タバコの値上げ意外な効果
7月21日(23:00)
タバコの値上げが意外な効果を上げているという、厚生労働省の研究班(班長大井田日大教授)の発表が、TVや新聞で大きく報道されました。
その報道を見て愕然というか唖然と言うか、一瞬、研究班の連中は正気か?と我が目、我が耳を疑いました。
タバコの値上げが、中高生の禁煙にどのくらい効果があったかという内容だったからです。
全国の高校を無作為(どの学校の生徒が吸いそうだ、とは想像できますが、信じましょう)に抽出し、その中から、2954人の喫煙者にアンケート調査を行った結果、659人がお金を節約するために禁煙した。との回答を得たと、誇らしげに報告しています。
更なるタバコの値上げを実施することで、中高生の喫煙防止に繋がる、とも提言しています。
タバコを値上げすれば、世界のどの国でも同じですが、必ず喫煙者の数は減少します。値上げして喫煙者が急増したという話は絶対にありません。当たり前の話しなので、ことさら値上げ効果を喧伝するほどではありません。
驚くのは、今回の調査対象者が、未成年者喫煙禁止法で固く禁止されている中学や高校の生徒であることです。
世間一般の常識では、未成年が喫煙している事実を否定はしませんが、お役所がそのことを調査の前提としてはいけません。
数々のキャンペーンや、タバコの値上げで成人の喫煙者を減らそうという姿勢は分かりますが、未成年の喫煙対策は、経済産業省、文部科学省や厚生労働省といった政府機関や、都道府県の教育委員会、学校、父兄が一体となって取り組む大きな問題です。
政府の発表を垂れ流しするだけのマスコミは、「値上げ効果」を伝えるより、中高生の喫煙者を対象とした厚生労働省の調査こそ、大きく取り上げるべきです。
未成年者の喫煙防止という名目で、「TASPO」カードを導入し、野放しだった自販機での購入を規制しました。しかし、こんな抜け穴だらけの方法が、何の役にも立たないことは誰でも知っています。
何か対策を打たなければ、と焦る気持ちは分かりますが、何の意味もありません。
私の住むスペインは、未成年者の飲酒や喫煙を禁止する法的な根拠はありません。
13―14歳の子供が平気でビールやワインを飲みますし、喫煙もしています。
ただ、政府は18歳未満(こちらでは18歳で成人)には、日本と同じように、タバコやアルコール類の販売をしないよう義務つけています。タバコの自販機は、原則的に屋外には設置されておらず、管理者の目が光る屋内(バール、カフェ、レストラン等々)にあります。
未成年ぽい者には身分証明書(国民の背番号)の提示を求め、その上、自販機には鍵がかかっていますので、店の従業員がリモコンでロックを解除しない限り、タバコは買えない仕組みです。
未成年の飲酒や喫煙をなくするためには、法的処置として、吸った本人にも罰則を与えるべきです。「コラ!」と怒っているだけでは意味がありません。
禁煙法の罰則は、未成年であることを知りながら販売した者、喫煙していることを黙認する保護者に対してですが、詳細にその事実を把握していながら、効果的な手が打てない厚生労働省にもあります。
手段としては、屋外に設置されているタバコや酒類の自販機を撤去することです。
いま流行の節電にも大きく貢献できます。
それにしても、研究班まで設置して対策を検討した厚労省の未成年喫煙対策が、さらなるタバコの値上げが一番効果的というのは何ともお粗末な話しですね。
「バチカン便り」 ③
上野大使は、もう一つの例として、鯨の問題を挙げています。
「これをきちっと論じるためには、宗教・信仰の観点は絶対に避けて通れません。が、現状はといえば、その観点は素通りです。…宗教者、あるいは宗教に詳しい人材の参加が待たれます。水産庁の役人だけで、反捕鯨派に立ち向かうのは無理というものです」とメールに書いてありました。
私も反捕鯨問題には非常に興味を持っていますが、上野大使とは次元が違います。大使が、宗教観を持って論ずる必要がある、断言されているのは、あくまでも反捕鯨国との政治的交渉に於いてのことだと思います。
