

覚えない、理解しない、

という事になる。

 

しかし5歳児とかの話でも

「今子供ではあんな事が流行っているのか」

など、例え年下でも

学ぶところがあるものだ。

 

「どうせ、大した話はしないだろう」

「また同じ話になるだろう」

などと考えると記憶に残らない。

 

「この人、ロレックスをつけているから経営者かな?」

「皮膚が汚いし、臭い。浮浪者か」

「よくいるお金持っている笑顔のおばあちゃん、いつも通りの対応でいけそう。なんでそんなに持っているの?」

「二人できたな。どっちが牽制役でどっちが持ち主だ?」

「成人前の子供連れてきた。勉強させるためか?」

 

こう考える事で

少しでも相手に興味を持てば

覚える事ができる。

 

そしてそれはイーロンマスクの言葉にも

繋がっていた。

 

「答えを見つけるより、問題を見つける方が難しい」

 

お客様を覚えるためには

「気になる点(問題点)」

を見つけないと覚えられない。

 

「なんでブロワっていうのか?」

「なんでヴァヴァンって名前にしたのか?」

 

言葉の感覚と

商品の形の感覚が一致すれば

商品は覚えやすくなる。

 

知識面ではそうなる。

 

私は自分探しのような

ブログを何年も書いているが

これは思考の整理のために書いている。

 

答えを探し続けているのがこのブログ。

 

でも問題点を見つける方が難しい。

 

問題点を探して見つける事が

答えを見つける方法なのだ、と。

 

問題点とは一体なんだろう?

「休日に行動しない俺」

に問題があるのだが、

これは答えになっていない。

 

そして答えはもう見つかっている。

 

「仕事があればいい」

「義務があればいい」

 

そして

「作品を作る事が人生のゴールと決めた」

とするならば

その作品が義務になればいいのだ。

 

じゃあ安易にこのブログを毎日書く、

なんてのは義務になるか、

といえばならない。

 

別の問題点があるのだ。

 

「義務と感じる設定が必要」

 

じゃあ義務と感じる設定ってなんだ?

それを仮に見つけたのが

 

「将来への不安」

だった。

 

年寄りを見続けた事で

同じ80歳でも超元気な人と

ヨボヨボで認知症で

歩くのもやっとな人がいる。

 

私が見ているのは

基本お金持ちだが

お金持っている人でも

健康な人と、そうでない人が

極端に分かれている。

 

だからより運動、ストレッチ、体力、

というものがいかに大事かが

少しずつわかるようになってきた。

 

しかし今は走れなくなっている程度で

動けない、というレベルではないため

実感が湧かない。

 

しかし80歳で健康な人は

多分40歳とか50歳でよく

朝に街を走っている人がいるが

そんな方のように

動いている人だし、

70歳でも働いている人が

80歳になっても元気な人、

というのが結論で、

その感覚がなんとなく

わかるようになってきた。

 

その感覚をもっと味わって

自分に染み渡らせる事で

不安をベースにした

休日の行動指針を見つけようとした。

 

しかし休日は

服交換神経と動画中毒により

不安さえも吹き飛んで

思考停止するのである。

 

その分平日に動こうとするが

結局年間の1/3は休日なので

休日に動かない人は

80歳になったらヨボヨボの人生だ。

 

つまり

「希望」

「夢」

「不安」

のような感情だけでは

思考停止した休日には

抗えない、という事になる。

 

だって、不安を感じているご老人は

たくさん(ほとんど)だと思うが

抗えていないのだから。

 

その結果として

家の1Fを作業場にする事で

「用事を増やす」

事を考えたのだ。

 

そして仕事をする事で

用事を増やして

行動しよう、という算段である。

 

だからリスクを抱えないように

この家を買ったのだ。

 

だからこの家でする事は

ある程度生活しながらだが

少しずつ事務所風にものを増やしていって

いく事が大事だと思った。

 

これは

「問題点を見つける」

ことになっているだろうか?

 

いや、なっていない可能性が残っている。

 

休日に動かない事が

問題なのだろうか?

 

休日も3日続くと

じっとしている自分に嫌気が差し、

動こうとする。

 

つまり休日が当たり前になる

定年退職後の老人になったら

動こうとするだろう。

 

しかしその先が継続するとは限らない。

そんな経験をした人は

数えきれない位いるはずで

やはりできるなら

体が不自由でないない人は

もっと増えているからだ。

 

「休日に動かない」

ことが問題なのではなくて

「時間があるのに、やりたい事をやらない自分」

が問題なのだとする。

 

ネットで調べていたら

何かをしたいなら、何かを捨てる必要がある、

と書かれていた。

 

これが問題点、ではなかろうか?

