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スマーフの村<架空から現実へ>

7月12日(19:00)


 良く知られるように、スマーフはベルギーの漫画家、ピエール・クリフォールの作品に登場する架空の種族で、青色の肌を持ち、体のはりんご3個分くらいの大きさです。

 深い森の奥のどこかで、キノコか、あるいはキノコの形をした家に住んでいます。

 スマーフ(スペイン語ではPITUFO」は、50年ほど前に誕生していますが、その愛らしいキャラクターの人気は今も衰えず、世界中の老若男女に愛され続けています。


 日本でも報道されていますので、ご存知だと思いますが、今年、ソニー・ピクチャーにより映画化されました。

 8月12日の封切りを前に、宣伝と話題作りを狙ったスタッフが、スマーフの住む架空の村を現実のものに仕立て上げようと考え、ロケハンを重ねた結果、スペイン南部アンダルシア州マラガ県の「ATAJATE」「PARAUTA」「JUZCAR」の3ヶ村を候補地にあげ、最終的には「JUZCAR」(フスカール)村に白羽の矢を立てました。

スマーフの住む架空の村は、奥深い山の中に隠れ、適度の雨量があり、キノコの種類が多いという設定ですが、この村の環境が非常に良く似ている、というのが選定の大きな理由です。

 ただ、話はこれだけでは終わりません。 

 映画人というかクリエイターというのは、突飛なことを考えるものです。

 何と、このアンダルシア特有の白い村の全てを、スマーフ・カラーである青に塗り替えてしまおうというのです。

 フスカール(スペイン語<J>は、JAPONがハポンとなるように、全てがハヒフヘホの発音です)村は、観光地として有名な「ロンダ」から22kmのところに位置し、標高は620m、人口は僅か218人、小さな小さな村です。

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青に塗り替え前のフスカール村

 私も、青い壁の内に・・・と考えながらも、フスカール村を訪れたことはまだありませんが、ロンダから地中海の間に広がる、いわゆる「ロンダ渓谷」は、知る人ぞ知る栗の産地ですので、この辺りは何度も訪れ、周辺の雰囲気は良く分かります。

 平家の落人の里として知られる徳島県の秘境、祖谷(いや)渓谷の環境に良く似ています。


 ダビ・フェルナンデス村長は、ソニーの担当者から電話を受け、その意図を聞かされた時には、「冗談だろう」と思ったそうです。当然ですね。

 結局は両者の利害が一致したのか、ソニー側の申し出を受諾することになりました。

 白壁から青壁への塗り替え作業は急ピッチで進み、わずか3週間で完了しました。

 村人も、最初は多少の抵抗感があったのでしょうが、またとない村の観光促進に繋がるのは確実ですので、積極的に協力したようです。

 恐らく、映画が封切られた後も、元の白壁には戻さず、そのまま観光客誘致の材料として残すと思います。


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フスカール村

 アンダルシア地方の家の壁が白いのは、強烈な太陽の陽射しから守るためですが、北アフリカのチュニジアなど、やはり太陽光線の強いところでも、白と平行してブルーも良く使っています。

 ブルーの日除け効果も抜群ですので、村人の日常生活にはさしたる支障はないと思います。

 周りの村々が白く輝く中、おとぎの国の童話村のようで、面白いのではないでしょうか。

 他人ごとだと思って・・、・ということは全くありません。

 

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村の入り口の立看板<ようこそスマーフの村へ>


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フスカール村

ハポンさんの末裔 ③

7月11日(23:00)


 支倉常長の一行が、往路・復路で滞在した「コリア・デル・リオ」は、グアダルキビル河の流れに沿って発達したため、南北に細長く延びています。

 町のメイン通りは、河沿いから少し入ったところにあり、白壁の家々が軒を並べ、歩道には緑と橙色のコントラストが鮮やかなオレンジの並木が続き、辺りの風景に大きなアクセントをつけています。

 河畔に出ると、大河がゆったりと流れ、上流から流れ込む土砂が堆積し、水深が浅いと聞いていましたが、しばらく眺めていると、かなりの大型船も航行していました。


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グアダルキビル河を航行する貨物船

 使節団が上陸したと言われる船着場には、支倉常長の銅像が辺りを睥睨し、銅像の基部には、スペイン語と日本語で、使節の来歴が刻まれ、その歴史を今に伝えてくれます。

 

