2023年10月のテーマ
「映画を観て連想したクリスティー作品」
第二回は、
「娘は娘」
アガサ・クリスティー 著、中村妙子 訳、
早川クリスティー文庫、 2004年 発行
です。
今月のテーマでいうところの"映画"とは、先月公開された、「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」です。
「娘は娘」は、クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で書いた作品の一つです。
ミステリー作家として成功していたクリスティーが、ミステリーでない作品を書くときに用いた名前が、メアリ・ウェストマコット。
以前下記の記事の中でちょこっと書いた「春にして君を離れ」もメアリ・ウェストマコット名義です。
さて、「娘は娘」のあらすじはというと…。
若くして未亡人となり、一人娘セアラを育ててきたアン。娘ももうすぐ成人年齢に達するというのに40代のアンはまだ若々しく、優しく穏やかな人柄から彼女に求婚したいと考える男性も周囲にたくさんいます。
けれどもアンは献身的な母親であり、自身の恋愛ごとには無関心でした。
一方の娘セアラは生き生きとした若い娘で美しく聡明。はっきりと意見を言うタイプで家庭では少々わがままです。
男の子たちにもモテていますが、一番好きなボーイフレンドのジェリーは仕事についてもすぐに文句を言ってやめてしまうとといったたちで、母のアンはあまり好ましく思っていません。
セアラは自分に自信を持っていて、もう自分は大人だと思っていますが、中身はまだ甘えん坊の少女なところがあります。
自分ではそれに気づいていないので、おっとりした母のことを自分が気を付けてあげるのだと思い込んでいます。
セアラが旅行で留守にしていた時、アンはリチャードという男性と出会い、恋に落ちます。
二人は結婚を考えるようになりますが、帰宅したセアラは大反対。
アンは娘と恋人の間で苦しむのですが…。
この、"ですが…"の先が二転三転する愛憎劇なのです。
主にアンの視点で描かれているのですが、セアラやリチャード、その他の登場人物の視点で描かれている部分もあり、それぞれに「気持ちはよくわかる」と言いたくなります。
映画では、アンやセアラのような登場人物が出てきたわけではありませんが、物語の根底に"母一人娘一人の親子の間にあった愛憎劇"というものが流れていたので、すぐにこの物語を連想してしまいました。
実は、十年以上前に買った時一度読んだきりの作品だったのですが、インパクトが強くて記憶に残っていたのです。
内容の詳細は流石に忘れてしまっていたので、映画を観た後再読してみました。
すると、最初に読んだときの記憶までよみがえってきました。
この物語のインパクトが強かったのは、"母と娘の愛憎劇"にありがちなパターンからちょっと外れているように感じたからなのです。
私の偏見ですが、"支配的な母親とそれに苦しめられる娘"みたいな話は割と物語としてあるような気がします。
この場合、主人公は娘の方で、母親は身勝手な愛によって子供を束縛していることに気づいておらず、大体の場合、力関係からいっても母親が諸悪の根源です。
「娘は娘」では、むしろ母親は娘を束縛しないように気を付けていて、娘の方がそれと気づかず母親を束縛しています。
どちらにも相手を支配したいという気持ちも悪気もないのですが、娘は母を傷つけ、傷つけられた母は殻にこもってしまい結果的に娘を傷つけます。
愛するがゆえに互いに傷つけあってしまう、悲しいと言えば悲しいですが、私にとってはイライラさせられる物語でもありました。
つらいことから目を背けて、気づかないふりでやり過ごそうとした結果、傷つけあっているからです。
二人の関係が最終的にどのように落ち着くかというところまで、ぜひ読んでもらいたいです。
「娘は娘」は、愛し合う母と娘のすれ違いや葛藤を描いた作品です。
内容的には映画とは何の関係もありませんが、エッセンスとしては感じた作品です。
ミステリーではないクリスティー作品、おすすめいたします。(*^▽^*)