はんたろうの書きもの。 -16ページ目

ライブー\(^o^)/

お友達に誘って頂いて

はじめてスピッツのライブに行ってきまして星

数曲しか知らなかったのですが


演奏力、意外性、MCの面白さで

初参戦でも全く問題なしでしたよニコニコ


あの声と、音と、ネガティブさが含まれた感じなのに軽やかなロック。


(作品に昇華されたネガティブさは大好物です。笑)




友達には本当に感謝です音譜

アイムソー・エキサイテッド!



photo:01




私も一緒に踊りたい衝動!笑


オープニングの色合いが可愛かったー

あんな雑貨が欲しい( ´ ▽ ` )

最期。

年末年始に惜しくもお亡くなりになった役者、著名人の方々。


あの人亡くなってしまったのか…って、さみしい気持ちになると同時に、
もっと身近な人たちの胸の内を考えると居たたまれないおもいがします。

そして、漠然と、自分の父が亡くなった時のことを思い出します。



それまで、近親者が亡くなった事がなく、はじめての身近な 死 だったので
価値観が変わるきっかけになった出来事でした。


急にガクッと、でははく、
じっくり、落としたインクが染みていくように。



よく、ワイドショウのなかで、ご本人の闘病の様子なんかを特集していたりして
親しい人にも闘病を伝えなかった、とか
面会を断られて会えなかった
というエピソードがあります。

最期に会いたかった、というご友人・知人のかたの気持もわかります。
もう二度と、動く姿を見られず、本人の声も聴けませんから。


でも、必死に闘っていた本人の最期です。

会わない終わり

を選んだ当人の意志を、どうか汲んで、尊重してほしい。




実際に、あまり会いたくない人だったのかもしれない。笑
変わった姿の自分を見られたくなかったのかもしれない。

それ以上の優先順位のものがあるのかもしれない。


でも、できるだけ責めないでほしい。



手から離れて空に飛んで行った風船の最期を見ないように
相手と自分の間に終わりの線を引きたくなかったのかもしれないから。




父は、3年ほどの闘病の末逝きましたが
母には、親戚に知らせなくてよい、と伝えていました。

もともとあまり密な付き合いではなかったものの、
兄弟の居ない父にとっては幼少期を共に過ごした同世代の親戚もいました。

末期のころには半分ぼけた祖母によって一部の親戚に話が伝わって
病室におじさんが襲来(笑)したことがありましたが


ほかのだいたいの親戚は、葬儀での再会となりました。



その時、葬儀場に来て開口一番

なんでこんなになるまで知らせなかったんだ!!
あんたはいいかもしれないけど会えなかった気持かんがえてみろ!


と、どれだけ幼少期の思い出があるか、可愛がっていたか、母に対して罵り始めたのは
父の従姉妹にあたるおばさん達。


この状況で分かるように
父は、お見舞いに来る親戚たちで、母の気持ちを煩わせたくなかったのです。


そのほかにも葬儀の手順などに(地域差もあったので。)いやみを言って帰って行った奴ら…いや、おばさまたち。


そんなに親父が大事だったら、普通まず手伝い位申し出るよね、
という家族内での結論に達しました。。笑
(実際、父の事が好きだった、と語ってくれた伯父伯母たちは
何も言わずにまず作業にとりかかってくれました。)



まあ、わがやの場合はあまりいい例ではなかったですけれど
この経験をして以来、亡くなった人や遺された家族を責めるのは非常におもいやりのない事だなと実感した訳です。。。



最期なんて、相手の事を思ってさようならできるだけで、なんて上等なんだろうっておもいますから。







長っ!!