 船着場の一帯は、きれいに整備された公園で、周りにはいくつかのカフェ、居酒屋、レストランなどが軒を並べ、格好の憩いの場であり、町の集会場のような雰囲気になっています。

 河の流れに沿って、失礼を覚悟で言うと、こんな小さな町には相応しくないほど、数キロにわたって瀟洒な遊歩道が設けられています。

 夕暮れには、家族連れや恋人どうし、茶飲み友達的な感じのお年寄りなど、思い思いに散策を楽しむ人たちで賑わっています。

 いつも茶色く濁っているこの河で、一体どんな魚が釣れるのだろうかと訝りましたが、岸辺の至るところで太公望たちが糸を垂れ、私が通りがかった時には、その中の一人が大きな鯉を釣り上げていました。

 先般、ブエノスアイレスの国内線ターミナルに行った時、空港の前を流れる、褐色のラプラタ河で糸を垂れていた釣り人の姿に、いつか見た原風景だと感じましたが、コリアのこの場所でした。


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グアダルキビル河沿いの遊歩道


 この時は、幸いにもマリア・ホセさんも一緒でした。

 彼女の実家もこの河沿いにあり、良く散歩するそうです。

 何しろ彼女は超有名人、あちこちから声がかかります。

 その都度、立ち止まっては挨拶を交わすので、なかなか前に進みません。

 「この人もハポンさん。あの人もそうよ」と教えてくれるのですが、いったい何人のハポンさんに会ったのか、勘定も出来ないくらいでした。


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ミス・スペイン マリア・ホセさん

 現在の佇まいとは大きく違っているでしょうが、この素敵なコリアの町で、ある人は数日間、ある人は1年近く、ある人は、生涯この地で暮らしたとも言われています。


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ハポンさんに囲まれて・・・。コリア・デル・リオのカフェ
左 マリア・ホセさん、右 お母さん、後 お父さん

 それでは、何人の侍たちがこの町で過ごしたのでしょうか。諸説があります

 そもそも使節団の総数も180人であったり、150人であったりとはっきりしていません。

 その大半は通商目的だったので、メキシコで下船し、スペインに渡りローマまで行ったのは、最大で20人ー30人程度と思われています。

 それでは、なぜコリアに長期に滞在する必要があったのでしょうか。

 単なるこの地が気に入ったという理由では当然ありません。

 第一義的には、国王のからの帰国許可書です。スペイン船に便乗するのですから、時間の掛かるのは当たり前です。

 2番目の理由、これは支倉使節にとって最も重要である、メキシコとの直接通商のお墨付きです。

 結果的には国王の通商許可は出ず、使節の目的は水泡に帰してしまいますが、その証拠に、帰国許可書が出されたにもかかわらず、支倉は病気を、ソテロ神父(形式的には使節団の正使)は怪我を口実に、コリアに留まっています。

 許可を得て帰国の途に着いたのは13人のみで、あとの数人は支倉と共に残り、支倉が夢破れて帰国した後も、何人かが永住したのではないでしょうか。

 永住の理由としては次の3点が考えられます。

 1つ目は、現地で家庭を持ったこと。十分にありえます。

 2つ目は、団員の殆どが支倉と同じようにキリスト教の洗礼を受けていたこと。神の国に住むということです。

 3つ目は、日本ではキリスト教の禁教令が徹底されており、取締りが厳しかったことで。残留を決意させる大きな要因になるでしょう。


 しかし、ここで、大きな問題に行き当たります。

 この時代、日本においては理由の如何にかかわらず、脱藩は重罪です。

 本人はスペインという地にいて難はないでしょうが、罪は父祖、子々孫々、兄弟姉妹、一族にまで及びます。

 侍たるものそのような危険を犯すだろうか、ということです。

 そこで、私が推測するのは、使節団の武士の身分ではない人が、この地に住み着いたのでは、ということです。

 もちろん、今に残るハポンさんの先祖が、侍ではなかったというつもりは全くありません。

 1年間も滞在したのですから、色々なことが起きたことは想像に難くありません。

 幕末の蝶々夫人のようなケースもあったことでしょう。


 何かエンドレスの問答になってきましたが、それでは、この人たちの子供が、なぜハポンという姓になるのでしょうか。


 余談ですが、スペインでは、昔から夫婦の子供には、洗礼名と父方の苗字、母方の苗字を付けます。

 例えば、誰でも知っている天才画家ピカソです。

 彼の名前はパブロ・ルイス・ピカソです。ルイスとピカソの間にY(イ)を入れることはありますが、ルイスがお父さんの姓、ピカソがお母さんの姓です。普通は父方の姓を名乗りますが、ルイスはどこにでもある平凡な姓で、日本で言えば、田中さんや鈴木さんほどではないにしても、高橋さんや小林さん位にはあたります。よって、特殊な母方の姓、ピカソを使ったのです。

