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二日遅れ日記

一昨日、約一年ぶりに久々にマサ斎藤さんに通夜にて。相変わらずでかい。私は、知人の死に大泣きしながらも後部に陣取られていた斎藤さんのさらに後ろの席についた。さすがに通夜だけあって変な輩はいなかったが、大先輩を守らなくてはの意識が働く。コンディションはベストとは言えないが、元気な斎藤さんがいた。斎藤さんの背中を後ろから見ていたら、過去の歴史が走馬灯のようにまるで映写機でもついているかのように画面が写り出す。東京プロレス、サンフランシスコ、ミネアポリス、ヒロマツダさんとのチャンピオンfromフロリダ。そこに剛竜馬と馬之助さんと杉山さんが加わっての元祖狼軍団。長州維新軍。ジャパンプロ、全日本、巌流島。ケンパテラ事件での刑務所、AWAチャンプ、外人現場監督、テレ朝ワープロ解説者。肩幅、首の太さと短さ、天然パーマ質の髪。私は、気づいていたら思い切りファン心理を越え、記者感覚までたどり着かされていた。男の背中は人生を語るというが、さすがにであった。いまだ私は、マサ斎藤さんにマサさんとは言えない。なぜなら、新弟子の頃われわれ若手がマサ斎藤さんのことを周りみんなが呼んでいるマサさんとお呼びしたら、隣にいた佐々木さんにその場で若手全員召集をかけられ、力を一杯のビンタととんでもなく恐ろしい説教が始まった。トラウマとなったその思いがいまだ抜けず、いまだマサさんと呼ぶと佐々木さんに殴られそうで。まあ、私の場合、キャリアと共に原点回帰思想が出始めた。すなわち年とともに、より過去の歴史と伝統を尊重する哲学が出てきたこともあり、より余計にマサさんとは呼べなくなっていったのもたしか。隣で見ていると少しだけ、食事の際、箸が不器用な感じがあり、心配でなにかをしたくなる。アメリカ生活の長すぎる斎藤さんには、人に頼ろうとする気配は微塵もない。箸が不器用なら、端をやめ、手掴みで寿司をつまみ出した。手で食べることは、食によったら日本食にも合うし、ときにはインド人もよしとなる。しかし斎藤さんの手掴みは、まさに海賊が生け捕りを手掴みで食べるしぐさに相当する。グラスの持ち方も、ティッシュで口の回りをふくすがたも、どの光景もみんな海賊のよう。いつまでもいつまでもプロの佇まいで、いまだ現役のよう。今の若い連中は、そのてんみんなサラリーマンみたいだ。二十四時間プロ意識をもってこそプロのオーラが醸し出される。私は、もうそれは卒業し、いかに頭を皆様にさげるかが基本の毎日。さて今朝も朝からラジオ体操。そのあと朝の陳情まわり。昨日から始まった今年最後の定例本会議。ではまた

仲間との別れ

いったい何回今年は、喪服を着たらよいのだろうか。夏の愛犬の急死、亀井静香代議士の秘書の親族、妻の祖母、父方の法事、そして私の大好きな仲間の一人が一昨日またこの世を去った。ガンで肺をひとつ無くし、二週間前にお見舞いにいった際に、おさむ、もう俺はダメだといわれ二人で大泣きした。今朝、ラジオ体操に出席し、いまから白河まで、友人のお通夜に最後のお別れに行ってきます。明日が告別式だが、明日から本会議。どうしても今日しか行けず本日予定のあった大事な二つの会合をキャンセル。サンフランシスコに長年いた彼は、マサさんと大の親友。私よりかなり上なんだが、馬があいまあしかしよく遊んだ。蔵王、郡山、白河、水道橋、六本木、大塚、はてまたバンコクまで一緒に行った。今日はまた涙が出きるほど泣くしかない。別れは辛いね。

丸ノ内線と真田

全日本後楽園大会訪問。帰り、私の地元の支援者にご挨拶しに丸ノ内線で後楽園から一駅となりの茗荷谷へ。私の若手時代の風習からしたらあり得ない光景。試合後、後楽園から地下鉄乗車の真田聖也。丸ノ内線が似合うのは、丹波哲郎とショーンコネリーと真田聖也?
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