私の興味は、政府間交渉ではなく、「グリーピース」や「シーシェパード」の活動にあります。こんな連中相手には、宗教も社会倫理もありません。
彼らは、一応、「国際環境保護のNGO団体」「世界の海洋における野生動物の棲息環境破壊と虐殺の終焉」を目指して活動する。という最もらしい目標を掲げています。
環境保護や動物愛護を標榜すると、正面切って反対できず、いかにも正義の味方のように見られていますが、その実、やっていることはテロリストそのものです。
アイスランドのジャーナリストは、グリーピースは環境保護団体のような顔をしているが、政治的権力と金を追求する多国籍企業だと断じています。
その資金源は企業や個人からの寄付金ですが、有給従業員1000人以上を抱え、無数のボランティアが世界各国で活動している大きな団体です。
グリーンピースの創設者で、後に袂を分かつことになったムアー氏は、「ロックフェラー財団など50の基金が、原子力発電に賛同する一方、環境保護に関心ありというポーズのため、グリーンピース本部に資金援助をしている」という内部告発を行いました。
また「グリーピースの金が環境に使われていると思うのは間違っていて、幹部たちはファーストクラスで旅行、高級レストランで食事をするなど<エコセレブ>生活をしている。鯨で大騒ぎするのは、それが儲かるから」とも言っています。
この団体は1975年くらいまでは、クジラのクの字も言っていなかったのですが、この年、北太平洋における「ナガスクジラ」「イワシクジラ」の捕獲禁止が発表され、翌年、は、南極海での捕獲が禁止、1979年に母船式の商業捕鯨が禁止されると、文字通り水を得た魚のように、俄然、熱心に活動するようになりました。
それでも、グリーピースのやり方は軟弱すぎると、「シーシェパード」が設立され、報道機関の関心を買うため、エコテロリストと呼ばれるような過激な行動を展開し始めたのです。
シーシェパードの旗
国際捕鯨員会では、捕獲禁止後も、各国政府の判断で科学的調査のための捕獲、いわゆる調査捕鯨は認めていますので、日本政府の捕鯨に違法性はありません。
ただ、捕獲した鯨肉を従業員がお土産として持ち帰ったり、商業用に販売したりというのは、ちょっと問題がありますが、かと言って、武力で妨害して良いということにはなりません。
シーシェパードの船長が逮捕され、日本の警察に拘留されました。
その間にとった船長の行動をみると、とても動物愛護の精神があるとは思えません。
要するに、彼らは、常に世界中から注目されるような過激な行動をしていないと、お金が集まらない、というのをよく知っています。
最近、日本政府もちょっと嫌化がさし、南極海での調査捕鯨を断念しました。
シーシェパードの活動に屈した形ではありますが、これで、自分たちの活動が実を結んだと彼らは思っていません。なぜならば、日本政府が調査捕鯨を中止して、一番困るのは彼らですから…。止められては活動の場がなくなり、寄付金も集まりません。
いずれにしても、捕鯨問題の根本にあるものは、動物愛護でも、クジラが絶滅するからでもなく、各国のご都合主義とエゴだけです。
ところが、アメリカやイギリス、オランダ、オーストラリアが、捕鯨産業は採算が合わなくなったとして撤退、一変して捕鯨反対に方向転換したのです。そして、委員会への加盟手続きを簡素化し、おおよそ捕鯨には縁のないアフリカや中南米、ヨーロッパの内陸国にまで加盟を呼びかけました。
クジラを殺して良いか、悪いかで迫れば、関係の無い国は悪いといいます。今の原発問題と同じで、賛成か反対かと二者択一で問えば、反対に決まっています。
外交下手な日本政府も、開発援助をちらつかせながら、捕鯨賛成国を増やす努力は行なっています。現在、88ヶ国が加盟していますが、捕鯨賛成派は35ヶ国、反対派は49ヶ国、あとは中間か態度不明国です。
調査捕鯨も、単にクジラの増減を追い求めるだけではなく、世界の海で、鯨がどれだけ他の魚を食べているか、という驚愕の事実も発表すべきだと思います。
