ジャリおじさん
大竹伸朗
福音館書店
この絵本「ジャリおじさん」を編集した
澤田精一さんの講演会を主催しました。
以下、わたしが感じたことです。
わたしが「ジャリおじさん」に最初に出会ったとき。
「**ジャリ」と
保育園の園長先生が
朝早く登園してきた子を
お膝に抱っこして読んでいる姿。
「ジャリジャリ? なにそれ!!」
「あ、わたし、そういうの無理だわ」
でも引っ掛かりがあった。
というか衝撃を受けた。
ありきたりじゃなかった
見過ごせなかった
自分が思っていた「絵本」というものの外にあった。
受け入れられなかった。
素通りできなかった。
いわゆる自分の持つ「絵本」という概念から
外れたものに出会ったとき
「あ!いいね」と受け入れられない自分。
だけど
なんか気になる。
そんな「ジャリおじさん」との出会いでした。
今までと違うものが出てきたときに
意外と
身内が受け入れない
ってことは
あるかもしれないと思いました。
そこで
「じゃあしょうがないですね」
と引き下がったら生まれない絵本があるのかも。
引き下がらないから
生まれた。
そして
いちばんの理解者は
「こども」
ですよね。
子どもが喜んだ。
子どもが面白がった。
大人(わたし)は後から評価として頭で受け入れて理解していく。
そういうことはあるのかなあ。
組織の中で、
誰もやらない仕事をやられると周りの人がめんどくさがる
ってことは
あるかもしれない。
もしくは、おもしろがって周りが応援してくれるかな。
そうだったらいいんですけれど、そういう例は少ないかもしれません。
誰もやらない仕事をやる。
そういう人がいなければ
旧態依然。
変わらない。
新しいものは生まれない。
新しいことをやろうとしたときに
どうしても叩かれるのは
想定内?
メンタルが脆いと
叩かれたら
「やっぱりいいです」と引き下がってしまいそう。
確固たる信念を持っていないとできない。
「新しいものを生み出す」と
口で言うのは簡単だけど
そんなに簡単なことじゃないでしょう。
それをかたちにしてルートに乗せていく
というのは職人的な技と粘り強さと信念が必要とされるのかなと。
「ジャリおじさん」で言えば、
同じ色の紙がコラージュされているところは
同じ色に見えて、違う紙を使っているので
微妙に色が違うそうです。
その微妙に違う紙の色を出してほしいというのが、大竹さんの要望だったそうです。
普通、製版するときは絵柄だけを画像データにして、
紙の白は飛ばすんだそうです。
ところが
その飛ばす白をだせというのは、印刷会社ではできない。
改めて大型のカメラで原画を撮影して、そのフィルムでの入稿となったそうです。
印刷屋さんとは
何度も何度もやりとりがあったそうです。
現代美術の人を絵本の世界に引っ張り込んできた。
その澤田さんの編集者としてのセンス、というんでしょうか。
嗅覚、というんでしょうか。
「編集者という仕事は、医師や弁護士のように資格があるわけじゃない」
「編集者というのは、なんかネタがないかな、といつも探している人種だ」
とおっしゃってました。
常にアンテナをはっているんですね。
アンテナのはり方は資格試験で勉強して身につけられるものではないですよね。
編集者の名前は絵本の中には書かれていないことがほとんどですけど
(書いてある絵本もありますね)
1冊の絵本が誕生するために、すごく重要な役割を担っている、ということを
改めて認識しました。
それを知ったからどう、というわけではない、かもしれない。
けれど、すごく面白い。
コーフンしかない。
ジャリおじさんのボタンの数がページによって違うんだそうですよ。
講演会に参加してくれた絵本セラピスト仲間のにょっきさんが
ジャリおじさんのカバーのバッグを作ってくれました。
そういえば、ジャリおじさんに絵本カバーついてましたっけ?
ジャリおじさんについては
以前
YouTubeで好き勝手に喋っているので
もしよければ見ていただければと思います。
澤田精一さんには
次回
「編集者の目をくぐり抜けた絵本」というテーマでご講演いただきたいと思っています。
お楽しみにお待ちください。
澤田精一さんとのツーショットがめちゃくちゃ嬉しいわたし。