楽しかった中間世の記憶 | 藤香峰(ふじかね)智子の英語は世界へのパスポート

 

私は地球上で何度も生まれ変わっているのだけど、生きて肉体を持っている間とそうでないとき(中間世)がある。

 

死んでいる間は中間世とでも言えば良いのだろうか。

なんというか・・・・お空の上で生活する、と言ったら適当だろうか。

 

多分ここでは天国か地獄に別れるのだろう。

私は天国の方だ。

 

 イメージです

 

天国はとても楽しい。

何をするにも自由だし、

好きな人と遊び暮らしているのだから。

(仕事をする場合もあります。)

 

肉体がないし、痛くも痒くもない。当然のことだが亡くならない。

 

地球上のように、病気にもならないし、

 

盗まれることもないし、

高いところから突き落とされる心配もない。

 

魂の休息時間でもある。

 

その代わり、

魂のレベルをここであげることはできない。

存在する階層というものがあり、

その階層を移動することはできない。

 

例えば地獄に行った人が天国に行きたい、と思うとする。

それは無理である。

 

じゃあ、魂のレベルをあげ、より幸せな階層に行くにはどうしたらいいのか。

 

それは生まれ、徳を積むことである。

生まれる、とは

何か課題を背負って、その課題にチャレンジすることである。

そうしたことで、魂は磨かれ、

人はその行いによって徳を積むことができる。

 

悪業にはその報いが、

善行にはその果報があるのだ。

 

それは中間世、行く階層になって現れる。

だから死後、楽しくて幸せな天国に行きたかったら

良い行いを生きている間にすることだ。

 

地球で肉体があるときは、価値のあるものといったらなんだろう。

 

 

 

 

お金だろうか。

家族だろうか。

生きがいだろうか。

やりがいのある仕事?

 

お金について言えば、

死後、あちらの世界に持っていくことができない。

そういった意味で、お金を人から奪ったり、お金に執着しすぎるのはナンセンスだ。

 

 

地球上では、皆、何かしらの課題を持っている。

それについて、どう解決するのか?

もしくはしないのか。

自由意志なのだ。

 

自分が決めて、それをどう解決するのか、その過程がとても尊い。

それが本当の宝物と言っても良い。

 

そして、

 

地球で、経験した幸せな人間関係。

愛や、思いやりや心を通わせた出来事。

楽しかったこと。

 

こんな心温まる思い出を持って、中間世に旅立つ。

これを宝物と言わずしてなんと言えば良いのだろうか。

 

だから、死は怖くないし、

私はむしろ楽しみだ。

 

さあ、これからどんな楽しい思い出を作ろうか。

そんなことを考えて生きていこうと思っている。

 

私は私で、あなたにはなれない。

あなたは私にはなれない。

 

私という人生は、私でしか味わえないのだから。