 この方式ですと、夫婦に男の子が生まれ続ける限り、父方の姓は消えませんが、母方の姓は3代で消滅します。

 ピカソの娘で、ファッションデザイナーとして有名なパロマ・ピカソさんという名前は、正式な結婚であれば、ピカソの奥さんがピカソという苗字を持たない限りありえません。商業用の名前ということになります。


この続きは又の日に・・・。

観光庁のこと



7月10日(23:00)


 2年ほど前まで、在スペイン日本大使館の一等書記官を務められていたYさんから、国土交通省の外局である観光庁に転勤するというご挨拶を頂きました。

 スペイン大使館時代から観光行政にも積極的に携わり、我々の団体とも情報や意見の交換を行い、深い協調関係を築かれました。

 帰国後は名古屋の出先機関にいらっしゃったようですが、今回の転勤はまさに適材適所の感がしています。


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 ご承知の通り、観光庁は2008年10月に発足しました。

 観光庁のHPを覗いてみますと、「観光庁は何をやるのか?」と自らに問いかけています。


・国際競争力の高い、魅力ある観光地作りを支援します。

・海外との観光交流を拡大します。

・旅行社のニーズにあった観光産業の高度化を支援します。

・観光分野に関する人材の育成や活用を促進します。

・休暇取得の推進や日本人海外旅行者の安全対策など、観光のしやすい環境の整備を行います。


 問いかけに答えたにしては、何をやるのか具体的なことが伝わってきません。

 お役所独特の言い回しで、平易なことばでいうと、権威がそがれると思っているのでしょうかね。

 賢明な皆さんは良く理解されると思いますが・・・。


 とはいえ、観光庁設立の柱となった、当時の小泉首相が掲げたスローガン「ビジット・ジャパン」1000万人作戦は良く分かります。

 2010年までに、訪日外国人を1000万人まで増やそうとする構想です。

 目標には届かなかったものの、835万人の訪日客があり、一応は成功といえるでしょう。

 国土交通省の統計によると、訪日外国人客数は、ここ10年余り右肩上がりですが、ビジット・ジャパン作戦が展開されてからは、急激に数字が上がっています。

 この数字を見る限り、観光庁の設置は間違っていなかったようです。


  いつもの通り、前置きが長くなりましたが、今の日本は、東日本大震災や福島原発事故を受け、訪日外国人の数が激減しております。

 このような時期、Yさんは、国際交流推進局の外客誘致室室長という重責を担われ、しかも、韓国、中国、台湾、香港という、訪日客数のベスト4地域を担当されるそうです。

 放射線問題等の実害もさることながら、風評被害が大きく、今年中に2010年の水準に戻ることはまず不可能に思われます。

 因みに、2010年は、韓国からは244万人、中国141万人、台湾127万人、香港51万人と、全訪日外国人の67%を占めています。


 観光庁も業界団体と協調して、これらの関係国から旅行関係者らを招き、日本の安全性を必死にPRするなど、努力は認めますが、私は根本的なところで大きな勘違いをしているように思います。

 Yさんは、その辺りのことは熟知されていると思います。


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 大震災や原発事故の影響をもろに受けた観光地は無数にあります。中には50%程度の落ち込みですんでいるという所もありますが、多くの地域は、前年同期の10%にも満たない、と嘆いているTVの映像は良く目にします。

 断っておきますが、これらの数字は、外国人観光客が減ったという理由ではありません。風評被害に惑わされる日本人観光客がためらっているからです。

 外国人に来てください、来てくださいと、いくらお願いしたって、肝心の日本人が寄り付かない場所に、どうして外国人が嬉々として訪れるでしょうか。

 中国人や韓国人の大勢いる温泉には行きたくない、という話は良く耳にしますが、これとはぜんぜん話が違います。

 放射線問題の影響がない地域はともかく、少しでも風評被害の出ている観光地には、まずは日本人客を誘致する施策をとるべきだと思います。

 外国人客が欲しいので、外国人に対するプロモーションを行うという、短絡的な発想では駄目だと思います。


 少しは旅行業に携わる身としては、Yさんの就任を機に、老婆心を述べておきます。