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2012年12月21日、人類滅亡の大予言

7月9日(23:00)

 

 最近、凄く気になっていることがあります。

 おどろおどろしいことですが、2012年12月21日に、人類が滅亡するという説が、真しやかに囁かれていることです。

 これだけなら、昨今の流行である科学空想、フィクションの世界だと笑って見過ごせるのですが、その根拠が、中米に花開いた「マヤ文明」だというので、ちょっと見過ごせなくなりました。


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マヤ遺跡(パレンケ・メキシコ)


 というのも、詳述は避けますが、マヤ文明とは、高度な数学や暦学、天文学を駆使するも、文明の発展には不可欠である鉄の使用が全く見られない、考古学上、特殊な文明と位置づけられていますが、私も、その神秘的な文明に魅せられ、4回にわたりメキシコ、グアテマラ、ホンドゥラスに赴き、取材をし、その結果を、「マヤ文明の謎」(大陸書房)として一冊の本にまとめ上げた経緯があるからです。

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拙著「マヤ文明の謎」(大陸書房刊)

 現在では、マヤ文明の研究・調査は長足の進歩を遂げ、私が取材した頃とは比較にならないほど、その謎が白日の下になっています。

 マヤ文字の解読が進み明らかになったことですが、「チラム・バラムの書<予言>」の中に、2012年の人類の終焉が述べられているといいます。チラム・バラムとはマヤの予言者のことです。

 暦の節目節目に、未来のことを予言していますが、1481年ー1500年には、東の方から白い肌をし、ひげを生やした男がやってきて、神の名の下にこの地を支配する。というような記述があります。

 言うまでもなく、1492年はコロンブスがアメリカ新大陸を発見、その後、1519年はスペインの探検家、フェルナン・コルテスがマヤの北側に栄えていたアステカ王国を攻め、キリスト教の名の下に、占領統治したことと、驚くほど一致します。

 マヤ人は、褐色の肌に黒髪が常であり、この世に白人が存在するなど、想像もしていなかったので、まさにその予言が的中したといえます。

 人類滅亡の根拠とされるのは、そのチラムバラムの書に、マヤ歴の起年から5200年後の2012年に、彼らの言う第5の太陽が終わる、と記されているからです。


 アメリカや中国の有力紙も、こぞって2012年地球の終焉を書き、その最たるものは、アメリカ映画で2009年11月に公開された「「2012」です。

 ご覧になった方もいると思いますが、非常に迫真的で、さもありなんと思わせるような、ノンフィクションを感じてしまいます。

 

 また、中国紙では、単なる数字合わせなのですが、2008年5月12日に起きた「四川大地震」、2010年1月12日の「ハイチ地震」同じく2010年2月27日に起きた「チリ大地震」を取り上げ、その日付を、5.12 1.12 2,27 と並べ、今度はその数字を縦に並べ、

5,12

1,12

2,27

横からでも縦からでも、同じ日付になることを不思議がっています。

他の文明ならともかく、数学に優れ、すでに0の概念も持っていたマヤだからこそ、この数字の裏に、何かミステリアスが隠されていると思ったのかも知れません。それにしても、不思議な偶然ですね。


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四川大地震


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ハイチ大地震

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チリ大地震

 この例に挙げた大災害のほかにも、このところ異常な現象が立て続けに起きています。

 順序は別に、アメリカのミズリー州やアラバマ州の大竜巻、ブラジルの洪水、ミシシッピー河の氾濫、オーストラリアの大洪水、旱魃、中国の洪水、東日本大震災、はては、スペインの地震など、まさに、この世の終わりを告げるかのような大災害が頻発しています。

 このマヤの予言を信じる人にとっては、2012年待たず、すでに今年がその終焉の年と考えているかも知れませんね。

 5200年も後の話ですので、前後の1-2年の誤差などは、蚤の垢ほどでもないでしょう。


 ただ、マヤ文明に携わった一人として、はっきりといいますが、チラム・バラムの書は、暦の上での大きな転換期であるとはしていても、地球や人類が滅亡するとは一言もいっていないことです。

 イギリスのホーキンス博士は、この200年以内には地球が滅亡するので、生き残るのなら、宇宙への脱出が必要、6年間を掛けて、光の98%の速度まで加速すれば、宇宙船の中の1日は、地球の1年分に当たるので800年(数年)もあれば脱出は可能と言っていますが、この説はマヤの予言とは何の関係もありません。

 マヤの予言は、フィクション界の類推的解釈、拡大解釈だと思います。

 


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マヤ遺跡(チチェンイッツアー・メキシコ)

平昌(韓国)冬季オリンピック開催決定の波紋

7月8日(23:00)


 2018年の冬季五輪の開催地が、韓国の「平昌」に決定しました。

 2020年オリンピック誘致を計る東京には大きなショックですが、反対に、3回連続の立候補を予定し、東京と争うマドリード市はほくそ笑んでいます。

 理由は、皆さんもお分かりだと思います。

国際オリンピック委員会の規約で決められてはいませんが、同じ大陸での続けての開催は一種の不文律になっているからです。

 IOCのロゲ会長は、92年のバルセロナの後、94年にリレハンメル、04年のアテネ大会の後はトリノで開催した事実を挙げ、そんなことはないので、開催希望都市は、積極的に誘致をして欲しい、とコメントしています。

