京都文化博物館「陽明文庫の名宝13(後期)」 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

京都文化博物館 


へ行ってきました(^_^)/



残念ながら、本日(12/03)までだったのですが、企画展「陽明文庫の名宝 


この企画展では、五摂家のひとつである"近衛家"が所有する貴重な宝物を、毎年テーマを変えて展示しています。

で、展示されている国宝は、私が一番好きな国宝 御堂関白記。

展示は、自筆本と古写本の2巻のみでした(^_^;)

では、レポートします。

今回は、文字ばっかりのレポートですので、覚悟してください(^_^;)




・国宝 御堂関白記より
自筆本
寛弘六年下巻【後期】
古写本
寛弘六年巻【後期】

陽明文庫所有の国宝。

もっかい言っときます。私の一番好きな国宝です\(^o^)/

「此の世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも無しと思えば」
の歌で有名な、藤原道長の日記ですね。教科書にもでてきます。
平安時代、摂関政治で思うがままに権勢を振るった、御堂関白こと藤原道長の日記。
国宝であり、ユネスコの世界記憶でもあります。



自筆本 寛弘六年下巻
具注暦(ぐちゅうれき)という、官製のカレンダーに書き込みする形で、日記を記しています。道長44歳時の自筆日記、14巻あるうちの1巻です。

寛弘6年(1009年)の日記は、春夏巻の"上巻"と、秋冬巻の"下巻"があり、今回展示は"下巻"です。

展示は11/19〜12/9部分表面を1.3mほどを展示していました。
では、気になる部分の日記を見ていきましょう。

11/25
丑の刻 娘の「中宮彰子が産気づく」との報を受け、道長見舞いに行く。
辰の刻 男皇子降誕。(第三皇子敦良(あつなが)親王、後の後朱雀天皇の誕生)

※前期のレポートで、彰子は第二皇子敦成(あつひら)親王(後の後一条天皇)を産んでいるので、年子で毎年出産してますね(^_^;)しんどそう……

11/27 
"産養(うぶやしない)"をする。
産養とは、誕生祝いの宴会のこと。
公卿を招いて宴会をしています。三日連続の宴会です🍺

11/29
五日目の産養です🍻!
「今夜の事、我、奉仕す」と、あるので、この日は道長が幹事だったようです。

12/2
七日目の産養……🥂
この日の幹事は、一条天皇。天皇も幹事するんや……
この後、産養の記述は12/4まで続きます。

12/9
「皇子が、初めて産衣を着た。」
「"胞衣(えな)"を、産屋の東に埋める。」
"胞衣"って、胎盤のことですよね。何かのオマジナイかな?
てか、出産から2週間経ってるので、"胞衣"腐ってない?(^_^;)


と、まぁこんな感じです。

前回は、第二皇子 敦成親王の出産の話しを中心に、今回は第三皇子 敦良親王の出産の話しをが中心でした。
娘の彰子の三人目の出産で、道長は、天皇の外祖父の地位を、盤石なものとしました。




古写本 寛弘六年巻

古写本12巻の内の1巻。
道長の孫 師実(もろざね)の書写によるもの。

11/19〜12/2まで1mほどを、展示していました。道長自筆本とほぼ同じ箇所の展示です。
ちなみに孫の師実の方が、字がキレイです(^_^;)

では、内容を読んでいきましょう。

11/19
道長の四男 能信が、馬に足を踏まれ、賀茂臨時祭を辞退した。
ん〜何かマヌケ……

11/25
彰子、男子出産。
自筆本と同内容ですが、自筆本の裏書き部分もまとめています。

11/27
自筆本の脱字を修正。

同じ年の同じ箇所を展示していたので、古写本の特徴である"必要箇所をまとめて見やすくなっている事"が、実感できるような展示になっていました。

おそらく近衛家の人々も、実務的には古写本を参照し、自筆本はコレクションアイテムとして、保管していたのでしょう。
今回も、字ばっかりでした~

陽明文庫は、この御堂関白記を含め、8件の国宝を所有しているので、もうちょっと国宝の展示件数を増やして欲しいなぁ……