さて、六月の閑話休題です。
2020年6月のテーマ
おうちにいよう(第二弾)
でお勧めしてまいりました。
外出制限の解除にもなっていることですし、おうちにいて楽しめる作品というよりは、モヤモヤとした気持ちを吹き飛ばしたい、気持ちの殻を突き抜けたい、という感情がこみあげてきて、後半はそういう作品を選んでみたつもりです。
さて、表題の『読書は自らに栄養を与えること』ですが、ここ最近とてもこのことを感じています。
かつての「時間をつぶすための読書」は今やスマホいじりや携帯ゲームにとってかわられています。
つまり、今や読書をする人のほとんどが、勉強のためであったり、自らの楽しみのためであったり、何らかの動機があってそうしているわけです。ですから、本からの栄養吸収率は俄然いいと私は考えます。
さっきから、栄養といっていますが、心の栄養、知識として蓄えられる栄養…など人それぞれだと思います。
でも何かしらの栄養は受け取っていると思います。
以前にも書きましたが、私が読む本はその多くが小説です。
知識が得られることを期待して読むわけではなく、主に心の栄養のために読んでいると思っていましたが、最近は別の栄養も受け取っている気がしています。
説明しづらいのですが、例えば、小説を読んで、お話に夢中になる。
主人公が本の中で経験する数々の出来事は、現実世界で自分が体験することはほぼ確実にないような種類のものでも、それに伴う喜びや悲しみ、苦しみの感情を読者は疑似体験する。つまり、間接的に経験を増やしていることにもつながるのではないかな・・・と。
うまい言い回しが見つからないのですが、「経験値を上げる」って感じですかね。
冒頭で、「モヤモヤとした気持ちを吹き飛ばしたい、気持ちの殻を突き抜けたい」と書きましたが、今月の私はずいぶん本や映像作品に気持ちの面で助けられました。
まさしく栄養をもらった感じがしています。
この場合の栄養は「元気」かな。
本にしろ、映像作品にしろ、心に訴えかける何かを持っている作品は私たちに「栄養」をくれると思います。
それがどんな栄養になるかは、その人次第であり、その人が選んだ作品次第でもあります。
日頃意識しないままに本を読み、映画を観ていても何らかの栄養をもらい続けていると思います。
時には相性が悪くてよくないものを受け取ってしまうこともあるかもしれません。
でも、自分に何の感情の変化ももたらさないものなら、きっと興味もわかないはず。
興味がわいたら、読んでみてじゃんじゃん栄養をとりこみましょう。
私も普段はこんなこと考えて読書していません。
モヤモヤして、心がざわついているときは、「なにもしない」のは苦痛です。
それに、こういう時に本を読むのは、現実逃避しているような気分になりがちです。
読書って外から見ると静的な活動ですからね。
以前、読書は現実逃避か?という記事を書いたことがあります。
年月が経って、私の読書に対する考え方も少し変化があったなと、この度は思いました。
なんだかまとまりがなくて申し訳ありません。
さて、来月は
2020年7月のテーマ
ちょっと古典文学
と題しまして、少しクラシックな読み物をお勧めしようかなと思っています。
以前やった「世界文学に親しもう」と何が違うんだという感じですが、1900年より最近の本も入れようかと思いまして…。
ご興味ありましたら、のぞいていただけると幸いです。(*^▽^*)