(本物?AI?)
おはようざいます。
ヤモリです。
最近は虚しさを感じる事が多くなった。
生きる気力が感じられない。
ゴロゴロベッドで
TVを観る喜びや
新しい小説を手に入れて喜びを満喫し、
新しい漫画で充実感を覚える。
「こんな生活ではダメだ」
とずっと思って改善する方法を
模索してきた。
運動不足になり
人との交流はなく、
めんどくさくもあり、
友人とも連絡を
しなくなってもう10年以上。
相手が積極的に連絡を
くれる人が2人いるおかげで
年1回〜2年に1回は
他人との交流がある。
社会人なのに
隠居生活みたいな暮らしをしている。
仕事するか
メディアに興じるか。
仕事があるだけまだマシなのだが
ひとりぼっちのこの仕事は
つまらない。
動くわけでもないので
身体はどんどん衰えている。
給料も今後下がっていく事が
確定しているので
サラリーマンでありながら
将来の不安の方も大きい。
それでも恵まれていると
人はいうかもしれない。
しかしこの環境に慣れてしまった私は
あまりにも無力である気がする。
昔はやる気があったから
うまくいっていたが
今はやる気も失ってしまった。
同じ会社内でも
業種が変わってしまって
夢中にはなれない。
本当に
「仕事だからしている」
という表現が人生の中で
一番ぴったりくる。
それなりに工夫しているが
熱量は昔の1/10以下である気がする。
しかしこれは老化した
からなのかもしれないので
仕事のせいとは言い切れない気もする。
しん、とした家の中は
慣れているからなのか
望んだ結果なのかも今は不明だが
めちゃ好き、
という感覚も否めない。
賑やかなのは歓迎だが
面倒は多分嫌いである気がする。
求めているが
わがまますぎて人には
迷惑をかけそうな気がする。
家に閉じこもると
好きでやっていても
このようにネガティブ思考が
自分を支配する。
一人が好きなのか
もう一人は嫌なのか。
同時の感情が交差して
どっちかに決められない。
どっちも好きであり、
どっちも嫌いなのだ。
未来は明るいものではなく、
このまま一人で生きていき、
やがて人に助けを請わないと
生きていけないような身体になって
人に迷惑かけながら
死ぬのを待つしかなくなるような
そんな未来しか思い描けない。
生産性もなく
何かを世に残すというでもない。
しかし世に残せるものを
作れたとしてそれが普通の世界になった時、
この心理状態に戻る気がする。
そうなったらやっぱり
何も残らずに
虚しさだけが残るのではないか?
その先に何か
いい事が待っている気がしないのは
やはりそこに
辿り着いた事がないからだろうか?
目指すものは何か、
という問いに答える事が
できなくなっている。
現実が見えてきたからだ。
しかしその現実は
今を取り巻く環境だからこその
現実であって
環境が変わればその現実も変化する。
しかしいい方向に進むとは思えない
その環境の変化は
怖くて踏み出せずにいて
現実を変えるのを
極端に嫌がっている自分がいる。
「なんとかなるさ」
は行動した人が言える言葉で
その言葉を発している時点で
すでにその一歩を踏み出した人だ。
そんな友人がいれば
一緒に踏みされるのでは、
と思うが実はそのチャンスは
何度も訪れており
ここ1年程も2回訪れた。
しかし数年前にメニエールを発症してから
環境に変化を与える事は
精神が耐えられないのではないか、
という不安もすごく大きい。
年をとるとこうやって
自分がどんどん劣化していくのを感じて
それがさらに自分を臆病にして
行動を制限させていく事になる。
その臆病さを見せたくなくて
家族持ちはいつまでも
行動を緩めようとしないのかもしれないが、
独り身はどうやったって
生きていけるのに
「これ以上惨めになりたくない」
という精神力が働いて
結局家族持ちの人より臆病になって
行動しなくなる。
ぬるま湯に浸かりすぎて
それが当たり前の
環境になっているから
そこから抜けられなくなるのだろう。
毎月お金が定期的に入るというのは
ぬるま湯そのものだ。
「人に言われるこれをやっていればいい」
という正解が出てきてしまうと
それが例え将来の自分を蝕むものでも
そこにすがりつくようになる。
脳は楽な方に流れてしまう。
一人で何かを行動するのは
精神力が必要なので
それをやるなら
毎日の習慣という力を
手に入れないと
ずっと続けられるものではない。
憧れている小説家などは
どんな心境なのだろうか?
