(広い)

 

おはようございます。

今は朝の、9時。

ヤモリです。

 

 

一応今日からの

GWスケジュールは立てたのだが

結局ほぼ「予定なし」だ。

これじゃあ見えない。

 

 

まあこれでも見えないんだが。

 

最初は朝イチで

たくさんのお弁当を作って

連休ライフを満喫させるぞ、

と思っていた。

 

弁当作りは好きだから

いけると思ったのだ。

 

しかし朝起きたら

弁当を作りたい気分ではなく

動画を見たい衝動が抑えられない、

という精神状態だった。

 

更年期障害。

である気がする。

 

今の仕事に切り替わってから

不安感が強くなった。

 

そこから発症したのが

メニエールだった気がする。

 

そして今体がだるくて

何もする気になれない。

 

思いつきで昔よくやっていた

「あさイチでマクドでブログ」

を思い出して

動画に手をつける前に

慌ててマクドに駆け込んだ。

 

休日の朝、動画に手をつけて

一日を無駄にする可能性が高い場合、

その感情を発見したら

即座にマクドに駆け込む。

 

これが今思いつく

唯一の逃げ道である。

 

動画に逃げ込むと

家から動けなくなる。

 

今こうやってブログに逃げれたから

動画は回避できた。

 

これが仕事場なら

あと腕立て10回や

ラジオ体操もありなのだが。

 

マクドなのでこれはできない。

 

でも朝イチにマクドに駆け込むのは

俺にとってちょうどいい。

 

休日の対動画対策に唯一有効な手段である。

こういった有効手段を

いくつか見つけられたら最高なのだが。

 

あと休日に行動できる

もうひとつの内容が過去にあった。

 

スロットである。

 

もうやらなくなって

10年以上経過している。

 

34歳の時に仕事をやめた時に

パチプロだった友人がいて

その人にスロットを

教えてもらう事になった。

 

友人が家に泊まり込んで

スロットの話をして

PS2のエヴァンゲリオンのスロットで

目押しの練習をして

朝8時半には出発して

マクドで朝食を取り

9時過ぎに並んで10時で打つ。

 

目押し機器でカウントしつつ

ひたすら台を打ち続ける。

 

私は台を移動できないタイプで

勘所も悪いため

ひたすらお金を

突っ込んでいくだけだった。

 

その時代には安いスロットは

なかったので

毎日2万3万とお金が消えた。

 

一ヶ月半で45万負けが込んだのを

覚えている。

 

当時はきちんと収支は

つけていなかったので

もっと負けていたのかもしれない。

 

ずっと友人がついて

教えてくれていたので

夜に家に帰るとまた

PS2でスロットの練習をする。

 

ひたすらこれの繰り返しだった。

 

お金がなくなる不安と

スロット以外何もできないストレス、

もちろんTVも見れない。

 

友人はトントンで負けていないが

俺は負け続けている日々。

 

とうとう限界が来て

友人にスロットをやめる決意を話した。

 

そして友人は去っていった。

 

かつて全盛期では半年で

600万を稼いでいた彼が

教えてくれていたからこそ、

諦めがついた。

 

彼のおかげでギャンブルを

やめる事ができたのである。

 

それまでの俺は

ギャンブル漬けで

2つ仕事して手取りが38万、

住み込みだったので

食費も住居費も電気代も

かからない所の38万だから

お金なんてすぐ貯まりそうだが

全てギャンブルに突っ込んでいた。

 

「ギャンブルはやり続ければスキルUPして負けなくなる」

というのは極論から言えば間違っている。

 

正確にはギャンブルをやりながらでも

スキルUPができるように1手1手を

きちんと行えるかどうか、

きちんと考えられるかどうか、

というのがスキルUPする方法である。

 

たった1000円で

どこまでの情報を得られるか

きちんと分析して

自分の中で結論を出して

継続するかどうか決めるのである。

 

そして1回転ごとに

情報を積み重ねていって

自分の判断が合っているか

間違っているかを決めていき、

例え千円でも

例え2万をつっこんでいても

その台を離れる決意をするのである。

 

