わが国は本当に台風災害に強くなったのか? | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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基地問題を考える愛国者連絡会 / 自由アジア連帯東京会議

死者80人、71河川の135箇所で堤防が決壊(10月20日時点)する被害を出した令和元年台風19号と、「昭和の三大台風」とも呼ばれる室戸台風・枕崎台風・伊勢湾台風とを比較し、わが国は本当に台風災害に強くなったのかを考えてみる。

大水害をもたらした昭和22年のカスリーン台風を契機に数多くの治水事業が随所で進められ、また、住宅も当時よりも堅牢な構造のものが多くなった現代、死者数千を超える人的被害や、数万戸規模に及ぶ大規模な住宅の全半壊を生じる事態には先日の台風19号でさえ至らなかった。

わが家の近くを流れる荒川や、その支流である隅田川等が決壊せず、東京の『海抜ゼロメートル地帯』が水没しなかったのは、堤防の強化事業の他、彩湖(荒川第一調節池)や岩淵水門の新水門、国道16号の地下に掘られた首都圏外郭放水路、臨海部に整備された防潮堤によるところが大きい。


(写真:閉じられた岩淵水門)

江戸開府以降現在に至るまで延々と続けられた治水事業によって、東京都心は台風被害を免れた。だが、このことを以って「わが国は台風災害に強くなった」と安堵していいのだろうか?

先ずは台風の勢力のこと。「昭和の三大台風」のうち、最も多くの犠牲者を出した伊勢湾台風の上陸時の気圧は930hPa、室戸台風に至っては911.6hPaで、今の基準に例えればこれらの台風はいずれも「猛烈な」勢力でやって来た。因みに今回の台風19号が伊豆半島に上陸した際のそれは「猛烈な」より二段階下の「強い」。台風と被害の因果関係は勢力のみでは言い表せないが、少なくとも台風19号、上陸前に「過去最強クラス」などと報じられていたが、「昭和の三大台風」クラスには勢力の面では及ばなかった。因みに台風19号に先立つ台風15号では千葉県を中心に大規模な停電が発生、影響は長期に及んだ。風速40m/sを基準に立てられた電柱の多くが倒壊したのが停電の原因と聞く。仮に室戸台風や枕崎台風のように瞬間最大風速が60m/sを超える事態となった時、より電気に依存した生活を送る首都圏ではどれ程の備えが出来ているのだろうか?

二つめ。今回、東京都心を守った数々の調節池よりも上流部やその支流では氾濫が多発した。都心さえ守られれば他はどうでもいいなどということはあってはならない。これについては詳細・精緻な原因の調査が望まれる。

三つめ。都心部を守った首都圏の数々の調節池や遊水地。最も貯水量の多い渡良瀬遊水地以下、荒川第一調節池や首都圏外郭放水路、神田川・環状七号線地下調節池等々、各地の大規模な治水施設の総貯水量は台風通過直後には9割に達していた。今回はギリギリだった訳で今後を考えると決して安堵出来る状況では無いだろう。


(写真:台風通過翌日の荒川第一調節池)

四つめ。地球温暖化問題と昨今の台風被害をリンクさせて語る者がいる。「台風の巨大化は温暖化が原因である」と。然し「昭和の三大台風」のように猛烈な勢力のまま上陸する巨大台風は近年あまり聞かない。一方で千曲川氾濫を筆頭に、近年台風による大規模な被害のなかった長野県や福島県で多くの犠牲者が生じた。今まで、台風は沖縄や南西諸島を通り、四国や紀伊半島などの西日本に上陸することが多かった。関東に到達する頃には勢力も衰えた状態となっていることがほとんどだった。私は地球温暖化による気候変動とは「今まで雨が降らなかったところに雨が降る」「寒かったところが暑くなる」と云うように文字通り「状況が変わる」ことだと思っている。だから「台風の巨大化」に怯えるよりも(勿論そういう面もあるのだが)、むしろ「今まで台風の直撃を免れていたところ」における今後の防災対策が、過去の事例のみより想定したものから脱却しなければならないと考える。

五つめ。情報の活用のこと。今回の台風19号。稀にみる雨台風であること、その勢力や進路等々、気象庁による事前の予報はおおむね的中した。予報技術やスーパーコンピュータの性能の向上によるものと聞く。「昭和の三大台風」の頃とは比較にならないほど、私達は事前に台風の動向を知ることが可能になった。突然訪れる地震と違い、台風はあらかじめ情報が得られるのだ。にも関わらず80名もの人命が失われた。この犠牲は本当に不可避であったのだろうか? これらについても徹底的な検証が望まれる。

考えてみれば私達はより自然を意識せぬ生活へと邁進している気がする。暗いのが当たり前の夜ですら電気の力で街を明るく照らし出し、どんなに雨が降っても移動は電車や車と云う守られた空間の中。そして堅牢で気密性を増した住処に居住する。漆黒の闇や吹き付ける雨風に身体を晒すことは皆無となった。結果、時として起きる自然の猛威に対する想像力を欠いてしまったのではないか? 想像力無き防災などあり得ない。

そして、台風や集中豪雨がもたらす水害について。かつて田中正造が「水は自由に高きより低きに行かんのみ 水は法律理屈の下に屈服せぬ」と語ったとされている。治水とは結局それに尽きる。そして私もなのだが、多くの人達が河川によって運搬された砕屑物が堆積した、利水は容易なれど洪水のリスクの高い沖積平野の上で暮らしている。