2021年11月のテーマ

「感情が揺さぶられた戦争ノンフィクション」

第一回は、

「夜と霧」<新版>

ヴィクトール・E・フランクル 著、池田香代子 訳

みすず書房 2002年発行

 

 

です。

 

以前に、こちらの記事でも書いたことがあるのですが、改めておすすめしたい一冊です。

 

 

この本は、第二次世界大戦中に、心理学者であったフランクルがナチスドイツによって強制収容所のいち収容者として体験したことを書いた本です。収容所の中での過酷な日々を綴ったこの体験記は、日本でも1956年に旧版が発行され、2002年に新版が出ました。

 

著者のフランクルは、心理学者ではありますが、最後の数週間を除けば収容所の中で医者としての仕事を与えられていたわけでも何でもなく、ほとんどの期間をただの"「番号」119104"として塹壕堀りなどの過酷な労働をしていました。

収容所にいったん入ると体中の体毛を剃られ、名前までも奪われ、ただの番号として扱われます。

人間としての「個」を徹底的に殺されてしまい、極限状態で生きるということがどういうことなのか、作者は心理学者としての客観的な視点で描いています。

 

未来に何の目的も持てない中で、ただ生きることそれだけを目標に日々を過ごす。

収容所を生き抜いた名もなき人々はみな戦士です。

毎日大勢の人たちが死んでいく環境のリアルな描写でありながら、本書では残虐な行為を細かく書いてあるわけではありません。そういう点では昨今のホラー小説なんかの方がよっぽど表現がきついと私は感じます。

しかし、この本の収容所という過酷な環境が人々の心と体をすり減らしていく様子は小説なんかよりずっと生々しく感じられます。

「生きる」という戦いを戦い抜いた作者にも、他の名もなき収容者たちにも、畏敬の念を覚えずにはいられません。

 

一方で、「生きる」ために人間らしい心は封印するしかないという事実も作者は書いています。

"収容所で生き抜いた"というのは美談ではないということも。

自分が生き残るために、殺されるリストに入らないようにするということは、自分以外の誰かがリストに載るということ。

昨日まで一緒にいた人間が、今日はもういない。

はじめのうちはみんな動揺するけれども、そのうち慣れてしまったかのように無関心になる。

心を守るために、感情が動かないよう自己防衛するようになるのです。

こういった収容者の精神的変化について、収容所の生活を知らない我々読者は想像するしかありません。

 

ひとつ、作者による収容者の心理分析で印象的なシーンがあったので、ご紹介しておきたいと思います。

 

大戦末期、連合軍が優勢になりドイツが収容所を放棄して撤退したため、作者を含めた収容者たちはようやく収容所から解放されます。

彼らはしばらくの間元収容所に留め置かれましたが、出入りは自由になり、時折近隣の農家などに食事に招待されることもありました。

ある時、作者と仲間が収容所に向けて田舎道を歩いていたら、前方に麦畑が現れました。

作者は反射的によけようとしましたが、一緒にいた仲間が彼の腕をつかんで引っ張り、麦畑を突っ切ったのです。

芽が出始めたばかりの麦畑を踏み荒らして彼らは楽しそうだった・・・という描写なんですが、今まで過酷な体験をした、自分はひどい目にあってきた、だからちょっとくらい羽目を外してもいいじゃないか!という気持ちが彼らを動かしたのだろうと作者は分析しています。

 

しかし、農家にとっては麦畑を踏み荒らされれば大きな痛手を受けるわけです。

傷ついた人間ならば何をやっても大目に見てもらえるというわけでは決してありません。

でも元収容者の彼らには、自由にふるまうことが当然の権利だと思われた。

 

こういう心の動きって、理性で考えればこんな理不尽なことはないです。

自分の行動を正当化するにあたって、「自分だってひどい目にあったから」という理由付けをすることは身近にもあると思います。

ただ、冷静に考えればその理由付けは身勝手で、正当性を示すものではありません。

 

元収容者の人々は解放されたからといってすぐに元のように人間的な気持ちを思い出せたわけではない、ということを作者は伝えています。解放された後も、自分という人間を取り戻すために、彼らは戦っていかなければならなかったということに、胸を締め付けられるような気がします。

 

この本は、作者が実際に体験したことをできるだけ客観的な目線で描いた、珍しい体験記だと思います。

私は「生きる」ことのみを目的とする人々の様子に心を揺さぶられました。

一方で、過酷な環境は人間の心を徹底的に壊す力があるのだということに恐怖を覚えました。

今、世の中は窮屈で生きづらいと感じることも多々ありますが、「生きる」戦いを戦い抜いた戦士たちのことを思うと、大抵のことはまだ自分の限界ではないと思うことができます。

皆が私と同じように感じるわけではないと思いますが、おすすめします。(*^▽^*)