この本を読んでみたら、自分の経験した苦悩の意味がわかるのでは?
いや、分からなくてもいい、自分の癒しにつながるだろう。
そう思って手にした本がある。
『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル
著者はオーストリア人の精神科医。
1940年台のドイツのユダヤ人狩りの犠牲になり、強制収容所のアウシュビッツに送られ、奇跡的に生き延びた人物だ。
収容所の看守という支配者層と支配される層の間で起こる絶え間ない暴力。
その地獄絵図のような環境の中で生きるフランクルに代表される労働者たち。
生きることさえ意味が分からなくなる厳しい状況の中で、
そこに存在した人間の本質と本性が剥き出しになる、強制収容所の様子。
その中で、事実を書き留めることに自らの使命を見出して、生き延びる糧にしたフランクル。
その壮絶な収容所の有り様と人間模様を描きながら
その中でも、人間性と人間の尊厳を求めるフランクルの描写に
読み手の私は時折、涙が出そうになった。
もし、私が強制収容所に入れられていたら、どうしただろう。
生きることに希望を見出すよりも、むしろ、死に希望を見出していただろう・・・・。
そう思わずにはいられない、悲惨で過酷な暴力が描かれていた。
実は、私は過去の結婚生活で、元夫によるモラルのない態度を経験している。
彼の暴言や暴力がいかに不毛か、思い知った結婚生活だった。
私は、キリがない義母や元夫からの暴言から逃れたくて、どうしたら離婚できるかずっと考えていた。
どうしたら女性が自立できるか、それが私のテーマだと思うほど考え抜いてきた。
この本を通して著者が問いかけているテーマがある。
それは
「絶望の果てに光がある」ということ。
どんな時も、人生には意味がある、ということ。
何かが、誰かが、
絶望しかけた人生の延長線上で待っている。
だから、投げ出さないで欲しい。
人生に例えイエスと言えなくても、
いつの日か人生の方からイエスと言ってくる日が来るのだから。
私はこの本を読みながら、
苦しかった結婚生活を思い出し、
離婚前後の、心身ともにボロボロになった自分が
立ち上がるための、
私が本当の人生を生きるための
精神闘争を思い出さずにいられなかった。
正直なところ、困難の中で
どうやったら自分が健康になってくれるのかよく分からなかったし、どうしたら働けるようになるのかも、よく分からなかった。
でも、今は奇跡的に
心身が健全になり、
私の今後の人生は、光があふれていると感じる。
実は深い闇があったから、強い光を感じるのだと思う。
☆次回からはもう少し、私のこれまでの体験とフランクルの著作『夜と霧』について掘り下げていきます。
それが私の癒しにつながり、
同時に、社会への貢献になると思うからです。