京都国立博物館「京博寄託の名宝」書跡編② | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

2024年9月現在の国宝の総数1,143件。そのうち、美術工芸品912件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

京都国立博物館で開催中の「京博寄託の名宝」のレポートの続きです。
考古編】【絵画編①】【絵画編②】【彫刻(仏像)編】【書跡編①】に続いて6本目のレポートになります(^-^)/

今回は【書跡編②】です。

紹介する国宝は、

・国宝 後嵯峨天皇宸翰消息(仁和寺)
・国宝 宗峰妙超墨蹟「関山」道号(妙心寺)
・国宝 菩薩処胎経巻第二(知恩院)
・国宝 禅院額字并牌字(東福寺)から
・国宝 古林清茂墨蹟「月林」道号(長福寺)
です。

では、順にレポートしますね(^-^)/



"宸翰(しんかん)"とは、直筆文書のこと。"消息(しょうぞく)とは、お手紙のこと。つまり、後嵯峨天皇の直筆のお手紙です。
巻子に仕立てられてて、平置きの展示です。
正直、何が書いてあるか読めません(>_<)が、文書の両端に「仁和寺」のハンコが押してあるので、仁和寺が所蔵していたことがわかります。現在も仁和寺所蔵で、京博に寄託されています。文字は右側に詰めて書かれていて、左側には大きく余白がとられています。
後嵯峨天皇唯一の遺墨だからでしょうか?国宝です。
宛先は、当時の仁和寺の門跡であった、道深法親王(どうしんほうしんのう)。
内容としては、お礼のお手紙です。
「去年は天災が多く大変でした。でも、道深法親王が修法してくれたお陰で、今年は適度な風雨でいい感じ(^-^)/ありがとう」
そんな感じです(^o^)


・国宝 宗峰妙超墨蹟「関山」道号

大徳寺を開山した、宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)というお坊さんが、後に妙心寺を開山することになる弟子の関山慧玄(かんざん えげん)に、与えた"道号"「関山」です。
掛け軸に大きく「関山」と書かれています。その下に小さい字で書かれているのは"偈(げ)"と言って、この場合「関山」の意味が書かれています。
師匠である宗峰妙超が、弟子の慧玄に、
「今までで良く頑張ったな(^_^)
お前に"関山"という名を、与えよう。"関山"の意味はだなぁ……」
と授けたものなんですねぇ。
大徳寺を開山したエライお坊さんと、妙心寺を開山したエライお坊さんの"奇跡の瞬間"がまさに切り取られているといっても良いでしょう(^-^)/
文字の大きさも相まってインパクト大です。



中国西魏の時代の書体を伝える、現存唯一の"書"だそうです。これ以外は、石碑でしか残ってないんだって。
中国では失われてしまって、日本にだけ残っているお宝ってヤツです。曜変天目なんかもそうですねぇ。
折り経です。アコーディオンみたいな、折り畳み式のお経です。巻初と巻末が同時に展示されています。折り経だからできる展示方法ですね。表紙には金箔が散らしてあり豪華です。
お釈迦様が亡くなる前後のお話しを、母親の胎内で10ヶ月説法するためのお経??だとか(>.<)y-~


・国宝 禅院額字并牌字(東福寺)から

禅院額字并牌字(ぜんいんがくじならびにはいじ)。
禅宗のお寺に掲げる"額字(がくじ)"と"牌字(はいじ)"の原本です。
これらの書を元に、篇額や表札が作られたりするわけです。
首座(しゅそ)」は役職名。「浴司(よくす)」はお風呂の表札です。このシリーズは東福寺に残されていたもので、全部で5つあります。(残りの3つは、三応・書記・大円覚)
円爾(えんに)という僧が宋に留学中、師匠であった高僧 無準師範(ぶじゅん しはん)から与えられたものです。ただし無準師範が書いたものではないそうです。
どうせなら、国宝5つとも展示して欲しかったな。


・国宝 古林清茂墨蹟「月林」道号

古林清茂は、ふるばやし きよしげ ではなく、クリン・セイムという南宋の高僧です。セイン・カミュでもありません(^_^;)
そのクリンさんが、後に長福寺の開山となる弟子の月林道皎(げつりん どうこう)に与えられた道号が、この「月林」です。
先に紹介した「関山」と同様、大きな文字でインパクトがあります(^o^)
関山」は道号と偈が縦に並んでいましたが、こちら「月林」は横に並んでいます。

書蹟編は以上で終了です。
次回は、【工芸編】です。