クジラは哺乳類であり魚とは違う、というオーストラリア人が、増えすぎたからといってカンガルーを殺してしまう神経は、我々日本人には到底理解ができません。
ゴヤの真作屋根裏で発見
7月19日(23:00)
「ゴヤの真作屋根裏で発見」のニュースは、スペインの日刊紙「エル・パイース」が文化欄の全面で報じました。
実際に発見されたのは屋根裏ではなく、スペイン北部、ビトリアという町に住む美術コレクターの自宅の廊下に掛けてあったものです。
50年ほど前、地元の指物師で、同時に美術品の売買も手がけていた人から購入したそうですが、その時は、きれいな作品だな、と思って買っただけで、巨匠ゴヤの作品などとは夢にも思っていなかったそうです。
ただ、どのような作品なのか、という興味から専門家に鑑定を依頼したところ、「聖母を囲む聖ホアキンと聖女アナ」という、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)の油彩画で、1774年、イタリアから帰ったゴヤが、28歳の時に描いたものであることが分かりました。
絵のサイズは、96.6.cmX74.7cmと小ぶりで、恐らくは、祭壇か祈祷室(小礼拝堂)用に製作されたと見ています。
頭部の描き方、着衣、色彩のどれをとっても、ゴヤ作品独を特徴づけるものですが、何しろ、28歳という若さですから、当然のことながら、後に見る巨匠の円熟味は感じられません。
専門家によりますと、この作品の完成度は高く、技術的にもしっかりしているが、他の大作の一部として描かれた可能性も否定しない、と言っています。
この絵の持ち主は、今のところこの作品を市場に出すことは考えていないようですが、どこかの美術館に貸与の形で提供し、一般の人にもぜひ公開して欲しいと思います。
今回の発見の数ヶ月前にも、「悲しみの聖母」という、フランシスコ・バゼウというゴヤと同郷の画家の作品と考えられていたものが、やはり、1774年に描かれたゴヤの真作であることが判明しています。
また、プラド美術館が所蔵し、ゴヤの秀作といわれた「EL COLOSO」(巨人)は、日本の美術評論家や識者の中には、ゴヤの最も優れた作品の一つともてはやしましたが、弟子の作品であったことが判明するなど、ゴヤを取り巻く周辺が騒がしくなっています。
余談になりますが、昔は、マドリードの蚤の市でゴヤの小品が掘り出されるなど、骨董屋めぐりにも夢がありました。
時代と共に、古美術の価値は、一般的に知られるようになり、いわゆる「掘り出し物」というのがなくなっています。紛い物は安く、良い品物には、割安感というのはありますが、そこそこの値段が付けられています。
かくいう私も、3年ほど前、ロンドンに住む友人夫妻が遊びに来たとき、旦那さんがイギリス人で、敬虔なカトリック教徒なので、古い十字架が欲しい、ということで、あちこちの古美術店(骨董屋)を見て歩きました。
彼が気に入った物を見つけた同じ店で、中央の柱に掛かっている一枚のゴヤの銅版画が目につきました。
ゴヤの4大銅版画の一つ、「気まぐれシリーズ」の1番目の作品で、ゴヤの肖像画が彫られています。普通はセットで販売され、単品で出ることは稀なのですが、古式のある額装と相まって、思わず引き込まれてしまいました。
値段を見ると、本物にしては安く、偽物なら高すぎ、という微妙な値段でした。
前面にはガラスがはめ込まれていましたので、細部まで見ることはできず、ご夫妻の、大丈夫?という声にも、露店で売っているわけではなく、ちゃんとした店構えなので、間違いない、として購入しました。
自宅に持ち帰り、ガラスを外し、つぶさに調べたところ、何と真っ赤な偽物でした。
翌日、皆でその店を再訪し、偽物である旨を力説し、結果的には全額返金してもらったのですが、店の主人は、なんでこんな東洋人に、ゴヤ銅版画の真贋がわかるのだろうか?と怪訝そうな顔をしていました。
その答えは簡単です。私の専攻はスペイン美術史で、一時期、ゴヤの銅版画を専門的に扱っていました。その経験からのことです。
注 この記事は、7月16日付け「世界日報」紙に掲載されたものに加筆してアップしました。