興福寺 国宝館で見る「志度寺縁起絵」と「華原磬」 | 死ぬまでにすべての国宝を肉眼で見る

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2023年12月現在の国宝の総数1,137件。そのうち、美術工芸品906件。これをすべて肉眼で見ようという計画です。関西中心の情報をお届けします。

先日、興福寺 南円堂での大般若経転読会のついでに、国宝館を拝観してきましたので、その時のレポートです。

国宝館は立派な展示施設で、阿修羅像が安置されているので有名ですね。
現在、国宝館で拝見できる国宝は以下のとおりです。

・乾漆八部衆立像 8躯(阿修羅像含む)
・乾漆十大弟子立像 6躯
・木造金剛力士立像 2躯
・木造天燈鬼立像、木造龍燈鬼立像
・板彫十二神将像
・銅造仏頭
・木造千手観音立像
・金銅燈篭
梵鐘←訂正(仮講堂安置)
・華原磬
・興福寺金堂鎮壇具

こんなにたくさんの国宝が見られるなんて凄いですね~

さて、現在国宝館では中金堂の落慶を記念して、特別展を併開しています。


・再会~興福寺の梵天と帝釈天
・邂逅~志度寺縁起絵

の同時展示です。

両方とも展示の一番最後に、2畳ほどのスペースで展示されています。
宣伝の仕方が大袈裟なのでもっと展示が多いと思っていました。

「邂逅~」の方は、梵天と帝釈天の2点のみの展示。
「志度寺」の方は、3点の展示。

「邂逅~」の梵天と帝釈天は、梵天が興福寺の所有、帝釈天が根津美術館の所有です。
昔、両方ともに興福寺にあったお像でしたが、廃仏毀釈の煽りを受け帝釈天は寺外に流出しました。
それが、里帰りして昔のように並んで立つ。というのがウリなんですが、当人達はどうなんでしょうね?とくに帝釈天は、なかなかツライ人生を歩んできたみたいなので…

「久しぶりに会えて嬉しいよ~」なのか?
「幸せそうなツラしやがって!こっちは辛酸を舐めて生きてきたんだ!」なのか?

二人並んでいるけれど、心中いかがなものでしょう?


「支度寺」の方は、
・重文 志度寺縁起絵
石造泗濱浮磬(せきぞうしひんふけい)
そして、

の4点の展示です。(ただし華原磬は千手観音の前の定位置)

おもしろかったのは、「海女の珠取り」の物語をベースにした展示になっていたところです。

まず、大織冠像で興福寺が藤原鎌足を起源とすることを再認識しました。
大織冠像は2D画像の掛軸装で、三尊形式で描かれています。トップに藤原鎌足、右にその息子で僧の定恵(定慧、貞恵とも)、そして左に興福寺創建に最も関わった不比等を配しています。

見慣れた絵だなぁと思っていたら、この大織冠像、先日の高槻しろあと歴史館の「藤原鎌足と阿武山古墳展」でたくさん見たんですよ。
興味を引かれて、重文 志度寺縁起絵(これも2D掛軸装)を見ると、そこに描かれていたのが「海女の珠取り」の物語。
これも「藤原鎌足と阿武山古墳展」で屏風絵などが展示されていました。

「海女の珠取り」はこんな話し。

藤原不比等は、お父さん(藤原鎌足)の供養のためお寺を建てようとしていました。
一方、不比等には美人の妹がいたのですが、その美しさから中国の偉い人の元にお嫁に行っていました。
妹は、お寺を建てる話しを聞きつけ、「それならこのお宝を、お寺に納めて欲しいわ、お兄さん」と、
3つの宝を日本に送りました。それが、
・面向不背の珠
石造泗濱浮磬(今回展示)
・国宝 華原磬(かげんけい)(興福寺国宝館の千手観音の前に常設展示)
です。

3つの宝は、さる武人が日本に届けることになり、海を渡ります。
ところが途中で龍が現れ、3つのうちの一つ「面向不背の珠」を奪い海の底の竜宮城へ持ち去られてしまいました。
命からがら日本にたどり着いた武人は、不比等に無念の報告をします。
それを聞いた不比等は一計を講じます。

「そうだ、海女さんと結婚しよう」σ(^_^;)?

不比等は身分を隠し、日本一深く潜ることのできる海女を口説き落とし、結婚、子供をもうけます。
子供が3歳になったとき、ついに不比等が切り出します。

不比等「オレ、不比等やねん。海の底の龍から珠を取り返して欲しいねん。そのためにお前と結婚してん。」
嫁「マジかよー!」
嫁「わかった。そのかわりこの子をあんたの跡取りにしたってな」
不比等「わかった(^^)ok」

かくして、海女は竜宮城へ潜ります。
竜宮城は警備が厳しく、なかなか珠に近寄れません。
海女は意を決し、突撃します!

海女「うりゃー」
龍「ギャオー」

海面に浮かび上がってきた海女の手足は食いちぎられ、無惨な姿となっていました。
ところが海女の乳房の中に「面向不背の珠」が隠されていました。
なんと海女は龍との攻防の中で、珠を奪い取ることに成功していたのでした。

不比等は海女のために寺を建立しました。その寺こそが支度寺です。

その後不比等は珠を興福寺に持ち帰り、中金堂の本尊の中に納めたのでした。

めでたし、めでたし。(イヤっぜんぜんめでたくない(^_^;)

その後、紆余曲折あって、「面向不背の珠」は琵琶湖の竹生島の神社にあるそうです。

さて、今回の展示では残りの2つのお宝が展示されています。
石造泗濱浮磬(せきぞうしひんふけい)
と、
です。
両方とも儀式の時に打ち鳴らす打楽器とだそうです。
石造泗濱浮磬は、石でできていて、マンボウみたい。
国宝 華原磬(かげんけい)は、繊細でデザイン性の高い芸術品でした。
巨大な国宝 千手観音立像の前に展示されているせいか、印象が薄く前回訪問時は記憶に残っていなかったんですよねぇ。
今回はじっくり見ましたよ~


そして今回思ったのが、高槻しろあと歴史館の展示で得た知識の蓄積が、興福寺 国宝館の展示を見るうえでとても面白く役に立ったということ。

国宝ウォッチを続けていると、こういう関連性が楽しい(  -_・)?ですよね。