心に傷がついたり、心が病になったりしても、
体に傷がついたり、体が病になったりしても、
魂を浄くし、浄く保つことができるのが仏教です。
心や体を直接的に治すわけでは、なく。
(「維摩経」より)

 

僧侶は傷病治しの施術者ではない。
傾聴、寄り添い、感情のハケクチ、助言者、伴走者、木偶の坊、
そういったなにかになれればいい。

 

わたしは、だめ人間でいいよ。

仏さまに使われる者は、
ただただ愚鈍に、
その命と体を使われるのです。
 
自分の
卑しさ、醜さ、弱さ、
汚さ、卑怯さの全ては、
仏さまに使われるために、
必要だった。
 
だめ人間だから、腰は低くなる。
誰をも拝める。
 
自分の
生苦、病苦、老苦、死苦は、
他者の苦痛に通じる門だ。
 
すべてに感謝。
顔晴ろう。
わたしがかわろうがかわるまいが、世界は流転しつづける。
しかし、わたしがかわれば、わたしの世界は確実にかわる。
わたしが見ている世界と、
わたしが見なくても存在する世界は、違うのだろうか。

生きとし生けるものの幸福を願い。
死にとし死せるものの冥福を祈る。
生死をわけない。
あらゆるいのちが輪をなしている。
そのなかに、わたしもいる。