(2万も突っ込む時点で間違ってはいるが)

 

それができなければ

ギャンブル(スロット)で

スキルUPはできないのである。

 

これは性格によるのだ。

理性で判断できなくなるのが

ギャンブルなのだから

そこをきちんと理屈に乗っ取って

判断決断遂行できないと

ギャンブルはできないのである。

 

そして俺はそれができなかったのである。

しかし大部分の人はできないはずだ。

 

そうでなければ

パチンコ屋が成り立つはずは

ないのである。

 

「世の中の大部分の人は射幸性に抗えない」

 

偶然に勝てる可能性があるものには

心が惹きつけられて抗えなくなる。

 

何度でも繰り返して

やめる事が難しくなる。

 

ギャンブルはそういった要素があり

どんなプロでも

そこに多少なりとも依存している。

 

プロでさえそうなのだから

素人がそこに抗えるハズもなく

ズブズブとはまってしまうのである。

 

ギャンブルで大事なのは

「理性を保って理屈と損切りで判断、遂行できる」

という精神力がまず重要なのだ。

 

その上で

知識による打ち込みと

目押し100%のスキルである。

 

知識だけではどうしようもない。

射幸性が邪魔をして

冷静な判断ができなくなるからだ。

 

そして私はそれが

できなかったのである。

 

こういった性格である事を

認識できたのは最近だ。

 

ギャンブルをやめた時は

ただひたすらに

「これ以上負けたくない、そして才能もないだろう」

と思い込んだ結果である。

 

友人に感謝しかない。

 

理屈がわからなくても

やめる事ができたのだから。

 

そして射幸性とは

「偶然の成功や利益を狙う度合い」

とある。

 

つまり予想はしているが

「ラッキーな度合いが天井知らずな感覚」

がある物事は射光性と行っていいと思う。

 

このブログはある意味

射光性である。

 

何も思いついていなくても

パソコンに向かって書き出せば

今みたいに思ってもみなかった事を

書き始めるのである。

 

そして家から出ないという

ズブズブの副交感神経から

抜け出す事ができるである。

 

つまりギャンブルのメリットは

「怠惰な性格でも、その行動から抜け出せる唯一かもしれない方法」

であると言えるだろう。

 

考えれば俺は常に射幸性のみを

求めてきた人生だった気がする。

 

新しく購入した家も

「これ買えば生活が変わるハズ」

 

今の会社を決めたきっかけも

「これは俺がやれば上手くいく」

 

そもそもパチンコ屋で働いたきっかけも

「ここを知れば、どんな社会でも生きていける」

 

まあ、射幸性っていわゆる

「希望」

とも言い換えられる気がする。

 

希望といえば響きはいい。

しかし希望お化けで

人生を無駄にする事も事実である。

そしてそれに抗える人はほぼいない。

 

つまり何かを得られる可能性があると

感じるものに飛びつくのである。

 

それが

「理屈」で結論を出せるのか

「感情」でしか動けないのか。

 

「感情」とは今までの経験から

判断するものである。

 

だから未知のものを

決定するのには向いていない。

 

経験を分析尽くして

言語でそれを理解していれば

勘が有効に判断するかもしれないが

そうでなけれれば外れる事も大きい。

 

人生はスロット台のように

簡単に移動できない。

 

そこにずっと座り続けるのである。

それぞれに感じた射幸性を信じて。

 

だから負け組と勝ち組があるのだ。

そもそも座った場所が

自分に合っているか

どうかわからないんだから。

 

そしてその席は

周囲の人間関係という

ギャンブル性も求められる。

 

そこは冷静な判断と慎重な発言で

解決できるのだが

そこは立場が上に立った人でないと

気付けない事も多いので

それまでは自分が積み上げた

人間性に依る所が大きいのだ。

 

だから結局頭が良くて

理性で判断できる人のみが

上に上がれるのである。

 

システムが出来上がった社会なら

それが機能できる。

 

そこは習熟した会社であり

さらにそれを理解できている会社のみが

それをきちんと機能できるのである。

 

成長段階の会社は

人手が足りないから

数字だけで判断するしかないのだ。

 

まずはお金がないと

どうしようもないからである。

 

話は自分に戻す。

じゃあ俺はどうしたらいいのか?

