昨日投稿したこれ、あの後ゆるゆると考えてみました。
まず夫の「ガーナ人は忙しいから躾が出来ない」という言い分。
どんなに忙しい親で子育てする余力がなかったとしても
「トイレで排泄する」とか「食事の最低限のマナー」とかは
教えますよね。
忙しいからそこらへんでおしっこしちゃっていいわよ、とか
どんな食べ方だってお腹に入れば同じ、という風にはならない。
いやこれになるという親とは人間として関わってはいけない。
なぜそういったことを教えるのかと言えば、それが出来なければ
自分の属するコミュニティで将来問題が起きるのが確実だからです。
日本のマトモな親は、上記のようなことと同じレベルで
道徳観念を教えますね。
これは同じく日本でもこの道徳観念がないと生活していくのに
非常にシンドイことになるからです。
生活スキルとしてほぼマストな世界ということですね。
じゃあなんで日本とガーナの違いが生まれるのか?
私の憶測でしかないのですが、2国の宗教観というものが
関係しているのではないかと思います。
キリスト教やイスラム教って何かあっても神様が赦してくれる
世界です。
人を騙しても人から物を盗んでもその人と和解できなくても
とりあえず反省すれば神様が赦してくれてチャラになります。
被害者とか関係なく自分の中では精神的にリセットできるわけです。
一方日本はその手の神様がいない。
いいことも悪いことも全部見ているおてんと様とか
悪いことをチャラにするくらい善行を積まないと
赦してくれなかったりしてやたら厳しい。
下手すると「それはそれな」っていっていつまでも
罰が下る可能性もある。
というように日本の文化ってその手の救いがないんですよね。
となるとコミュニティを円滑に動かすためには
各々が自分を律するしかないわけです。
でもね、夫が言うように夫の親世代は躾が出来ていたわけじゃないですか。
あれも日本同様「コミュニティの中で迷惑をかけられない」という
義務的な面があったからですよね。
今でもこじんまりしたコミュニティで王様が有能だったりすると
割と円滑に物事が進んでいたりしますよね。
地方の小さなコミュニティを見てからアクラに戻ってくると
全体を統括する王様がいないゆえの無法地帯という感じがします。
監視が緩いので個々で好き勝手にやる。
道徳観念は高等教育みたいに余裕のある人が教わればいいと思っている。
そういうのが積み重なってあの状態なのかなあと。
ということで、結論としては「ガーナの場合は道徳観念を
生活スキルのマストから引きずり下ろしたゆえの敗北」であり
YOU GHANAIANS ARE NOT SERIOUS AT ALL !!
という夫が一番聞きたくない言葉にいきつくのであります。