自由気ままな下手くそ小説 ~第二弾 マーチングバンドが舞台 「見えない手と手」~ -5ページ目

第162章―悶々と

 目覚めは最悪だった。昔の思い出が散々頭の中をよぎった後、昨日の玄関での出来事が何度もリピート再生された。秀樹はそれに耐え切れなくなって飛び起きたのだ。

「はぁ……。」

 気分が晴れず、頭がぼうっとしているのは、寝起きだからだろうか。窓の外に広がる空は暗く、家族はまだ誰も起きてはいない。とりあえずスッキリしない気分を晴らそうと、秀樹は部屋から出て、台所の冷蔵庫から缶ソーダを持ち出した。そしてリビングとベランダを仕切る窓を開いて、外に出た。

「……やけに暖かいな、今日は。」

 北風を体に浴びて、眠気を覚まそうと目論んでいた秀樹だったが、どうやらそれもできないらしい。もわっとして、今にも雨が降り出しそうな外は、春が訪れたと錯覚してしまいそうなくらい暖かかった。

「ふぅ……。」

 ため息をつき、両腕を手すりの上に乗せて、両手のひらで缶を包み込む。缶が手のひらの体温を一気に奪っていくが、無論頭はさえない。

「ちくしょう……。」

 そう小さく呟いて、秀樹は思いっきりプルトップを引いた。そして缶を唇にあてがうと、息継ぎもせず、一気に中のソーダを飲み干した。炭酸が食道を、これでもかと言うくらいに痛めつけ、液体が、口を、喉を、腹を冷やしていく。腹にたまったガスが、げっぷとなって一気に出て行った。

 けれどもやはり、気分は晴れなかった。

「ハァッ、もう一眠りしよ……。」

 もう少し寝れば、ちょっとは楽になるかもしれない。一瞬だけそう考えたが、そんな簡単にこの鬱々とした気分が晴れるはずはないと、すぐに気づく。

 原因が寝起きのせいではないことぐらい、秀樹も分かっていた。けれども分かったところで、解決する方法が見つからないのだ。だから寝起きのせいだということにして、逃げようとした。別に誰かに責められているわけではない、ただ、現実から目を背けたかった。

 そんな自分が歯がゆくて、秀樹は右手に持っていた缶を握りつぶした。そして、無言で部屋の中に入っていった。

 それから数分も待たずして、衝立の向こう側のベランダに千尋が出てきた事を、秀樹は知らない。そこで千尋が静かに肩を震わせ、涙を流していた事も、知るはずがない。


 自分の部屋に戻った秀樹は、再びベッドに横になった。でも、寝付けない。

 気分は冴えないのに、目だけが冴えてしまっていた。寝れば何も考えなくてすむ、一瞬だけ現実から目を背けられる……。なのに、何で自分の体は眠りに落ちてくれないのか。

 とても歯がゆい。一向に寝てくれない身体、千尋を傷つけてしまった自分、そして、その事実から逃げようとしている自分が、憎くて、悔しくて、情けない。

 いっそのこと、散々もがき苦しんじまえばいいんだ。現実から逃げまくって、それでも逃げ切れなくて、ズタボロになっちまえ。

 自己嫌悪が募る。

 一体どっちなんだ。早くすっきりしたいのか、自分自身を散々痛めつけたいのか……。そんな整合性のない感情たちに挟まれて、秀樹は一つの結論を出した。

「今ここで俺が苦しんだって、千尋を傷つけた事への償いになるわけではない。だから、自分を痛めつける事は意味がないんだ。あんまり自分を責めなくたって良いじゃないか。」

 ……どうして、こんな時だけもっともらしい事が思いつくのか。千尋だって苦しんでいるだろうに、どうして自分はこんな利己的な考え方しかできないのか。

 自己嫌悪がどんどんと深みにはまっていく。感情が崩壊してしまいそうだった。そして、考える事に疲れ果てたとき、秀樹はようやく眠りにつくことができた。


つづく