 

人間関係は良好に保てるようにする。

対等である事が重要だ。

 

人は優位に立ちたがる。

だから何も考えなければ

ただ人がいいだけの人は

優位に立ちたがる人に

立たれてしまうのである。

 

人間性は日々の精神活動の中で

勝ち負けを繰り返して

客観的に考え続けるから

身に付くものである。

 

だからその精神状態に

なっていない人に

人間性を求める事はできないのだ。

 

だから強者が弱者を食ってかかり

それがまかり通っている社会なのだ。

 

人間的に成長する時代は来ない。

気づくのは一握り、

もしくは年とってからである。

 

人間的に成長しても

守るものがあれば

それを守るために非情に

なるからあえてしない人も多い。

 

だから気づいたとしても

それを守ろうとすると

弱者のままになってしまうのだ。

 

それを抗うために

日々戦う必要があるのだ。

 

戦うのには理由がいる。

守るものがはっきりしないと

戦う事ができない。

 

独り身の俺は

守るものが少ない。

 

唯一家の支払いは

今後絶対に守る必要があるものだ。

 

話が飛びすぎて

まとまりがつかない。

 

腹減った。

 

射幸性、つまり希望を

見つけるのである。

 

「気づき」

で得するのがブログである。

 

徒然ブログの射幸性の正体である。

だから何年も続けられているのだろう。

 

「気づきによる多幸感」

「お金が得られる事による多幸感」

 

じゃあ他はなんだろう?

 

「健康による多幸感」

 

行けば偶発的に健康が得られるもの。

それでいてお金がほとんどかからないもの。

 

しかし健康は実感するのに

時間がかかる。

 

Dr.ストレッチは

健康になっていく実感があった。

 

しかし金がとにかくかかるので

俺には向いていない。

 

健康による多幸感は

今後探す価値があり

重要な項目である。

 

そして複合的に

人間関係も得られるものが

あればなおいいだろうが。

 

ヨガとかよさそうかな?

 

年を取っても健康であるには

 

「筋肉」

「柔軟」

「体力」

「運動神経」

 

の全てが必要である。

 

やっぱり大事なのは今後は健康だ。

俺独自の考えだと

「適度に危機感」

を感じるスポーツがいい。

 

人は危険を察知するから

本能が活性化すると思う。

 

食事は一日一食。

その方が体は細胞が活性化する。

 

食事は我慢すればするほど

体にいいと俺は思っている。

 

しかしそれができないのが

俺なのだが。

 

休日に食事を

我慢できる手段を見つける事。

忘れる事ができる方法を見つける事。

 

それは新しい家で

できるのではないかと思っている。

 

今の仕事場で

デカフェである程度

誤魔化せるので

朝でそれを誤魔化す事ができる。

 

その上で昼間からは

習い事をしたいと思う。

 

24H激安スーパーもあるから

買い物はそこをメインにする。

 

調味料系は業務スーパーだ。

 

日常に行動する為の

時間制限はこれで大部分解決する。

 

なので後は

習い事だけだ。

 

おさらいしよう。

 

「健康による多幸感」=スポーツ

「守るもの」=家

「実行する自分による多幸感」=「射幸性」

 

これは新しい家で得られる可能性があり

そうでなくても朝イチのマクドとブログは

それに該当する。

 

つまり残りのピースは

スポーツを何にするか、と

人生の目的を何にするか、

である。

 

環境は整うはずなのだ。

 

大丈夫。

今の家は間違っていない。

 

正解を求めるのではなく

今の環境を正解に変えていくのだ。

 

周囲を変えようとしても変わらないのだから。

でも周囲と戦う姿勢は大事。

つまり守るものがないと

戦う意味が見えないから。

 

 

 

本日も最後まで読んで頂いて、

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

ほなまたね〜😆