基本的に
「毎日毎日作り、書き続ける」
事に仕事の意義を見出さないと
とてもやっていける
仕事ではない気がする。
そして私がその環境を手にしても
その先には「虚しさ」がある気がする。
このブログも書き続けて
4年くらい経過していると思うが、
特に何かを得ているわけではない。
「やる気」の慣れた先に
「それ以外の虚しさ」が
押し寄せてくる。
ほんまでっかでダメな男
モラハラ男の特集があった。
自分とはあまり
関係ない気がして観ていた。
いつも通りのTV鑑賞だ。
基本頭を働かせていないので
いつも通り
「ちょっといい話でもったいないけど、消そう」
と消してしまった。
この回は俺のことを言っていた。
「モラハラ夫の特徴として夢を夢のままにする人は愚痴を言って自分の奥さんにも文句をつけてくるよね」
池田先生がこんな感じのことを言っていた。
(ここから先は記憶を頼りに書いているので実際とは違う可能性があります)
夢を持っている人はいいんだよ、
夢に登る道を分解して
計画を立てて
ひとつひとつ行動するような人は
例えその夢が
叶わなかったとしても、
その行動力は他で
成功する可能性が高いからね。
夢を夢のままで
行動しない人は論外だよ。
夢が実現なんてするわけないし、
夢の行動ができないのを
周りのせいにするからね。
そうゆう人は無駄に
正義感や倫理観が強くて
それを人に押し付けてくるから
モラハラになるんだよ、
そうゆう男には
近寄らない右方がいいよね。
俺の人生を数十秒で表現された。
まさにそうやって
何も行動せずに生きてきた。
「ミュージシャンになりたいとか言って一曲も作ってないやつ」
って俺のことやん。
小説家になりたいって
一冊も書いてないやつ。
そんなやつはモラハラ男で
ルールを押し付けてくるから
近寄らない方がいい、
ということだった。
少人数の集まりでは
ルールを作らない方が
うまくいく。
門限とか作って
「9時門限なのに9時5分に帰って怒ってたらその子供はグレるよね」
俺はモラハラ男らしい。
変なルールを作って
相手に押し付けてくる男。
「嫁さんは質素な服を着てないとダメだ」
とはいうような男らしい。
親の姿を子供はなぞる。
「あんな親にはなりたくない」
といいながらも
結局その親と
同じ行動を取っている。
実際に母親は友人にお金を融通していた。
俺も一緒でお金を融通していた。
母親は何も言わなかったが
多分数百万単位だと思う。
俺も一緒だ。
そしてその結果
何も残っていない。
思考は親に似てしまい、
同じ道をたどる。
父親は歌が好きだった。
しょっちゅう歌っていた。
老後はカラオケ行ったり
歌の合唱団みたいな
ところに入ってたらしい。
年を取って
ようやく夢に向かって
無理しない範囲で
楽しい範囲で行動し始める。
俺もこのブログを書いたきっかけは
創作物を作りたかったからだ。
いつのまにかただの
日記というか
思考を整理するだけのものに
なってしまったが
これを書くのは自分の
アイデンティティのような気がして
なんとか平日は書けている。
それでもやっぱり
休日はかけない。
夢のままで生き続けたせいで
いや、当時からそうだったな。
「怖くて手が出せない」
という臆病さが前提にあるんだ。
モラハラ男から卒業する方法。
「電話番号はパートナーに教える」
このブログがバレるから
教えたくない、
ということはあると思う。
(今見たら、個人情報とは連動していなさそうだな)
今回のブログは
自分の今まで生きてきた人生を
全て否定されたような
そんな内容なので
正直誰にも見せたくない。
男してダメだと
突きつけられた回だ。
これを書いて
少し安心してしまっているような
感覚になっている時点で
救いようのない男である気がする。
仕事でもポロっと
文句を言っていた、まさに昨日。
「もういい加減この位は言ってもいいだろう」
と思っていたがそれはどうやら
俺の本性であって
それを言うことが
俺の本質らしいのだ。
本日も最後まで読んで頂いて、
本当にありがとうございました。
ほなまたね〜😆