 IOC会長としては当然の見解ですが、バルセロナ、リネハンメル、アテネ、トリノは、全てヨーロッパの都市です。

 彼らの考えの中には、ヨーロッパは別格とする、ご都合主義が見え見えです。これならば、FIFAのワールドカップの開催地のように、同大陸での開催は禁止する、と決めた方がずっとすっきりしますし、今回で言えば、東京は誘致のための無駄な税金を使わなくてすみます。


 この点だけなら、俄然、マドリード有利説が浮上するのですが、誘致の要件は他に幾つもありますし、過去2回失敗しているガジャルドン市長は慎重で、まだ態度を決めていません。


 東京がどうするかは、つぶさに報道されているので、あえて触れませんが、マドリード市が、2度の立候補経験とインフラが80%が完成していることに加え、IOCに3人の委員がいる(何故だか分かりませんが)という、非常に有利な条件が揃っているにも係わらず、ためらっているのには、いくつかの条件があります。


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2016年度の開催候補地のロゴ

 まずは市民の支持です。

 2012年(ロンドン開催)の時は、開催支持率が91%もあり、ロンドンの68%を大きく上回っていましたが、最後の最後に、某国のIOC委員のボタンの押し間違いで敗れてしまいました。

 2016年の時にも、開催都市となったリオデジャネイロと同じ、85%の高い支持率をキープしていました。

  しかし、2010年5月、「マドリードはもう一度オリンピックに挑戦すべきか」というアンケート調査を行った結果、開催支持は54%に留まっています。

 ただ、この下降は、2度やっても駄目なのだから・・・というような考えからではありません。

 失業率が20%にも上る、スペイン全体の経済の停滞によるものです。


 ついで、2018年の冬季オリンピックの開催都市が、どの都市にになるかということでした。ドイツやフランスになっていれば、立候補はしなかったでしょう。

 結果はアジアでの開催ですので、この点はクリアーしました。


 3番目は、競合する都市がどこかということです。

 真っ先に東京をあげました。

 大地震や津波の影響が考慮されるので・・・という思いもありましたが、何しろ2020年の話ですから、それは関係ないと打ち消しています。

 言外には、あれだけの大打撃を受けた日本が、その復興を世界に示す、という意気込みがIOC委員に伝わるのではないか、というニュアンスを感じますが、結果的には、2大会連続で同大陸での開催というのが最大のネックになるという判断から、東京をライバルから外しています。



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マドリード五輪サッカーの決勝戦が行われる予定の
サンティアゴベルナベウ・スタジアム
(レアル・マドリードの本拠地)

 現時点で、一番その動向が気になるのが南アフリカ共和国の「ダーバン」です。そうです。「平昌」を開催地に決めた都市です。

ダーバンは、今年5月、国の経済状態を考えれば、オリンピックどころではないと、暗に立候補しないことをほのめかしていましたが、ここにきて、南アのスポーツ大臣が、全ての扉は開かれている。閉まったドアーは一つもない、と発表しています。

 私の所属するクラブも、「アーチュリー」と「近代五種競技」の会場になりますので、ぜひともマドリードで開催をと願っていますが、もし、ダーバンが立候補すれば、もはや勝ち目はない、という考えをガジャルドン市長や周りの人は持っているようです。

いずれにしても、今月の20日くらいまでには、市長の決定が出ると思います。

 来年の総選挙では、自党「国民党」が政権を担うのは確実視され、国からのバックアップが期待できますので、大きな追い風と成るのは確実です。思い切って名乗りを上げるかもしれません。



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ガジャルドン市長の執務するマドリード市庁舎(旧中央郵便局)

 何故、ダーバンだと勝ち目がないのか、その最大の理由は、アフリカ大陸で最初のオリンピック大会、という位置づけをされるからです。この強烈なインパクトには対抗策がありません。

 かつては、果たしてアフリカ大陸で・・・という疑念を抱いていましたが、昨年のサッカーW杯で見事そのキャパシティを証明しました。

 この経験を引っさげてダーバン登場となれば、願いとは裏腹に、マドリードも東京も、立候補するだけ無駄だと思います。

 そうなれば、一番困るのは利権の巣窟IOCかも知れませんね。


 

牛追い祭り(サン・フェルミン祭)


7月7日(23:00)