 

休日に何もしない理由は

「動画を見ているから」

 

ゴロゴロとベッドで

タブレットを眺める日々。

 

スマホもタブレットも

捨てる事はできない。

 

ネットで調べたけど

結局やめる方法って

「意志を持って区切りをつける」

方法しか書いていないんだよね。

 

その意思が働かないから

悩んでいるのに。

 

まあだからこそ

1Fの事務所を作って

イオンの近くに拠点を構えたのだ。

 

せめて外出さえすれば、

靴さえ履けば

なんとか行動できるようになると

思ったから。

 

問題は

「出かける意味を見つけられなくなるから」

なのだ。

 

そもそも用事があったら出かける。

「自分発信の用事だから、最悪やらなくてもなんとかなる」

という用事だから、動かないのだ。

 

「やらなくても、人生は困っていない」

というのが問題なのだ。

 

だから動画を見て

ドーパミン溢れさせる事から

逃れられないのだ。

 

その為の解消として

習い事を考えた。

 

習い事で人と関わる内容なら

「約束」

になるので行動すると考えたのだ。

 

これも結局は答えを

出しているに過ぎず、

問題を見つけたことにはならないのだろうか?

 

問題は

「やらなくても、人生は困っていない」

と思っている自分が問題なのだ。

 

その精神は今まで

その精神で生き続けたことが

習慣になっているからだろう。

 

じゃあ子供の頃は

なぜ絵を描いたりしていたのか?

 

「希望」があったからだ。

「輝かしい未来を感じていて、それが本当にしばらくするとなれると思っていた」

からだ。

 

そして高校生になるにつれ

専門学校に行くにつれ

感じなくなってきた。

 

それに伴って

絵を描くのをやめるようになった。

 

22歳までは

ゲームのアイデアを出すのが

楽しかった気がする。

 

しかしこの頃はもう

しょっちゅう書いているわけではなく

ただ心残りの残像があっただけだ。

 

未来を感じていたわけではない。

未来がある可能性が残っていると思っただけだ。

 

そして今はどうか?

 

未来は残っているだろうけど

そこを選ばないとわかっている自分がいる。

 

創作をする未来は残っているが

その先の輝かしい未来は見えていない。

辿り着くとも実は思っていない。

 

問題点は

「輝かしい未来を信じていない、感じていない自分」

ではないだろうか?

 

「結局、少しだけ作って終わる人生」

と思っている自分がいる。

 

その通りだ。

 

結局好きな事をする、

なんてのは妄想で

ただ憧れにしがみついている

だけなんだと思う。

 

わくわくドーパミンが出る

内容が楽しいから

そこに携わっていたいと思う願い。

 

じゃあそこに携わる為に

どうしたらいいのか?

で書くことを考えているのだ。

 

なので書くことが好きなのではなく

わくわくが楽しいだけである。

 

英語が好きなわけではなく

英会話する人間関係が楽しいのだ、

と書いている人がいた。

 

物語を書くのが好きなわけではなく

感動した思いなどを

自分もその手柄を手に入れたい、

と思っているに過ぎない。

 

その手段としての作品を作りたい、

というだけの話なのだ。

 

だからわくわくが手に入る

スマホやタブレットを見るだけで

休日が過ぎるのである。

 

まとめると

 

①物語で感動するのが好きなだけ

②やることないから、そこにしがみついている

 

おう、調べたら

「執着心が異常に強い人」

だったようだ。

 

なるほど。

執着心の塊なのだそうだ。

 

以下をコピってみた。

 

執着しやすい自分をいったん受け入れる。

長所やできたことをノートに毎日書き出す(やってそうでやってない)

できることを丁寧に行う意識を持つ(やってそうでやってない)

できたことを思い出す習慣を持つ(やってそうでやってない)

人と比べることをやめて、自分に集中する(自分に集中するって何?)

気持ちのいいあいさつを自分から行う(今後できそう)

毎日続けられるハードルの低い習慣をつくる(ちょうど考えていた)

 

 

結果が出ない行動は、やめる努力も重要だ。

 

 

執着心は悪い事ではないらしいが、

執着心が異常に強いから

行動に偏りができて

何もできていないのに

自分を苦しめているのだそうだ。

 

とりあえず執着している自分は

頭では理解できた。

 

これを認める、

ということは執着を手放す、

という事なのだろう。

 

そして執着してしまう心理の根底にあるのは、

自分には価値がないという

「無価値感」

という感情が影響しているらしい。

 

「今の自分(内面)を信頼していない」から、

自分自身ではなく、

自分の外側に幸せや成功の材料があると

信じてしまう状態なのです。

 

だから、

自分を幸せにしてくれる人や物を失うことを恐れ、

失わないようにしがみついてしまい、

執着心が強くなってしまう原因になるのだそうだ。

 

これを自分に置き換えると

 

①自分には価値がないと思っている

②感動する創作物にこそ、幸せがあると信じている。

③それらを失わないように、そこに執着している。

 

なるほど。

まさにそうじゃないか。

 

執着するのは悪い事ではないが、

自分を苦しめている可能性が高い。

 

じゃあ

「創作しない以外の自分」

で自分を認める方法はないのか?

 

考えた事もなかったな。

 

憧れのまま、

脳内ドーパミンのまま。

 

例えば家族を持てば

人生変わったのだろうな。

 

 

 

 

 

本日も最後まで読んで頂いて、

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

ほなまたね〜😆