闇は光を求めて⑪離婚をあきらめなかった10年 | 藤香峰(ふじかね)智子の英語は世界へのパスポート

こんにちは。

口から飛び出す英語トレーナー藤香峰智子です。

この『闇は光をもとめて』シリーズでは、女性の自立をテーマに私の体験記を綴っていきます。

 

私がどのようにして自由を勝ち取り、自分らしく生活するまでを書いています。

 

今日は11回目になります。

 

↑ 秋を思わせる花を見つけた。

さきたま古墳公園にて。

 

 

 

離婚をあきらめなかった10年

 

 

 

私がYと将来的に離婚しよう、と決めてどれだけの年月が経っただろう。
2012年、娘が0歳のときに、もう、このYとはやっていけない、と見切った。

それからどうしたらよい方法で離婚できるのか、ふとした瞬間に考えていた。


それから約10年後、とうとう私は思いを果たすことができたのだ。

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フランクル『夜と霧』に戻る。

ぼろ靴につっこんだ傷だらけの足の痛みに泣かんばかりになりながら、私は極寒の中、氷のような向かい風をついて、長い行列を作って収容所から作業現場までの数キロの道のりをよろめき歩いていた。・・・・〈中略〉・・・・今日の夕食はなんだろうか。今日の「おまけ」はたぶんソーセージひと切れだろう。これはパンと交換したほうがいいだろうか。
・・・・・〈中略〉・・・・
 来る日も来る日も、そして時々刻々、思考のすべてを挙げてこんな問いにさいなまされねばならないというむごたらしい重圧に、わたしはとっくに反吐が出そうになっていた。

そこで、わたしはトリックを弄した。突然、わたしは皓々と明かりがともり、暖房のきいた豪華な大ホールの演台に立っていた。わたしの前には座り心地のいいシートにおさまって、熱心に耳を傾ける聴衆。そしてわたしは語るのだ。
講演のテーマは、なんと、強制収容所の心理学。

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私の場合は、いつか離婚しよう、

という未来への希望があったから10年もの長い時間を耐えることができたのだ。



さて、フランクルはこうも語る。・・・・

人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、と。

わたしたちひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最後の時が近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている。

失望させないでほしい、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ



結婚後、私はだんだんと配偶者Yとはどのような人間かわかるようになってきた。
つまり、命の根底が惨めな人間なのだ、と。
そして、その惨めさを隠したいがために、いつも隣にいる私の欠点をあげつらって、笑いものにして、見下していた。


つまり、自分より下位の人間を作ることによって、
自分という存在の相対的価値を高めてきたのだ。

(これを指摘してもYは逆上するだけなので、私は口には出さなかっただけ。)


今、私は収容所のようなYの家を出ることができて、
そして自分中心の生活をすることができて、
本当に幸せだと感じる。

A:暴言という手段を使うのを選ぶ人間。

B:祈りを胸に秘め、未来に希望を持つ人間。

A:人から生きる希望を奪いながら離婚をしたくないし慰謝料も払わないと言い張る人間

B:闇のなかに光を見出し、希望に向かって進む人間。

同じ人間ならどちらがいいだろうか。
客観的に見れば私はBが断然良い。Bの生き方のほうが
かっこいいし、美しい。

私はBで良かったと心から思う。


Yから学んだことは、彼のような幼稚な生き方をする人間は幸せになれない、ということだ。


さらに言うなら、とてもではないが、

残虐性や幼児性を配偶者にぶつける人間とは婚姻関係を続けることができないし、そのような人生とは、私は無縁であるべきだ。

こうして、10年間の私の忍耐は実を結んだのだ。

あとは、自分をもっと幸せにしてみせる。

いや、もう私は幸せの軌道に乗っているのだ。

 

こう思える自分は感動的だ。

もう、何も恐れる必要はない。

 

どん底を見てしまったから。

もう、上しか見えないし、そこは私にとって天国なのだ。

 

諦めなくて本当に良かった。