今日、7月7日は、日のいずる国と日の没する国の大きなお祭り日です。

東の日本は「七夕祭り」

東北大震災の被災地でも、一日でも早い復興を願い、幼稚園、小・中学校をはじめ、各施設で様々な催しが行なわれました。

 願いを込めた短冊には、それぞれの思いが書いてあります。

 一日でも早い復興を・・・と願う言葉が圧倒的ですが、中に、大きくなったら「消防士になりたい」、というのがあって感動しました。

 マスコミ各社は、国民を不安がらせる情報やニュース、どうでもいいようなことは、これでもか、という風に報道しましたが、大震災で、自身の家族の安全さえも犠牲にして、寝食を忘れて職務を全うした自衛隊、警察、消防、海保などの活動は、ほんの部分的に伝えられただけです。

 しかし、実際に災害現場で活躍する隊員たちの姿は、子供たちの心にきっちりと刻まれていたのですね。

 ニューヨークの同時多発テロ事件の後、消防士を志願する人が激増した現象に良く似ています。


 マスコミの報道には全く独自性がなく、特に大震災や原発事故に関しては、取材する記者に全く専門的な知識が備わっていない訳ですから、どの新聞も、どのTVも、政府からの発表を垂れ流すだけで、みんな内容が同じになってしまいます。

 自衛隊を「暴力装置」、といってはばからなかった連中の政府ですから、自衛隊を礼賛する情報を出せというのが無理な話ですが・・・。

 あの甚大な被害を受けた仙台空港が、アメリカ軍と自衛隊の共同作業で、わずか1ヶ月で復旧したことを覚えていますか。

 昼夜を徹した復旧作業の凄さはもとよりですが、任務を終え駐留基地に向かって飛び立つアメリカ軍に、感謝を伝えるため、地域の住民が砂浜に「ありがとう」と書きました。

 空中から眺めたアメリカ軍兵士の心中はいかばかりだったでしょうか。

 大震災、原発事故関連の映像の中で、個人的には、一番感動を覚えたシーンでした。


 オッと、お祭りの話でしたね。


 火の没する国スペインでは、今日から1週間に亘る「牛追い祭り」が始まりました。

 「バレンシアの火祭り」「セビリアの花祭り」と並び、スペインの三大祭の一つに数えられています。

 スペイン北部バスク地方のパンプロナという街で繰り広げられるこのお祭りは、毎年死傷者が多数出る、かなり危険を伴う行事がメインイベントになっています。



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パンプロナの位置

 「エンシエロ」と呼ばれ、午前8時ジャスト、その日の午後、闘牛士と戦う猛牛6頭が街中に放たれ、その牛を闘牛場まで追い込みます。


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市庁舎前広場の活気(赤色は祭りのシンボルカラー)


 追い込む距離は短いですから、今日のように、軽傷者が数人という、穏やか(?)な時は、わずか2分30秒で終わりますが、牛の角に引っ掛けられ死者が出るような混乱が起きると、時には10分も15分も掛かる場合があります。 私も、実際に死者の出たエンシエロを2度見たことがあります。


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牛追い

 その日の闘牛に使われる牛は6頭ですが、先導役を務める他種の牛も数頭参加します。

 映像を見ていますと、集団になった牛の後方や左右を、ある者は牛のお尻を引っぱたいたり、体に触れたり、尻尾を引っ張ったりしながら伴走している強者もいますが、土地の人にいわせると、そんなのは何でもない、本当の勇者は必ず牛の前を走るといいます。前といっても20mも30mも前では意味がありません。

 女性にもてるのも、できるだけ牛に近い位置、いわば一触即発の距離を保ちながら前方を走る男だそうです。 

 女性の気を引くのも命がけですね。


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牛追い


 このお祭りの歴史は古いのですが、知る人ぞ知る的な存在でした。

  ところが、アーサー・ヘミングウエイが、第一次世界大戦で負傷した兵士を主人公にした最初の長編小説、「日は又昇る」で、パンプロナ、特にこのお祭りを舞台にしたことから、世界的に有名になりました。

 パンプロナの街や牛追い祭り、鱒釣に出かけた近郊の村々の風景が格調高く謳いあげるられ、主人公の葛藤などが、読む人の心の奥深くまで入り込んでくるような、優れた人間描写も圧巻です。ぜひ一度読んでください。


 タイトルの「日は又昇る」は、人生に希望をなくした人が、ヨーロッパへの旅で傷心を癒し、新たな生きがいを取り戻すという観点から・・・と思っていたのですが、どうやら真意は違うらしく、今の自分自身の生活が、これからもずっと続き、明日もまた太陽は昇ってくる、という、ちょっと退廃、自嘲気味なネーミングのようです。


 数年前、まさに宝くじに当たったような幸運から、ヘミングウエイが好んで宿泊していた「ラ・ペルラ」という小さなホテルに泊まることが出来ました。

ホテルのベランダは、牛を追い込む通りに面しており、彼の泊まっていた同じ部屋のベランダから、牛追いを見物した経験もあります。


 もちろん、サン・フェルミンは牛追いだけではありません。1日中、闘牛をはじめ数々の行事が催され、夜中まで喧騒が耐えません。

スペインの三大祭の中でも、一番ダイナミックで、一番バイタリティーに溢れ、一番騒々しい、スペイン人には、一番お似合いのお祭りだと思います。

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市庁舎前広場